~息抜き~①
『もう少しだけ』
人はそうやっていた。誰もがそうやっていた。
死ぬために用意されたナイフを握れるだろうか?その時の覚悟を、『もう少しだけ』という気持ちで握れるだろうが?
フォーワールドの技術開発局で働いていた1人の病人がいた。
彼は先日事故に巻き込まれて腰を痛め、ロクに仕事ができないでいた。働けないというだけで管理人であるラッシに殺害されるのは当然だった。働けないというのはこの世界では大きな罪。労働能力がない者が住んでいい世界、社会ではないのだ。
動けるような手術やリハビリ時間をもらえるような地位ではない。彼の余命は残り数日だろう。処刑人と恐れられる管理人に殺される。それが怖い。ガタガタ震えた…………。
そんな時、黒リリスの一団が現れて映像で戦争というのを見た。
「……………………」
通い詰めた技術開発局が崩壊し、フォーワールド全体で見ても修復が不可能と思われるくらいの光景を見た。
労働する場を失った。家も失った。残ったのは生物だけだった。
シェルターから出たら誰もが失望し、絶望し、涙を流した。病人もしかりだ…………。全員が助けて、助けて、助けてと呼んでいた。
こんな世界はもうダメだ。とうに諦めていた者達が多くいた。病人は隠し持っていたナイフを懐から取り出した。別のところへ行けばこの悲しみから逃れると思えた。握った…………。
しかし、プルプルと震える。小刻みに腕が揺れていて、握る力はもう離す力よりも上回っていたのに、それを自分に向けることができない。怖い。
死ぬのがこんなにも怖いんだ。汗を流すことはできても、血を流したくない。
ここで生きているのは辛い。
働く環境が無くなり、ただでさえ働く能力を失った自分。
「怖いんだな」
「……………………」
「分かっている」
沢山行き交っている管理人の1人。カミューラ・ノパァスが病人に近くにいた。
「私はカミューラ。管理人だ。役目、君達のような物を救うこと……だが、救いはない」
「…………………………」
カミューラは体から薄い紫色の煙を放出し始め、病人を含め、生きる気力を失いかけた者達に浴びせ始めた。完全に毒ガスである。
カミューラの製造理由はほぼ万が一という理由でしかなかった。なんらかの理由で増えすぎた人間や、死なずに生きている人間達を殺害すること。粕珠と似ているようで違う。
粕珠が殺害する人間は
どーしようもなく、害悪しかならない、更正すらできない罪人を残虐にぶっ殺すのが粕珠。
カミューラが殺害する人間は
どーしょうもなく、生きる気力すらなくなり、存在だけで害悪になっている人間を安らかに殺すのがカミューラ。
「…………………………」
「天国で安らかに……」
祈りを込めて人を死なせるカミューラ。司祭と思わせる姿で人間の安楽死を行う管理人とはちょっとあれである。
「アーメン」
祈り。死しても魂があるのなら、今と違って活力ある者になっていることを願う。
「…………………………」
この先、生きていて楽しい事はやってくるだろうか?
災害などを経験することによって死を選ぶ人間は確かにいる。しかし、その経験は実際に巻き込まれたが、体のどこかを欠損していない者でもありえる。非人道的や超常現象の出来事にあえば、体より先に心を壊される。生きていけない気持ちが出てくる。生活の不自由によるストレス、大事な何かを失ったショック。一時の気持ちでホントに死ぬかもしれない。しかし、それが正解もしれない。なかにはいる。死にたくても、自ら死ねる力も無くなった者。死にたくても、心の底では自らの命を殺すという罪に怯えてできない者。
カミューラのやっていることは今、賢明に職務として復興を携わっているクロネアとは違っていて暗部に携わっている。しかし、必要な管理人であり、場合によってはクロネアよりも貢献している。自分を殺せないとは、自ら生きるために行う消費を止められないということでもある。もし、自ら消費をしないとしても、誰かが消費する可能性がある。配られた食べ物を渡すかもしれない。生きる気力がない人間に……。
それでOKなのか?
「命の価値が分かる科学が欲しいものだ」
理不尽な死はごめんであるが、理不尽な生きろもまたごめんである。理不尽な殺害も勘弁である。
『もう少しだけ』
という気持ちすら消し去って、わずかで小さすぎる希望を掴みとろうとする生き方に縋りつくのではなく、潔く命を散らせるのなら。世界の歯車は老いたり、錆びたりはしないだろう。止まらずに速やかに回り出す。しかし、それを拒むのが人間が持っている生であった。
カミューラは先に逝った魂に幸福の歌を送っている。