第65話 「午前二時、静かな部屋」
雨は夜になっても止まなかった。
窓を叩く雨音だけが、 静かな部屋に響いている。
時計は午前一時半を過ぎていた。
机には開きっぱなしの参考書。
英語長文。 世界史。 現代文。
勉強会のはずなのに、 今は完全に休憩時間だった。
茉優はベッドにもたれながら、 ぼんやり天井を見ている。
茉優
兼次郎は床に座り、 問題集を閉じた。
兼次郎
「今日はここまでにするか」
茉優が小さく頷く。
「……限界」
「途中から全然集中してなかった」
「兼次郎がいるから」
「人のせいにすんな」
茉優は少し笑った。
でも、 半分本当だった。
同じ部屋。
夜。
しかも泊まり。
意識するなという方が無理だ。
兼次郎は壁に背中を預けながら、 軽く伸びをする。
「疲れた」
「珍しい」
「人間だから疲れる」
「兼次郎って疲れなさそうなのに」
「お前の中で何になってんだ俺」
茉優はクッションを抱えながら笑う。
その笑顔を見て、 兼次郎は少しだけ目を細めた。
最近、 こういう時間が増えた。
一緒に勉強して、 帰って、 話して。
前はこんな未来、 想像してなかった。
茉優がぽつりと呟く。
「……なんか不思議」
「何が」
「兼次郎がここにいるの」
兼次郎は少し黙る。
茉優は続けた。
「前はさ、もっと遠い人って感じだった」
兼次郎は苦笑する。
「ひどい言い方」
「だって特進で頭いいし、 なんか落ち着いてるし」
「今は?」
茉優は少し考える。
それから小さく笑った。
「普通に優しい」
兼次郎の動きが少し止まる。
茉優は気づかないまま続ける。
「あと意外と世話焼き」
「誰のせいだ」
「えー」
「お前放っとくと寝るだろ」
「今日も寝そうだった」
「実際寝てた」
茉優は笑う。
でも次第に、 その笑い声も小さくなる。
静かな夜。
近い距離。
雨音。
少しだけ、 空気が変わる。
茉優は視線を逸らしながら聞く。
「……兼次郎ってさ」
「ん」
「今、幸せ?」
兼次郎は意外そうに見る。
「急だな」
「なんとなく聞きたくなった」
兼次郎は少し考える。
簡単な質問なのに、 意外と答えに迷った。
でも。
最終的に出た言葉は、 驚くほど自然だった。
「……まあ、前よりは」
茉優の胸が少し熱くなる。
兼次郎は続ける。
「茉優といると楽だし」
「っ……」
「無理しなくていい感じする」
茉優は顔を隠すようにクッションを抱きしめた。
ずるい。
そういうことを、 こんな夜に自然に言う。
兼次郎は少し首を傾げる。
「何照れてんの」
「照れてない!」
「耳赤い」
「見ないで!」
兼次郎が小さく笑う。
その笑い方が、 前より柔らかい。
茉優はふと思う。
――あぁ、好きだな。
前よりもっと。
静かな沈黙。
でも苦しくない。
むしろ、 安心する。
時計は午前二時を回っていた。
兼次郎が立ち上がる。
「そろそろ寝るか」
「……うん」
茉優は少し名残惜しかった。
こんな時間が、 ずっと続けばいいのに。
兼次郎は部屋の電気を少し暗くする。
「おやすみ」
「……おやすみ」
その一言だけなのに、 胸が温かくなる。
布団へ入ったあとも、 茉優はなかなか眠れなかった。
数メートル先には、 兼次郎がいる。
それだけで。
心臓が少し、 うるさかった。




