第6話
午後の陽光が、公爵家の温室を柔らかく満たしていた。
ガラス越しの光の中で、リシェリアは優雅に紅茶を口へ運ぶ。
対面では、フィアナが真剣な顔でノートを広げていた。
「……ねえリシェ。これ、完全に来てるよね」
「ええ。間違いなく“あのイベント”ね」
二人は同時にため息をついた。
テーブルの中央には、一冊の分厚い帳面。
表紙には大きく書かれている。
【破滅フラグ管理帳】
――先日三人による作戦会議で作成された問題の産物である。
「原作だと、学園入学直後だったよね」
「ええ。“聖女いじめ開始イベント”。悪役令嬢が取り巻きを使って嫌がらせを始める最初の分岐点」
リシェリアは淡々と説明する。
その声に焦りはない。
なぜなら。
「つまり、加害者予定が私、被害者予定が私ってことだよね」
「正確には“原作の私”ね」
二人は顔を見合わせ――同時に吹き出した。
「いや無理でしょ」
「無理ね」
即終了である。
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「でもね、問題はそこじゃないの」
フィアナが指を立てる。
「イベントって、“誰かが悪意を持つ”だけで発生するわけじゃない。空気とか、誤解とか、周囲の期待が積み重なって起きるんだよ」
「……社会構造型イベント」
「そう、それ!」
リシェリアは感心したように頷いた。
原作では――
・聖女が平民出身
・貴族社会に馴染めない
・周囲が距離を取る
・孤立
・悪意が生まれる
結果、いじめが成立する。
「つまり」
リシェリアはカップを置いた。
「孤立しなければ、イベントは成立しない」
「正解!」
二人の目が、同時に悪い笑みを浮かべる。
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対策会議:三分で終了。
「方法は単純よ」
「うん」
「――私が最初に友人宣言をする」
沈黙。
そして。
「それ最強では?」
「でしょう?」
公爵令嬢が公の場で友人と認めれば、貴族社会の空気は一瞬で変わる。
排除対象ではなく、保護対象になる。
「権力の正しい使い方って感じだね」
「未来改変は効率重視よ」
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三日後。
王都の小規模な茶会。
学園入学予定者が集まる、半ば顔合わせの場だった。
視線が自然と一人へ集まっている。
淡い金髪の少女。
少し緊張した様子のフィアナ。
(原作開始地点)
ざわり、と空気が揺れる。
貴族令嬢たちの視線。
値踏み。
距離。
――孤立が始まる前兆。
その瞬間。
「フィアナ」
静かな声が響いた。
会場の空気が止まる。
リシェリア・フォン・アルヴェインが歩み寄っていた。
「探しましたわ。こちらにいらしたのね」
「え、リシェ?」
自然な動作で、彼女はフィアナの手を取る。
そして――周囲へ微笑んだ。
「ご紹介します。私の大切な友人です」
沈黙。
次の瞬間。
空気が反転した。
「まあ、公爵令嬢様のご友人……」
「先ほど失礼しましたわ」
「ぜひお話を――」
人の流れが一斉に変わる。
孤立は、発生する前に消滅した。
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少し離れた位置。
アルヴィンが腕を組み、小さく頷く。
「……見事だな」
隣のセシル・ヴァルディエが苦笑した。
「戦わずして制圧ですね」
「彼女らしい」
その声は、どこか誇らしげだった。
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帰りの馬車。
フィアナがぐったり座席に沈む。
「社会的威圧ってすごいね……」
「威圧ではありません。影響力です」
「言い方!」
二人は笑い合う。
そしてリシェリアは、そっと呟いた。
「これで一つ」
窓の外、夕焼けが広がる。
「不幸になる未来は消えたわ」
フィアナは静かに頷いた。
「うん。私たちが選び直したんだね」
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その夜。
フラグ管理帳に、新しい記録が追加された。
【No.03 聖女いじめイベント】
状態:完全消滅(開始前処理)
横に、小さな文字。
『友達になれば解決』
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――こうしてまた一つ、物語は優しく書き換えられた。




