第4話
王都の午後は静かだった。
アルヴェイン公爵邸の応接室には、柔らかな陽光が差し込み、整えられた空気が満ちている。
その中央に座る青年を見て、リシェリアは小さく息を整えた。
アルヴィン・クラウゼル。
彼女の婚約者。
そして――原作では、最終的に彼女へ婚約破棄を告げる人物。
銀灰色の髪に、落ち着いた蒼い瞳。
整った容姿はいつ見ても隙がないが、視線だけは驚くほど穏やかだった。
「急な呼び出しだったが……体調でも崩したのか?」
低く静かな声。
心配が隠れていない。
その事実に、胸が少し痛む。
(この人は、最初から優しかったのよね)
原作では気づけなかっただけで。
「いいえ。今日は……大切なお話があって」
アルヴィンの表情がわずかに引き締まる。
「聞こう」
迷いはなかった。
リシェリアはまっすぐ彼を見た。
逃げないと決めたから。
「これから話すことは、信じがたい内容です」
「構わない」
即答だった。
理由を問わない。
否定もしない。
ただ、聞く姿勢。
それだけで少し勇気が湧く。
「……私は、前世の記憶を思い出しました」
沈黙。
時計の針の音だけが響く。
普通なら笑われてもおかしくない話。
けれど。
アルヴィンは眉一つ動かさなかった。
「続けて」
リシェリアは息を吸う。
そしてすべてを話した。
この世界が物語であること。
自分が悪役令嬢であること。
未来で断罪される運命。
婚約破棄。
破滅。
言葉を重ねるたび、胸が少しずつ軽くなっていく。
話し終えたとき、部屋は静まり返っていた。
数秒。
長い沈黙。
リシェリアは指先を握りしめる。
怖くないと言えば嘘になる。
だが――。
「……なるほど」
アルヴィンは静かに頷いた。
それだけだった。
「え?」
思わず声が漏れる。
「驚かないのですか?」
「驚いてはいる」
彼は淡々と言う。
「だが、君が嘘をつく理由がない」
あまりにも自然な答えだった。
リシェリアは言葉を失う。
「それに」
アルヴィンの視線が柔らかくなる。
「最近の君は、確かに少し変わった」
「……変わった?」
「ああ。以前よりも、ずっと楽しそうだ」
胸が、強く鳴った。
責められると思っていた。
疑われると思っていた。
けれど彼は――変化を肯定した。
「つまり」
アルヴィンは静かに結論を出す。
「未来を知っているのだな」
「……はい」
「ならば話は簡単だ」
彼は迷いなく言った。
「変えればいい」
その言葉は、あまりにも当然のようだった。
リシェリアの目が見開かれる。
「信じてくださるのですか?」
アルヴィンは少しだけ首を傾げた。
「君の言葉を疑ったことがあっただろうか」
――ない。
一度も。
気づかなかっただけで。
「それに」
彼の声が少し低くなる。
「婚約破棄、だったか」
空気が変わる。
静かな圧が部屋を満たした。
「私が?」
「……原作では」
短く答えると、アルヴィンはため息をついた。
そして。
「あり得ないな」
即断だった。
「え」
「君との婚約は、私自身が望んだものだ」
まっすぐな視線。
逃げ場のない誠実さ。
「手放す理由がない」
心臓が跳ねる。
予想していなかった言葉。
「だから安心するといい」
アルヴィンは穏やかに微笑んだ。
「未来がどう書かれていようと」
少しだけ身を乗り出す。
「私は、君の味方だ」
その瞬間。
胸の奥に張りつめていた何かが、静かにほどけた。
怖くなかったわけではない。
けれど今、確信できる。
一人ではない。
リシェリアは小さく笑った。
「では……共犯ですね」
「共犯?」
「未来改変の」
アルヴィンの口元がわずかに上がる。
「悪くない響きだ」
差し出された手。
今度は迷わず取った。
温かく、確かな手。
こうして。
悪役令嬢の秘密は、婚約者にも共有され。
物語はさらに大きく、本来の道から外れ始めたのだった。




