あの世もこの世です
時間が空きましたが、続きになります!
ホラーの足音はまだ来ない。
内臓が浮く感覚と耳から吹き込む荒ぶる風音。
不快感を全身で感じながら必死に体を捩る。
無様かもしれないけれど今できる最高行動はコレだ。
「肝が据わってるな」
「潰れるのはぜったい、いや!」
噛みつくように叫ぶと何故か声をあげて笑い始めたので、非常に腹が立った。
一体誰のせいで、とこぶしを握り締めた所で我に返る。
「ねぇ、これっ、あな、深すぎるでしょ!」
「まぁ、ある種の境界を越えるという意味合いもあるからな」
落下しながら顎の下手に手を当てて頷いている姿に苛立ちが積み立てられていく。
それでもペシャンコを避けようと、歯を食いしばった所で唐突に終わりがきた。
痛みに繋がる衝撃を覚悟してきつく目を閉じ体を固くする。
ぎゅ、と頭を護るような形をとった所で形容しがたい感触の何かに包まれた。
「……ぁえ?」
「何度体験しても悪くない感覚だな」
満足げな声と共に、固い地面に何かが飛び降りる音。
視線を向けるとコンクリートに両足をつけた男と目があった。
不快な感覚が消えたことに安堵して体中の力が抜けた。
「お、落とし穴にしたって、規格外通り越して事故レベルじゃない」
「……んまぁ。随分と肝の据わった娘っこ連れてきたわね」
勘弁して、と項垂れる私の上から、明らかに知らない声が降ってきた。
恐る恐る視線を上に向けるとこちらを見下ろす中年女性。
喉が締まる。
スピーカーや監視カメラのようなものがあると思っていたのに、そこにはまったく違うものがぶら下がっていた。
「打たれ強そうね。性根も悪くなさそうだ。須川の旦那が連れてきた娘っ子の方が魂は上等だけれどもアンタも悪くないよ」
「え、あ、ちょ、何で天井からぶら下がって……?」
「なんでって『天井下がり』の家系だよ、当たり前じゃないか。でもまぁ、アンタは「頭に血が上らないのか」なんて心配はしないようだし、生きていけそうだ」
くすくす笑いながらヌッと目の前に一枚の用紙を出された。反射で受け取ったが、そこには『通行許可証』とある。
「ほれ、ぬっぺら。おろしてやんな」
天上から上半身をぶら下げるようにしていた女性がは、面倒そうに一言告げるとゆっくり距離が遠くなっていく。
ここで気づいたのは顔も何もない、巨大な風船のようなものの上にいたという事実。
名称があった、ということは『なにか』ではあるのだろう。深く考えたら負けだと言い聞かせて、震えそうになる足で地面を踏みしめる。
確認のために見上げてみたけれど、既に彼女は天井を滑るように移動し声をかけるには適さない距離になっていた。
疑問と共に息を吐きだし、周囲へ視線を向ける。
「ここ……なんか、役所みたい」
それも近代的な作りに見える。
天井からは『〇〇課』という案内板が等間隔でぶら下がっていた。休憩スペースを兼ねた椅子には人がいて、書類や各々の持ち物を眺めていたり、苛立たしげだったりと見覚えのある景色が広がっている。
極めつけに、行き交う人が時折首や腕につけている『○○課』という腕章やネームホルダー。
「みたい、ではなく役所だ」
コンクリートと土壁、木に陶器と謎の建築資材で成り立つこの建物には、多くの人や人ではない者が当たり前に存在しているようだ。
小声で「映画かなこれ」とつぶやいた私はきっと正常な判断ができていると思う。
半ば他人心地で周囲を見回していた私がふと、背後で何かが動く気配で我に返る。
振り返って、謎の風船のような『なにか』に頭を下げておく。
「あ……ありがとう、ございます。お陰で怪我をしませんでした」
礼を口にした瞬間、風船が割れるような音が聞こえ、目の前の風船のようなものが、粘土とも肉ともつかない謎の塊へ変化した。
「……ッ」
悲鳴は飲み込むことに成功したが、足が勝手に数歩下がる。
それは動きを止め、ぐにょりと私の動作をまねるように頭、らしき体の上部を曲げた。
のっしのっしと去っていくその姿を見送っていると隣に誰かが立つ気配。
「驚いた……普通ココに来た若い女子は悲鳴を上げるものだが」
「悲鳴を上げる程の可愛げがあったら、貴方みたいな不審者についてこないわよ」
「帳記でいい。古紙屋は何人かいるからな」
「ハイハイ。私はこよりでいいわ。それで、えーっとなんだっけ? 誰かに会いに行くって言っていた気がするけど」
夢の中にいるような心地ではあるけれど、匂いも感覚もしっかりあるので現実だろう。
これから就職先が決まる、かも知れないのだ。一応話だけでも聞いておきたい。
「怖くはないのか?」
「正直、好奇心の方が強いのよね。だって、ここで働かないってことになっても私を殺したりしないでしょ?」
「危害を加えられたわけでもないのに女子を攫ってきて殺すような外道にはなってないが……まぁ、気にしないならいい。最近の人間の女子というのは、こよりのように動じないものが多いのかもしれんな」
「人間もいるんだ?」
「一定数いる。善人も悪人も弱かったり強かったり、幼かったり死にかけていたり老いていたり……いろいろだ」
ふっと目を細めて、丸眼鏡を持ち上げた男は私を見下ろして笑う。
彼が指さした先には一つの扉。
やたら高そうな木製の扉だった。
「あそこから直接行く。話は既に通したから、連絡はせずとも『わかる』だろう。一つだけ頼みたいのは、相手に礼を尽くすことだ。命に係わる」
わかった、と頷けば男──帳記は身だしなみを整え始めた。私もそれに倣ってある程度身だしなみを整える。
ひと段落着いたのか、ふぅっと息を吐いて帳記が足を踏み出した。
◇◆◇
ノック音の後に聞こえてきたのは不思議な声だった。
性別は男性で間違いない。
でも、艶やかで低く耳に残る妖しい魅力のある声にゾクゾクと背筋に何かが走った。
帳記が苦しそうな表情を一瞬浮かべ、咳払いをした後に声を張る。
「古紙屋 帳記でございます。相談がありまして」
緊張しきった硬い声色に釣られて表情がこわばっていく。
扉の向こうに何がいるのだろう、とそんなことを考えていると音もなく扉が開かれた。
「わ……すごい」
そこはまるで撮影のために用意されたような部屋だった。
パッと見ても使われている家具、小物、あらゆるものが高そうだ。
ふんわりと良い香りと微かな墨の匂い。
執務机に座って何かを書いていたその人は、和装の男性のようだ。
年のころは分からないが二十代後半だろう。楕円形の眼鏡をかけ、薄抹茶色の髪を首の後ろでひとくくりにしている。
「いい頃合いですね。どうぞ。今、新しい助手はアチラへ買い物に出ていまして……人気者ですから一時間は戻りません」
立ち上がる素振りもなく、静かに。でも確かに、そんな言葉を紡ぐ。
テレビや雑誌、インターネット上で見るどんなモデルや俳優よりも美しく整った顔立ちに魅入っていると腕を掴まれ扉の中へ引き込まれる。
手袋越しにジワリと体温を感じて帳記が生きていることを初めて実感した。
「お手数おかけしまして……先日話した紙鼠の件ですが」
「使役省には既に話を通してあります。彼女のことも視ましたが問題ないでしょう。ああ、ですが初対面ですしご挨拶をさせて頂きますね」
持っていた筆をおいた美貌の人が立ち上がった。
優男風の顔立ちとは反対に、背が高いことがわかる。
帳記も背が高い方だけれど、それ以上に。
私の前へ歩いて差し出してきた手までも美しく、畏れ多いと感じつつも手を差し出す。
「おや。ふふ、肝が据わっていらっしゃるようだ」
優しく、でも力強く手を握られた瞬間に体に一瞬強い風が吹いたような気がした。
残ったのは清々しい草原にいるような風の匂いと心地よさ。
「え……?」
「私は須川 怜至と申します。以後お見知りおきを。といっても、私と接することは少ないでしょうね──仕事の窓口は彼なので。ですが、やや穢れに好まれやすいようですし、特別にこれを差し上げましょう。これも縁ですしね」
どうぞ、と着物の袖から石のついたストラップを私へ差し出してきた。
読んで下さってありがとうございます!
続きが出来次第更新しようと思います。




