片道切符は
順調すぎてこわい。すとっくなくなるのこわい。ストックなんていままでなかったのに。
ツイていない、と思うのはこの日でやめることにした。
会社に行くために乗った電車の中でメール通知が届く。
その差出人が同期の友人だったこともあって、目を通していくうちに朝特有の気怠さが抜けていく。血の気と共に。
「う、うっそだぁ」
思わずこぼれた声のまま、会社名を検索バーに打ち込んでみる。
出てくるのは大量の『不正発覚』『不祥事』という不吉すぎる言葉のオンパレード。
だが、会社いいかないわけにもいかず、私は教えてくれた同期に感謝しつつ会社の非常口へ体を滑り込ませる。あらかじめ開けて置いてくれた人には感謝だ。
表では正面から入ろうとして取材陣に囲まれている人を何人も見た。
裏口を張る汽車がいないのは、恐らく正面玄関から入る社員だけで充分『撮れ高』があるからだろう。
女子更衣室に向かい、いつものように通勤鞄を置く。そこからいつもの筆記用具や財布といった必要なものを入れたポーチを手に、自身の部署へ。
いつも通り、のはずなのにそこには上司たちの姿はなく、社員が様々な場所で集まって話をしていたり、恐々とブラインドを下げた隙間から外の様子を窺っていた。
「こより! よかった、無事入ってこれたんだね」
「うん、連絡してくれてありがとう。こんなことでテレビに映ったら親やら親戚から着信の嵐になりかねないもん」
「だよねぇ……私もパパやママからメールとか電話が凄いもん。あ、そうだ。社内掲示見てないでしょ。写真撮ってきたからこれ見て」
ほら、と同期から魅せられた画面には『早期退職希望受付開始』という文面。どうやら一応、会社都合での退職扱いな上に、積み立てた退職金も受け取れるらしい。
「……どうする?」
「どうするって、二人は?」
「私達は退職するつもり。まだ転職できる歳だし、事情が事情だから転職時にも不利にならないでしょ。いずれ止めようと思ってたのもあって、一応、転職先は調べてたし」
「私もここにはいい出会いもなさそうだし、空気も良くないから切欠があれば止めようかなって思ってたんだ。次の所は退職してから考えるよ」
らしい二人に私も少し考える。
頭にあるのは、数日前に出遭った嘘みたいな男の話だ。
「私も退職する。ちょっと疲れたし」
「あー、こよりちゃん目をつけられてたしね。折角だし、パワハラされてましたって訴えちゃう? 私音声データあるよ。何かに使えるかなぁってとっておいたの」
「私も女子社員がされてたセクハラは一応記録してあるわ。私も嫌味言われたりしたし、どうせなら人事部行きましょ。これから」
「こ、これから? 今忙しいんじゃ」
「忙しい今がチャンスなのよ」
そうと決まれば、と三人で人事部へ向かう。
忙しそうにしていたけれど「退職希望なんですが」と声をかけると一人私達の前へ。中年の男性で中々な立場にいた人だ。
「退職希望ならここに名前と部署を書いて。勤続年数はこっちで調べるから」
「あ、それと主任や係長、あと課長からのパワハラとセクハラの証拠もあるんですけど、これどうしたらいいですか? やっぱり労基あたりでしょうか」
「労基も面倒だし、外の記者に渡すのもアリよね」
シレッとそんなことを口にした二人に担当になった人がギョッと目を剥いた。
慌てて別室へ、と私達三人を通し口止めと証拠を渡すという条件で退職金に色がつくことが決定。違反事項としてネット上に情報を乗せたり他者へ漏らしたら即訴えるという旨も記載されたけれど私達はそういうことをするつもりがないので喜んで署名し、その日付で退職することに。事情が事情だけあり、その場で給料を振り込まれるという特別待遇付きだ。
私達は軽い足取りで私物と個人のメールアドレスなどを削除。そのまま退室。
気分晴れやかにお昼から開いている居酒屋でお酒を飲み、ご機嫌で帰宅した。
何気なくテレビをつけてぼんやりと不祥事だとお祭り騒ぎをしているニュースを眺め、ビールのプルタブを起こした。
「……そういえば、あのへんなノート。折角だし、かいてあげよっかな」
ほろ酔いと仕事からの開放感でご機嫌になったせいだったと思う。
なにをかくんだっけ、とぼんやりゆるりとしか働かない頭をどうにか捻り、近くにあった薄墨入り筆ペンで文字を書いた。
「んっしゃ。でっきたぁ」
書きあがった髪を掲げ、満足した私は自分の住んでいる部屋のポストへ。自室へ戻った私はご機嫌なまま化粧を落とし、夕日に照らされたベッドへダイブした。
お風呂は明日でもいい。どうせ休みなのだ。
ぐう、と気持ちよいい眠りへ旅立った私はその手紙が消えたことに気づかなかった。
そして、部屋へ小さなお客様が着て、一度私の手を舐めていったことも。
◇◆◇
窓から射しこむ月明かりで意識が浮上し、飛び起きた。
うたた寝のつもりだったのに時刻は十一時を回っていて、勿体ないと感じてしまったのは社会人として訓練された結果なのかもしれない。
「うぅーん……のどか湧いたし、冷たいお茶でも買いに行こうかな」
はぁ、とため息を吐いて勢いで買った普段は着ないお洒落なワンピースを着てみる。
どうせ明日も休みだし、と夜の散歩でもしようと簡単に化粧をした。
カギと財布を小さな鞄へ入れて家を出た。
靴はお洒落なものを、と思ったけれどやめて歩きやすいスニーカー。
「お洒落な服とお洒落な靴下、いつものスニーカーってなんか面白い」
普段なら「明日に備えて」寝なくちゃいけないとベッドに入っている時間だ。
夏の静かな住宅街は、とても歩きやすくて息が吸いやすかった。
ゆっくり家の周りを歩くことって少なかったな、なんて考えながら向かうはコンビニ。
何を買おうか、お菓子でもかってどこかで食べようか、などと考えを巡らせていると前方に人影を見つけた。
多分社会人だろうな、と考えて自分の将来をふと思う。
「……仕事、かぁ」
一週間くらいは休みたい、と呟く。
子供の頃はよかったな、と考えて思い出したのは自室で本を読みながら考えたこと。
「あの頃は、大人になればもっとたくさんのことが出来るって思ってたっけ」
「できますよ」
じゃり、と異音。
え、と思わず声の方へ視線を向ける。
前方から聞こえたそれには聞き覚えがあって、楽しかった気持ちが一気に吹き飛んだ。
ごくり、と喉が動く。
「……ストーカー」
「すとーかぁ? 新しい鴉ではなく、よくいる普通の男だけれど……まぁいいか。知らせを呼んだから、これから行こうか。丁度いい時間だ」
「は? 行くってどこへ」
「顔合わせさ。仕事を首になったと書いていただろう。良いことだ。生活には嫌が王にも金がかかるから、紹介してやろうと思ったんだ。ほら、こいつも会いたがっていた」
ポイッと投げられたものを慌ててキャッチすると柔らかな感触と共に温かさが伝わってきた。
手の中には小さな命。
「ぷぷ!」
小さくてかわいい声は、紙鼠という白ネズミから発せられていてこの小さな生き物は大事そうにランドセルを背負っていた。
「あ、あのちっちゃい子」
「君の元に行きたいそうだ。だが、人間の君がこいつを家に置くには許可がいる」
「許可をもらいに行く、ってこと?」
「ついでにな。これから紹介状をくれる人の所へ行って、役所で手続きを終わらせるぞ。引っ越しは……明後日でいいか。個々には住めなくなるから親に挨拶をしておくといい」
私を置いて話が進んでいく。
呆気に取られている間に、近づいてきた彼は私の腕を掴んでコンビニがある方向とは逆、寂れた国道がある方へ進んでいく。
「まってまってまって、ちょっと止まる! 私、行くなんて一言もいってない」
「仕事がないんだろう。それに、そいつを放り出すのか? 妖といっても脆弱なタイプだから放置すると何かしらに食われるが」
「ちぅ……」
ぷるぷると震える姿に喉から変な声が出た。
つぶらな瞳がこちらを見つめていて「すてない?」「きらい?」と問われているような気持ちになった。この小さな生き物を無慈悲に捨てられる奴がいたら、私はそいつをゴミクズと呼ぶ。
「……卑怯すぎない? こんなかわいくて小さい生き物見捨てられるわけない」
「同意はこれで得たな。いくぞ」
慣れた様子で歩く男の口調が逢う度に少しずつ崩れて言っていることには気づいた。
服装に変化はないし、目立つ髪色と容姿のままだけれど、表情は豊かになった。
「はー……せっかくゆっくりしようと思ってたのに」
「働かないと死ぬと聞いている。俺の知っている人間は皆そうだからな」
「ろくでもない所で働いてるのね……過労死ライン越えてそう」
「かろうし……ああ、働きすぎる奴か。それは聞いたことがあるな」
うんうん、と頷く男を半目で見上げる。
こんな格好で容姿で変わった食事をするのだからサラリーマンは務まらないだろう。
嘘だろうと何だろうと、変人であることは確定した。
歩いていると、建物の奥を通って、想定より早く国道へ出た。
「なんか、普通に歩くより早く着いたような……?」
「時間の流れが少し違うだけだ。ここから先は『認められないと』危険だから離れない様に。一応、お守り代わりにコレを」
半券状態になった使用済みらしい切符を渡された。
反射的に受け取るけれど、駅名なんかは文字化けして見えない。
有難く受け取って財布へ仕舞う。
国道を歩いた所でふいに男の足が止まる。
「この先だ」
「え、雑木林の中?」
「歩きやすそうなところを進む」
「ご、ご配慮有難うございます……でもスニーカーだから大丈夫です」
ガンガンいけます、といえば視線が下がって「それは『すにーかぁ』というのか」なんて言葉を吐いていた。
雑木林は入りにくい雰囲気を醸し出しているけれど、足を踏み入れてみると外から見えにくいものの、中は比較的歩きやすい。
フカフカした土と立ち上るような濃い森の匂いに気持ちが和らぐ。
「──あそこが入口だ」
すっと白い手袋をはめた骨ばった指が雑木林の中にある錆びた標識のようなものを指した。ほとんど朽ちて、蔦が巻き付いたそれはよく見ないと標識には見えない。
近づくうちに分かったのはバス停の標識であったことくらいだ。
それに近づいて、何やら錆びた標識部分に手をかけた。
どうやら二のようになっているらしくパカッと開く。中にあったのは磨かれた鏡のような鈍色。男は慣れた様子でポケットから手のひら大の大きな印鑑を取り出す。
「ここを通るには手順を知らないといけないので」
印鑑の柄を口に咥え、懐から出した糸切ばさみの刃で手のひらをなぞる。
「ちょ、なにして……」
「ここを通るには印鑑と登録者の血液や唾液が必要なんだ。生憎、唾液が出にくい性質でね。これを塗って置けば血は止まる」
話をしつつも取り出した印鑑を掌に押し付けて血を付着させた後、金属板にグッと押し付ける。すると、足元の草と土が音を立ててどこかへ消えた。
「え」
「落ちても問題ない。着地地点にはくっしょんが敷いてある」
「落ちる前に行ってくれないかなぁ⁈」
ジワジワ進んでおります。じわーじわーーー!




