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公園の片隅にて 

 やっぱり小動物は大事ですよね。ええ。知っています。とても大事。

ちょっと長くなりました・・・


 ビニール袋を左手、通勤鞄を右手に閑静な住宅街を進む。


 虫の鳴く声が聞こえて生ぬるい風が不快な臭いを私にたたきつける。

 数十分前に嫌いな上司の吐瀉物を頭から浴びた私に投げつけられたのは、馬鹿にするような笑い声。解散時、上司は複数の部下に解放され、私はめんどくさそうにタクシー代とクリーニング代だと五千円を投げつけらた。

「おかね、貰えただけ……まし」

 何度かそう言い聞かせるけれど、納得なんて到底できなくて悔しさと惨めさで視界が滲む。投げつけられたお金はギリギリ足りるかどうかという所だったけれど、タクシーの運転手には「流石にその状態ではのせられない」と乗車拒否。

 近くにあった公園の水道を頭からかぶって、髪やスーツについた汚れは流したが不快感は居座ったまま。

 夏で良かった、なんて頭の片隅で考えつつ足を動かす。

「……つかれた」

 歩いて、歩いて。ようやく家のある駅まであと二つ、という所で心が折れてきた。

「行きたくもない飲み会に連れていかれて、パワハラされて、そんな役割だけ押し付けられて……さいあく」

 どうして私だけ、なんて言葉をどうにか飲み込んだけれど、心は折れたまま。

 俯く私の足元に一瞬、何かが映った。

 顔を上げると白い生き物がいた。

「……白いネズミ? いや、ハムスター……いや、え、何、今の」

 動揺しても、体は正直だった。目が白い生き物を追いかけて、草むらへ。

 足を踏み出して自身の靴音がやけに大きく聞こえた。そっと靴を脱いで両手に持ち、そろそろと近づく。既にストッキングは酷い有様なので気にする必要もない。

 アスファルトの上を進み消えたのは、道路横にある鉄柵の隙間。その奥には植え込みがあって、その奥へ消えていったのだ。

 感じていた疲労はこの時まったく感じなかった。現実逃避をしていたのだろう。

 誘われるようにその場所をそっと覗く。

 植え込みをしゃがんで覗き込む異臭を纏った女はさぞ不審人物だったことだろう。

 葉っぱの間、丁度街灯が差し込む場所にそれはいた。

 およそ十センチほどの真っ白なハムスター、のような何か。

 一生懸命に頬袋へ変わった形の葉を頬袋へ詰め混んでいる。ハムスターと断言できないのは、背中に『仕事ちゅ』と書いてあるからだ。見た瞬間に目を擦ったけれど、気のせいではなかった。

 夢を疑ったが足裏に感じる小石や土、小枝の感触は本物だろう。

「……ネズミも労働するのか」

 思わず漏れた言葉は吐息くらい小さかったと思う。

 でも、そのネズミはビクッとその場で跳ね上がり、ピタッと硬直。

 つぶらな真っ黒いおめめが私を凝視していた。

「ご、ごめんね。もう帰るから気にせず……って、え⁉」

 慌てながらそんなことを口にした瞬間、パッとネズミが消えた。

 走っていなくなったのではなく、消えた。

 小さな、小さな本を残して。

 暫く呆然としたけれど、流石に小さな本を放って置けなくてそっと綺麗なハンカチで包む。この時ほど、吐瀉物をハンカチで拭わなくてよかったと心から思った。


◇◆◇


 小さな本を保護した私は,そのまま家へ帰ることにした。


 十分ほど待ったけれど、一向に小さなネズミは出てこなかったのだ。

 可愛らしい姿に癒されたお陰で無事に帰還を果たし、徹底的に全身洗浄。ついでに開きなおって週明け、汚いシャワーを浴びせてきた上司にタクシー代が足りなかったと深夜料金分を徴収。使っていないので丸儲けだけれど、彼らは私が何にお金を使ったのか確かめられないので迷惑料として貰っておく。

「散々だったわねぇ」

 そんなことを話すのは同期の子。

 愛嬌があるタイプなので中年社員からの評判がとても良い。立ち回りが上手いのだ。

「鈍くさいのよ、もう。私達用事があったからいけなかったけど……」

 ぴしゃりと切り捨てたのは同じく同期の女性社員。

 隙のない雰囲気を纏っているけれど、世話焼き気質の姉御肌だ。

 学歴も高い上に、本社から監査を兼ねてきているというのもあり上司たちも逆らえない。同じ部署に配置換えになって二か月がたっている。

「愛想がいいわけでも仕事ができるわけでもないから、なかなか断りにくくって」

「でも、今朝は随分はっきり意見してたじゃない。ちょっと見直しちゃった」

「流石にこれはひどすぎるって思ったし、精神的な面を考慮したらマイナスだよ。最近、ちょっと喫茶店巡りが楽しくてお金がきついっていうのもあるけど」

 どうでもいいことにお金かけたくない、といえば二人も頷いた。

 服や美容にもお金はかけないけれど、譲れないものはある。仕事よりプライベート優先なのだ。

 それをわかっている上司もいて、こっそりお勧めの店を教え合ったりしているのだけれど、そういう人って会社だと影響力はあんまりないんだよね。

 会社自体が発言したもの勝ちみたいな雰囲気が強いから。

「猫かぶってるつもりはないんだけど、新人さんには見下されがち」

「まぁ、人が良さそうだしね。何人かが『気が弱そう』『押しに弱そう』なんて言っていたから訂正しておいたわ」

 くすくす笑いながら注文したものを食べ始めた同期に頬を膨らませる。

 心外だったので。

「問題ないかなって時は引き受けてるだけだよ。そうじゃなきゃ断るし……上司の時は多少融通利かせるけど。嫌がらせされるのも嫌だし」

「変に現実的よね。そういえば元恋人から、何かリアクションあった?」

「即ブロックしたから知らなーい」

「知らないって……同棲っぽいことしてたじゃない。服とかどうしたのよ」

「その日のうちに商店街の魚屋から貰った年代物の発泡スチロールに突っ込んで外に出しておいた。朝見たらなかったから鳥に来たんじゃないかな?」

「……チャイム連打されたりドアを叩かれたりしなかったわけ?」

 それを聞いて笑顔を浮かべた。

「一言でも発したり、物音を立てたらお前の両親と会社に浮気していたクズだと証拠付きで即メール拡散します。宿泊費兼食材費と手間賃、慰謝料込みで三十万を現金書留で送ってください、って書いておいた。嫌なら荷物を持って、玄関の郵便受けに鍵を入れて下さいって書いといた。メモはガムテープで扉に貼ったよ」

 ついでに、カメラのシャッター音やチラシを剥がすようなそぶりを見せたらすぐにメール拡散しますとも書いておいたと告げる。

「……容赦ないわね」

「お金、もうちょっと絞れそうなのにいいの?」

「即金で払える額にしたの。もっと取っても良かったけど、今まで貰えなかった食費とかがメインだから向こうも文句言いにくいでしょう?」

 肩をすくめて笑えばその場にいた全員が納得していた。

 この話はこれで流れて、午後も仕事。こちらをチラチラ見る上司から逃げるように定時退社に成功した記念に、ほんの少し高いコーヒーショップで甘いドリンクを頼んだ。

「たまにはいいよね」

 カロリーの子とは考えない、と言い聞かせるように口にして私はあの公園へ足を向けていた。徐々に暗くなり始めた空に星がチラチラ瞬いて、なんだか口の端が持ち上がった。

 悪いことばかりではない、と感じられる瞬間のお陰で私はまだ立っていられる。

「この公園、意外と広いんだ」

 疲れ果てて歩いていたあの場所にはまだ遠いけれど、それでも雰囲気が少しずつ似て来ていた。夏の匂いが濃いのは草木が多いから。

 遠くに見える遊具がある場所から子供の声はしない。

「人もいない……」

 ざあ、と風が吹く。

 草と土の匂いに交じって微かに水の気配。

 近くに案内板があったので目を向けるとどうやら大きな池があるようだ。

 川から水が流れ込んでいる形のようで雨天時や災害時は立ち入り禁止になると書かれていることまで確認して、空を見上げる。

 最近、暑い日が多いと思ったら急に土砂降りになったりと忙しい。

「変な天気、か……変なのは天気だけじゃないってね」

 会社にいる上司の情緒が不安定すぎて非常に迷惑を極めているのだ。

 舌打ちをしそうになってどうにか堪え、小さな白鼠を見つけた場所へ足を進める。

 もし会えたら嬉しい、と思いながら通勤鞄の内ポケットにある小さな包みを思い出す。

 余りに小さくてかわいいので、ランドセル型小物入れに入れてしまった。ミニチュアを集めるのにはまっていた時、衝動的に買ったものだったのだけれど、サイズはぴったりであつらえた様に収まった。だから、それをそのまま持ち歩いているのだ。

「会えたら返したいな」

 真剣に本を見ている姿を思い出す。新人の頃を思い出すのだ。

 人のいない道を進んでいく。街灯が減って一気に湿度と暗さが増した気がする。

 先にうすぼんやりと見える街灯を目標に、心の奥で警戒心がグッと頭をもたげた。

 本能的な感覚だったと思う。でもその警戒は直ぐに必要なものだったと知る。

「……声、だよね」

 誰かいるのだ。

 声の低さから男性だと考えられるけれど、何を話しているのか不明瞭で聞き取れない。姿が見えないのも不気味で、息を顰めるようにして気配を探る。

 グッと胸の前で両手を組み、前かがみで足音を立てないよう、進む。

 視線は前方だけではなく前後左右。念のため時々上も見る。

 ありがちな小枝を踏む、なんて真似はしない。

 目を凝らし、耳を澄ませ、姿勢を低くする。

 一番怪しいのは左右にある雑木林だ。作られた木の生垣も怪しい。

 進むにつれて少しずつ声が大きくなってきて、話の内容が分かってくる。

 どうやら何かをだれかと探しているようだ。

 やがて、何かが視界の隅で動く。

 歩道側の生垣で何かが動いている。

 歩みを進めると男性が屈んで、芝の上を熱心に探っているようだ。

「ココで素材を探していた、というのは間違いないのか」

 問いに聞こえてきたのは「ちぅ」という鳴き声。

 どう見ても人ではないソレにハッと気づいた。

 一瞬躊躇して、でも確かに鞄にあるものを思い出し……いてもたってもいられなくて、勇気を出して足を踏み出す。

 ここで気づいたのは、私が『白いネズミ』を見た場所だということ。

「あの、探しているのってミニチュアサイズの本で──」

「そう小さな素材図鑑でずっと探して……おぬし、喫茶店の」

 パッと顔をあげた男を私は知っている。

 男が口にした喫茶店という単語で確信を持った。

「そうです。えーっと……探し物ってこれですか」

 鞄から取り出した小さなランドセルを男へ差し出すと、男はそれを摘まみ上げた。

 闇の中で白い手袋がぼんやりと浮いているように見えて、目を逸らす。

 駅員のような服装と特徴的なモノトーンの髪色は公園という場所に合わな過ぎて、異物感が強く残る。

 かちゃ、と丸眼鏡を正しい位置へ戻し、立ち上がる。

 座っている時には感じなかった威圧感に一瞬息を飲む。

「ありがとうございます。助かりました……代わりに礼を言います」

 ペコリ、と頭を下げた男の足元には小さなネズミ。つぶらな黒い瞳がじっと私を見上げていて思わず頬が緩む。

「外に出さない方がいいですよ。鴉も多いですから、ここ」

 じゃあ、と一言遺して背を向けた私の腕が何かにグイと掴まれた。

 驚いて振り返ると男が目を細めてじっと私を見下ろしている。

「──視えていらっしゃるんですね?」

 念を押す用に聞かれて戸惑い、後退るが腕を離す気はないようだ。

「俺の足元にいるものです。白い」

 戸惑いつつ頷く。視えているもなにも、しっかり懐いているではないかと視線を足元へ落とす。サッと白色が隠れた。

「視えているようだ。これは中々に面白い。失礼、こちら俺の名刺になります」

 パッと腕を離した男が流れるように懐から名刺れを取り出し、その一枚を私へ差し出した。まるで、映画館で半券を切るような動作に驚きつつ、反射的に受け取る。

 切り取られた紙面に浮かぶのは文字をなぞる。

使役省しえきしょう裏縁町うらえにしまち総合痕跡対策課そうごうこんせきたいさくか? しかも非正規職員って」

「協力関係にあって、適した仕事があった場合はそこから仕事が入ります。俺は対応するだけですね」

 調査費も出ます、とどこか得意げに胸を張る姿に胡散臭さが限界突破した。

 よほどひどい顔をしていたのだろう、男はひょいっと足元にいる白ネズミを摘まみ上げ、私の目の前に突き出す。

「これは『紙鼠』という名の妖。視える人間は限られる。ま、ゼロじゃないんですがここまでしっかり視えた上に『本』を回収できる人間はさらに少ない」

 じっとりと私の周りだけ灯りが落ちたような感覚に陥った。

 慌てて周囲を見回すと妙に、暗い。

 公園の片すみにある景色のままだし、時間的にも暗くなるけれど、それでもやはり、一段階明るさが落ちているように思う。

「……私は、落とし物を渡しただけです」

「お礼をします。今の仕事、善くないのでは? ほら、これ」

 ひらりと目の前で揺れるのは私の名前と会社名が書かれた名刺だ。これは、喫茶店で強請られて渡したものだ。

 嫌な冷たさが胃に落ちた。

「なんで、そんな」

「不正してますよ。上層部。あと、貴女を取り巻く雰囲気も良くないですね。ここ支社でしょう? 潰れるんじゃないですか。会社の考えは単純明快。優秀な人材は引き止め、それ以外は切り捨てて人数を減らし、仕切り直し。ねぇ、どうするのですか? きっと優秀な人間は出ていきますよ。ほら、火事が起こると真っ先に逃げ出すのと同じみたいに」

 グッと距離が近づいた。

 ふっと紙のような匂いと夜が混じったような不思議な香りが強くなる。

「叩けば叩くほど強くな紙でも、叩きすぎると痛むんです。そろそろ、大事に綴じられては? 口利き、できますよ。いまなら、ほら、ぽとふを教えて下さった親切には報いたいんで」

 どうですか、ねぇ、と静かに。

 声が出なくなった私を元気づけるように、男に持ち上げられていた白ネズミがじたばた暴れ始めたので慌てて両手を差し出して受け止める。

 やわらかくて、ちいさくて、あたたかい。

「ちぅ」

 小さな鳴き声。

 黒くてつぶらな瞳が私を見て、甘えるようにその頭を掌に擦り付ける。親指を優しくあまがみして、ぺろりと舐めた。

「ふぅん? 珍しいな……紙鼠は福鼠科の妖であまり他種族に懐かないのですが」

「そう、なの?」

 ぷ、と小さく鼻を鳴らすような鳴き声にほおが緩む。可愛い。

 すりすり、と私のてにほおずりするようなそぶりを見せて、すっかり警戒心を解いた紙鼠を見つめながら私は口を開く。

「さっきの話が本当だとして、確証がないまま仕事を買えるなんて真似は私には出来かねますね。生活があるんで」

「それもそうか。じゃあ、うーん、会社がつぶれる兆しが見えて俺の話を聞きたくなったらコレに『話を聞かせてほしい』と書いて、自分の部屋のポストへ入れておいてください。紙鼠がとりに行きます」

 そういって彼はどこからか『駅ノート』を取り出し、最後のページを破った。

 反射的に受け取ったものの、どこにでもある大学ノートと呼ばれる類のノートだ。

「……切手は」

「エコなので」

 では、と男はひょいと私の掌でくつろぐ白ネズミを鷲頭紙にして背を向け、公園の歩道へ戻っていく。

 その背中はすぐに視えなくなった。

 それからは一気に匂いも空気も温度も元通り。

「なに、いまの」

 祖母が良く口にしていた『狐に化かされた』という言葉が頭をよぎって、ポケットに入れっぱなしだった携帯を取り出す。

「はー……疲れてるんだ。私。きっと」

 そうに違いない、と自分に言い聞かせて早足で公園を出た。





ハムスターを飼っています。

幼少期はインコ、ハムスター、ベタ(熱帯魚)、イヌを家族の一員にしていました。

可愛い。

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