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喫茶店にて 2

 眼鏡ってやっぱり大事。

 丸眼鏡いずだいじ。

 行きつけの喫茶店では美味しい食事も提供されている。

出来立ての美味しい手料理は『よそゆき』の味がして何だかほんの少し、贅沢で懐かしい気持ちになるのだ。

 そんな中で、マスターがふふ、と小さく笑った。

「後でメロンソーダ持ってきてあげるわ。ジョッキで」

「ジョッキ! 喫茶店にジョッキ!」

「夜はバーとしても営業しているからジョッキはあるのよ」

 愉しげに笑うマスターに声がかかり、振り返る。

 そこには確かに男がいるのにマスターは少し戸惑った風で周囲を見回す。

「マスター?」

「え、ああ。こよりちゃんごめんなさい。なんだか呼ばれた気がして」

「いやいや、後ろにいるお客さんが呼んだじゃないですか。丸眼鏡の男性」

 ほら、と掌でここに、と席を示せば彼女は再び振り返って、そして酷く驚いた後に慌てて頭を下げた。どうやら本気で気づいていなかったらしい。

「ご、ごめんなさい私ったら……」

「かまわないさ。そちらの女子が食べていたポトフ、というのが欲しい。あとはダージリンとブルーマウンテンブレンド、めろんそぉだ、おれんじじゅーす、れもんすかっしゅ?というのも頼もう」

 変わった注文だったが、マスターは笑顔で聞き、カウンター奥へ。

 すぐに提供されたあのはジュース類だ。

 次にポトフが運ばれ、湯気を立てるコーヒーと紅茶も出そろった。テーブルは大量のカップやグラスに埋め尽くされている。

 異様な光景だったけれど、マスターは他の客に呼ばれて忙しそうだ。

 機嫌よくポトフを口に入れては目を丸くし、輝かせている男を見る。楽しそうだ。

 まぁ、関係ないので気にせず卵サンドにかぶりつき、ナポリタンを頬張っていると視線を感じた。

「……なにか?」

「その赤いものはナポリタン、という料理だったか。その、それは旨いのですか?」

「美味しいですよ。ケチャップが苦手じゃないなら、ですけど」

 なるほど、と頷いて結局男は頼まないまま次々に飲み物へ口をつけていく。

 あっという間に飲み物が消え、また別の飲み物を注文していく。先ほどからポトフ以外、すべて飲み物だ。

「飲み物ばっかりで飽きないんですか」

 思わず話しかけていて、パッと口を押えた。

 男はメロンソーダを吸い上げていたストローから口を話して真顔で頷く。

「こんな危険なものを体内に入れられるようになれたのだから、楽しまなければ『損』かと」

 変なことをいうな、と思ったがまぁそういう人もいるのだろう。

 この世界にいる人間は少なくない。

 ふぅん、と適当に相槌を打ったっきり会話はなくなった。

 私が満腹になって、ある程度気持ちが落ち着いてから携帯を開く。

 そこには大学の同期で最近、飲み会で再会後に連絡先を交換した子からのメッセージが届いていた。何気なくメッセージをタップして開くと、映し出されたのは写真。

「はぁああ?」

 地を這う様な声が出た自覚はある。

 隣の男がビクッと肩を揺らしたのが視界の端に映ったから。

 けれど、それどころではない。

 女が今日会う予定だった元カレと同じ画角に納まっている。

 しかも頬を寄せるどころか唇を頬につけている。成人して社会で日々戦う大人が到底するべきとは思えない行動にうっかりスプーンを曲げかけた。どうしてくれようか。

「……なにか?」

「い、いや……その、何を見たのかと」

 気になって、と目を忙しなく左右に泳がせている姿に意識して笑顔を浮かべ、スマホ画面を意外に整っている顔面へ突き出す。

 驚いたようにのけぞりつつ、少しずれた眼鏡を上げながらじっと画面を見つめ、首を横へ倒した。可愛くはない。

「若い男女ですね。距離の詰め方が中々に破廉恥ですが、これは?」

「独特な感想返されると冷静になれることを初めて知りました。補足で蛇足ですが……男は私とのデートをドタキャンし浮気女を選んだド屑」

「ド屑……」

「復唱ありがとうございます。では次。横にいる破廉恥を極めた女は、大学の同期で最近再会しました。連絡交換しただけで友達だと主張するタイプの泥棒猫です」

「泥棒猫……」

 へぇ、みたいな顔でマジマジと画像を見つめる姿に小さく咳払い。

 彼から画面を遠ざけた。

 舌打ちを一つしてから両者を即ブロック。ついでに同期友人や知り合った元カレの知人に分かれたものを敬意と画像付きで報告しておいた。

 イライラとした気持ちが収まらずにマスターにミルクセーキを注文。

 サイズはジョッキだ。ストローは合ってもなくてもいい。今なら何でもいける。

 注文を受けてくれたマスターに隣の男が私と同じものを、と便乗注文していたがもうどうでもよかった。

 沈黙の間をつなぐ店内の音楽に耳を傾ける。偶然、昔から好きだったアーティストの曲がかかって、肩の力が抜ける。ばかばかしくなってきたのだ。

「ふむ。男女というのは今も昔も総じて変わらぬもの、ということか。こういった輩は割と見てきたが大体、悲惨なことになっていたと記録していますね」

 隣から聞こえてきた声に驚く。

 私が視線を向けるとは思わなかったらしく、彼は少し驚いていたけれど笑顔で頷いた。

 そして懐から古い何かを取り出す。ボロボロの大学ノートだった。

 表紙には『駅ノート』と書いてあり、紙の部分も湿気か何かで膨らんだり寄れたりして分厚くなっていた。紙自体も黄ばんでいるし、一部にセロハンテープで補強された箇所も見受けられた。


「──昭和四十九年十一月二十一日。彼と旅行。ずっといきたかった旅館に泊まれるなんて嬉しい! 俺も嬉しいよ。何も気にせず一緒にいよう。この三日間は君のことだけ考えていられる。幸せだ。しあわせだよ」

 

 声色を変えて語られた、恐らくノートに書かれていたであろう文字たち。

 それを感情のない目が見降ろしている。

「昭和四十九年十一月二十二日。みつけた。絶対に許さない」

 訪れた不穏。え、と乾いた声が口からこぼれて店内の音が全て遠ざかるような感覚に襲われた。目を瞬かせるけれど、目の前の男は微動だにしないどころか瞬きすらしていない。のっぺりとした、紙に書かれた黒点のような無機質な目はノートから動かない。

「昭和十九年十一月二十四日。また日常に戻る。今度は家族で旅行に来ようと約束した」

 これを最後にパタン、とノートが閉じられ、ゆっくりと首がこちらを向く。

 妙に、人間味のない動きに見えた。


「……ね?」


 ふっと浮かんだ笑みは『ひと』じみていた。

 嬉しそうに、丸眼鏡の奥の目が弧を描く。嘘みたいに。

「ね、って言われても……どういうこと?」

 震えそうになる声をどうにか理性で制し、一般的であろう質問をする。

 男はおや、と目を瞬かせ、再び首を横に倒した。

「最初の書き込みは齢四十二の男と齢三十一の女です」

 懐かしそうにノートの表面を白い手袋をしたままの指が撫でる。

 その動きを見ながら、喉がからからに乾いていることに気づいた。

「次の書き込みは齢四十の女」

 ここまで話せばわかりますよね、と丸い瞳孔が私を映した。

 舌触りの悪いものを食べた時みたいな嫌なざらつきを覚える。

「不倫旅行に……奥さんが気付いた?」

「ご明察です。そして最後は齢四十の女が書き込みました」

「まって。奥さんだけ? 夫と不倫女はどこに行ったの? まさか、現地に?」

 離婚したのだろうか。離婚して、その場で慰謝料をぶんどったから「次は家族と」という風に書いてあるのだろうか。私なら不倫した夫とその女が止まった旅館には行きたくないけれど、と複雑な思いを抱く。

 私の問いに男は首を傾げたままお冷が入ったコップを持ち上げた。

 汗をかいたグラスに私の当惑しきった顔が歪んで映る。

「海へ。女の鞄には男の革靴が片方と指輪が入っています」

「……は?」

「海です。男も女も海へ。現地に残ったのは片方だけの革靴、汚れた赤いハイヒール。体は三日後に海から陸へ上がったそうです。良かったと思います。体はお互いちゃんと墓に納まったそうですから……ああ、この十一年後に齢四十の女の書き込みがありました」

 たしか、とどこからか同じように古びたノートを取り出す。そこには『駅ノート』と書いてある。表紙の隅には子供が描いたような落書きがった。

「ああ──昭和六十年十一月二十四日。記憶の地に家族と。そう書いてあります。きちんと二泊三日してそこには同じ筆跡で『美しい景色だったわ。清々しいほどに』と書かれています。これっきりこの女はこの線を利用していませんね」

 話を聞いて、理解した。

 真偽は分からないけれど、奥さんは自分の手で決別したのだと。そして、法に縛られることもなく人生を全うしたのだろう。

 喉が渇いていた。

「こういう話が割と多いんです。この女は珍しいタイプで、しっかり靴や指輪を持って帰った。片方だけですが。この数年後に別のノートに『新しい家族と旅行』と書かれています。そこには男性と子供らしい筆跡が二つあったので……そういうことかと」

 おさまりがいい話です、と男は無邪気に笑った。

 言葉を忘れた私に男は問う。

「この場所、教えましょうか? 御利益ありますよ」

「……いらない。屑に時間をかけるのは勿体ないから。人生は短いし」

「これは明言ですね。確かに、確かに! 記録に残りにくいものよりも、現実を選び取れるのは素晴らしいことです」

 多分、返事はしたと思う。

 あやふやで、そしてどこか他人事のような響きの。

 いそいそとノートを仕舞った男と何とも言えない表情をした私の間に音と空気が戻ってきた。

 それは今までいた店のもの。

 目を開けたまま寝ていたような奇妙な感覚に思わず周囲の様子を視線だけで探る。

 違和感はない。男以外は。

「こよりちゃん、お待たせ。特製ミルクセーキよ」

 目の前に置かれた優しい乳白色色。

 ふわりと鼻をくすぐるバニラと卵、牛乳が混ざり合ったような香り。

「あ……ありがとうございます」

「どういたしまして。お隣のアナタも、お待たせしました」

 どうぞ、とテーブルに同じものを置いたマスターの靴音が遠ざかる。

 戸惑いながらも手がミルクセーキが入ったグラスに触れ、刺さったストローに口をつける。私の嫌いなピンク色のストローだった。

 ちう、と吸い上げると口の中に冷たさと甘み。

 後からバニラの香りが満ち、鼻からふっと抜けていく。

「はぁ、美味しいですねぇ! これはとてもいい」

 上機嫌なまま隣でミルクセーキを吸い上げる男を見ない様にして、美味しい飲み物をひたすら胃へ流し込む。

 私の体の感覚が普段通りに戻ったのは、グラスの中身が半分になったあたり。

 ふぅ、と息をはいて椅子の背もたれに体重を預ける。

 ぼんやりと天井を見るとレトロな鉄製の傘を被った裸電球が揺れていた。

「ああ、そうだ。これも何かの縁」

 耳障りのいい声にビクッと肩が跳ねる。

 声の主は丸眼鏡の男だ。

「俺の名前は古紙屋こしや 帳記ちょうき。よくいる普通の男だよ」

 君は、と問われて私は渋々、自分の名を口にした。

「私は……こより。打紙うちがみ こより。普通の会社員」

「ほう。会社員。名刺を頂いても? 忘れっぽいもので」

 この日、この時、この場所で古紙屋 帳記に出遭った。


 運の尽きを記録に残すならば、私はこの日を挙げるだろう。


目を通してくださってありがとうございます。

すこしはホラーっぽい何かが出ていれば嬉しいのですがそれほど怖くはないかなと…。


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