佐伯先輩とひよ
私はいつも佐伯先輩にからかわれている。
天気がよくて、風が気持ちいい日だ。
私は中庭で菓子パンを頬張ろうとしていた。
大きく口を開いたところで、頭上から大きな手のひらが菓子パンを摘んだ。
菓子パンは先輩の長い指に摘まれて、そのまま大きな口に消えていった。
「佐伯先輩……」
私は先輩をじとりと睨む。
先輩は舌で唇と指を舐めてから、私の方をみてニヤリと笑う。
「ひよには大きいと思って食べてあげた」
悪戯っぽく微笑む先輩の顔に、私は弱い。
「もぅ、あげませんからね」
私は菓子パンを先輩から隠すようにして、かぶりつく。
「ひよは体に似合わず食い意地張ってるなぁ」
よっ、と声を出しながら、先輩は私の隣に座る。
一緒にいる友達は、口を開いて真っ赤な顔をしている。
そんな様子に目もくれず、先輩はにこにこと私をみている。
◇◇◇
佐伯先輩は私の1つ上の高校二年生だ。
182センチの高身長に、程よく鍛えられた体
、色素の薄い肌にアンニュイな雰囲気をまとっている。
どこぞのモデルのような風貌で、女子生徒達にものすごく人気がある。
そんな先輩は、何故か私をよく構う。
初めて会った時、私は階段で蹲っていた。
普段閉鎖されている屋上に続くこの階段は、殆ど人がいることがない。
この日、私は生理痛が酷かった。頭痛も酷くて教室のざわめきの中にとてもいられなかった。
保健室に行くことも考えたが、距離がそれなりにあるので諦める。
静かな場所にすぐに行きたくて、教室から近いこの階段に行く事にした。
私は目を瞑り、体育座りをして顔を埋めた。
廊下から話し声は少しはするものの、それでも教室にいるよりはだいぶマシだった。
お腹の痛みに耐えながら、早くマシになれと体にぎゅっと力を入れる。
「あれ、先客がいる」
そう声がして、顔を上げる。
そこには佐伯先輩がいた。
クラスメイトがよくきゃあきゃあと騒いでいた相手なので、私も顔は知っていた。
いつもの私なら、少しは心躍ったかもしれないが今はそれどころではなかった。
佐伯先輩は私の目線までしゃがみ、じっと私の顔をみつめる。
「具合、悪いの?」
「……頭と、お腹痛くて」
私はかろうじて言葉を返す。
今の私には、精一杯の返答だった。
先輩は立ち上がると、気怠そうに階段を降りていく。
私、感じ悪かったのかな。
ただでさえ体調が悪いのに、最悪な気分になる。でも、どうしたらよかったのよ……私はまた腕に顔をうずめた。
暫くすると、誰かが近づいてくる音が聞こえてきた。
これ以上嫌な気持ちになりたくなくて、私は腕にギュッと力を入れて、もう絶対顔をあげないと決意する。
足音は私の横で止まり、すぐ横に誰かが座った気配がした。
私の決意ははやくも崩れ、顔をそっとあげて横目で確認をする。
そこには、佐伯先輩が座っていた。
先輩は目が合うと、にこっと笑う。
そして、私の横にコーンポタージュの缶を置いた。
「お腹あっためるのに使って」
そう言うと、立ち上がり階段を降りていく。
私は慌てて、ありがとうございます!と叫ぶ。先輩はこちらを見ずに、腕をあげてひらひらと手を振った。
ーー私はこの日から、先輩に恋をしている。
先輩は、この日から私と会うたびに絡んでくれるようになった。
食堂で座っていれば、背後からのしかかってくるし、外にいれば校舎の中から名前をよんで、ひらひらと手を振ってくれる。
そして、何故か私をひよと呼ぶ。
「先輩、私何度も言いますけど、ヒナタです」
「えー、可愛いからいいじゃん。ひよで」
私は眉間に皺をよせるが、先輩はそんな私の眉間に指を当てて、ひよは笑顔が可愛いよと言う。
そう言われて、私は若干にやけるが、分別はついている。
先輩の私に対する可愛いは、小動物に向けるそれと一緒だ。
「そもそもなんで、ひよ、なんですか」
「ひよって、小さいじゃん?ひよこ、ひよ、だよ」
にこっと笑う佐伯先輩。
ほら、やっぱりそうだ。女の子扱いではない。
◇◇◇
「ヒナタ、私先に戻ってるね」
「あっ、待って……」
友達は気まずさに耐えられなくなったのか、先に教室に戻ってしまった。
佐伯先輩はそんな様子をニコニコと微笑みながらみている。
私は先輩の方に振り向いて、苦情を伝える。
「先輩……私の友達無視しないでください」
先輩はうーん、と唸った後、ニヤッと笑う。
「友達ならね。ひよほとんど喋った事ないんじゃないの、あの子」
私は図星を突かれて、ビクッと揺れる。
その様子を見て、先輩はやっぱりね、と呟く。
「だって、友達?俺にばっか話しかけてたし」
そう言って、私の目をじっと見つめる。
先輩は不思議な人だ。
その灰色の瞳に見つめられると、目が離せなくなる。
「俺が仲良くしたいのは、ひよだけだし」
そう言われて、胸が大きく高鳴る。
顔が熱い。絶対赤くなってる。
佐伯先輩はそんな私をみて笑って、私の頭を撫でる。
「本当、ひよは可愛いなぁ」
見上げると、先輩は何故か眩しそうに目を細めて私を見下ろしていた。
「あのひよこちゃんだっけ?佐伯のこと絶対好きだよな」
そんな会話が廊下から聞こえてきたのは、放課後だった。
私はあの日以来、時々屋上行きの階段にくるようになった。
一人になれるし、たまに先輩が来ることを知ったから。
先輩はここにくると、隣に座ってスマホを弄っていた。会話もするけれど、会話がなくても苦じゃない、そんな雰囲気が私は好きだった。
だから、今日もなんとなく来たのだけれど……来るんじゃなかった、と私は後悔した。
まさか自分の噂話を聞くことになるなんて……良い気分じゃないどころか、最悪な気分だ。
「いや、それはないんじゃない?」
その声に、私はぴくりと反応する。
先輩が、いる。
会話の中には佐伯先輩の声が聞こえた。
「いや、あれは好きでしょ。佐伯も罪な男だよなーあんな免疫なさそうな子にかまってさ。勘違いしてるでしょ、アレ」
数人の笑い声が聞こえてきて、顔に血が昇るのを感じる。
これ以上聞きたくなくて耳を手で覆う。本当はその場に行って否定したいくらいだ。私はそんな勘違いしてません!て。
「は?何言ってるの?」
先輩の声はいつもより低かった。
そして、静かに怒りを秘めているように聞こえた。
その場の空気が凍ったのが、見えない場所からもよくわかった。
少しの沈黙のあと、先輩が口を開く。
「あの子に、そういう汚い感情向けるの禁止な」
その声は、いつもの先輩の声だった。
私はそのまま、暫く動くことができなかった。
恥ずかしいやら、悔しいやら、そして……先輩が私に向ける感情がよくわからなくなってしまった。
先輩は、私をお気に入りのペットのような感覚でいると思っていた。
けれど、それであそこまで怒るんだろうか。
「ひよ?」
私はその声に、勢いよく顔を上げる。
そこには佐伯先輩がいた。
「先輩……」
「もしかして、聞いてた?さっきの」
先輩に困ったように笑いながら聞かれて、私は頷いた。
「ごめんなさい、聞くつもりなかったんですけど……」
「いや、こっちこそごめん。悪い奴らではないんだけど、デリカシーがないんだよね。欠落してるレベルで」
先輩は私の横に座る。
なんて話そうかと思っていると、先輩がポツリと呟く。
「俺、悪い男なんだよね」
予想外のはじまりに動揺しつつ、私はじっと話を聞く。
「昔からモテたからさ。女の子は結構、体だけの関係とかで。それ以外は別にいらないかなって思ってたんだ」
佐伯先輩がモテるのは知ってたし、そういう噂も沢山聞いてきた。だから知っていた事だけど、本人の口から聞くと、胸がちくりと痛む。
「軽蔑するよね。……ひよには嫌われたくないんだけどなぁ」
佐伯先輩は苦笑いをしながら、続ける。
「でも、あの日。ひよにここで会った日。一人で蹲って必死に食いしばってる、ひよを見て、なんか助けてあげたいって思ったんだよね」
あれは、初めての感覚だったなぁと先輩は呟く。
「そこから、ひよに興味が湧いて、純粋で可愛い姿を知って、もっと一緒にいたいって思ったんだよね」
この展開は……。
私の胸の鼓動は、どんどん大きくなっていく。
「ひよって、小さいのにいつも必死でさ。なんか、邪な目でみれないんだよね。……触れたら汚しちゃいそうで」
そう言われて、私は終わった……と思った。
告白前に、恋愛対象外宣言を受けたも同じだ。
一瞬告白されるのではと思った事がいやに恥ずかしい。
「……私、純粋じゃないです」
「え?」
私は、スカートの裾をギュッと握りしめながら、自分の気持ちを伝える。
「私、先輩の事、邪な目で見てます。全然好きです」
「ええ?」
先輩は目をまん丸に開いて驚く。
本当に気がついてなかったんだ、と私も驚く。
「そうなんだ……うーん、そうかぁ」
先輩は腕を組んで、何か悩み出す。
断りの言葉を考えているんだろう。
今日で、先輩との関係も終わってしまうんだろうか……私は胸が痛む。
「じゃあさ、こうしよう」
先輩は、ニヤリと悪戯っぽく笑う。
「ひよ、俺がひよを邪な目でみるくらい、俺のこと好きにさせてみて」
私の手を取って、先輩は手の甲に軽くキスをする。
「はやくしてね、俺の初彼女候補ちゃん」
「えっ……え?!?!」
予想外の展開に、私は大声で叫んでしまう。
そんな私を佐伯先輩は楽しそうに眺めていた。




