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新しい案件の獲得に向けた、勝負の大阪出張。
俺は東京駅のホームで、少しだけ緊張しながらの新幹線の到着を待っていた。
今回は既存の枠組みを超えたかなり大規模な組織改革の提案だ。資料は完璧だが相手の役員にどう響くか。
乗り込んだ車両は、比較的空いていた。俺の席は、3列シートの通路側、C席。 荷物を棚に上げ、席に座る。
すると、横から「すみませーん」と窓際のA席の乗客とおぼしき女性が話しかけてきた。
顔を上げると、そこには見慣れた鮮やかなピンク色のショートボブの月島さんがいた。
「……月島さん?」
月島さんらしき人が自席に向かっている最中に恐る恐る声をかけると、彼女は椅子に腰掛けた後にゆっくりと俺の方を向いてきた。その瞳が、驚きに少しだけ見開かれる。
「……あ。湊さん。やっほ」
月島さんはいつものローテンションな雰囲気で挨拶をしてくる。
「奇遇だね。まさか、同じ新幹線だなんて。出張?」
「ん。西日本に支社を作ったんだけど、その開設パーティなんだ」
「景気のいい話だねぇ……」
「や、本当に。こんなことするなら平社員エンジニアがいいよ」
「とか言って責任感は強いから今の立場は全うするつもりでしょ?」
月島さんはニヤッと笑って肩を竦める。
「湊さんは?」
「俺は大阪のお客さんのところでプレゼンなんだ」
「なるほどね。今日なの?」
「いや、明日。打ち合わせが詰まってるから前乗りしてるんだ」
「や、激務だねぇ……」
「月島さんは日帰り?」
「や、前乗り」
新幹線が滑るように動き出す。 俺たちの間には、誰も座っていないB席があった。俺はC席で、彼女はA席。
物理的な距離は近いが、間に空席が一つあるだけで、会話をするには少し声量を上げなければならない、微妙な距離感だ。
品川、新横浜と駅を過ぎても、B席に人は現れなかった。
すると、月島さんがひょいっと、真ん中のB席に移動してきた。
「……月島さん?」
「ここ、空きリソースでしょ。有効活用しないと、もったいない。少なくとも名古屋までは、ね?」
彼女は、当然のような顔でそう言うと、俺のすぐ隣、B席に深く腰掛けた。
「AとCの間にある、このB席っていう空間は、通常、他人同士を隔てるためのバッファゾーンとして機能する。でも、私たちが他人じゃないなら、このバッファは無意味なレイテンシを生むだけ……だから、最適化」
いつものロジカルで強引な理屈を車内の迷惑にならない声量で月島さんが呟いた。
俺の左腕と、彼女の右腕が、アームレストを挟んで、触れ合うか触れ合わないかの距離にある。その近さに、俺の心拍数は、新幹線の速度に比例して上がっていく。
「で、何の話をするの?」
「今晩のご飯。前泊だし楽しまないとね。お好み焼きでいい?」
月島さんは可愛らしく笑うと、スマートフォンを取り出して『大阪 お好み焼き』と検索を始めた。
◆
大阪に到着したのは、夕暮れ時だった。 ホテルにチェックインした後、俺たちは「前乗り同士の決起集会」という名目で、梅田の賑やかな居酒屋へと繰り出した。
「じゃ、湊さん。かんぱーい」
「乾杯」
ビールで乾杯し、串カツの盛り合わせをつつく。大阪の喧騒は、東京のそれとはまた違う、熱気と人懐っこさを含んでいる。
「……ねえ、湊さん」
『二度漬け禁止』とデカデカと書かれたのソースに串カツを浸しながら、月島さんが言った。
「『お土産』ってさ、不思議な文化だと思わない?」
「お土産? ああ、会社のみんなに買うやつ?」
「ん、そう。あれって、要するに『私は業務時間外に、あなたたちがいない場所で楽しい時間を過ごしてきましたが、あなたたちのことを忘れていたわけではありませんよ』っていう免罪符だよね」
「身も蓋もない言い方だね……」
「でも割高なお菓子をもらうくらいならコンビニスイーツの方が嬉しくない? や、まぁ職場での関係性を良くするって目的があるのはわかるけどさ」
「まあ、確かに『不在のペナルティ』みたいな側面はあるかもしれないけど……でも単純に『美味しいものを共有したい』っていう気持ちもあるじゃん?」
「共有ねぇ……でもさ、配られる側からしたら、個包装されたクッキー一枚で、『共有』された気分になる? 私なら、クッキー一枚より、その土地の空気感とかそこで得た知見とかそういう情報が知りたいよ」
「普通の人は糖分の方が嬉しいんだよ」
「……なるほどね。糖分による脳の報酬系の刺激」
「社内の空気を円滑にするためのコストとしては、クッキー一箱は安上がりだよ」
「ん。確かに」
月島さんは納得したように頷き、アスパラの串カツを齧った。
「でも、俺は好きだよ、お土産選ぶの。あの人にはこれがいいかな、とか、あの人は甘いもの苦手だからこれかな、とか。職場じゃなくて友人向けだけど……その人のことを考える時間そのものが、お土産の一部みたいなもんだよ」
俺がそう言うと、月島さんは、箸を止めてじっと俺を見た。
「……ふーん。なるほど。その発想、嫌いじゃない」
俺のお土産論がロジカルモンスターの月島さんに刺さったらしい。
「ね、湊さん」
「何?」
「……じゃあ、湊さんは、私には何を選んでくれるの? 今回の大阪出張。たまたま一緒になったけど、一緒じゃなかったら……くれてたよね? 私の新潟土産みたいに、さ」
不意打ちの問いに、俺は言葉に詰まる。
「え? いや、今回は一緒に来てるし……」
「それでも。湊さんが、私のことを考えて、選んでくれる『時間』は発生していたはず」
「まぁ……何かしら買うつもりではいたけども……」
彼女はまっすぐに俺の目をみてくる。瞳の奥にある静かな熱のようなものに、俺は完全に射抜かれてしまった。
「分かった。明日、帰る前に最高のお土産を探しておくよ。渡すのは、いつもの場所で」
「ん。期待してる」
彼女は、嬉しそうに目を細める。
「そういえばさ、月島さん」
「ん。何?」
「いや……なんかいやらしい話なんだけどさ」
俺がそう言うと月島さんは怪訝そうな顔で少し身体を前に寄せてきた。
「……経験人数とか?」
「そっちのいやらしいじゃないよ!? いい感じに酒が回ってるね!?」
月島さんは「さーもんさーもん」と言いながらヘラヘラと笑う。
「サーセンのノリで言われても……でさ、いやらしい話っていうのは、月島さんくらいの人なのにグリーン車に乗らないんだって思ったってだけ」
「や、さすがにそれは経理の許可が」
「景気の良くない話だね……」
「ま、乗ってもいいとは言われてるんだけど、グリーン車って遠い親戚の家の座布団みたいで苦手なんだ」
そういえばこの人は買い替えたら直後に新しいモデルが出て後悔するかもしれないという理由で洗濯機をいつまでも買い替えない変人だった。
「……その心は?」
「来客用にふかふかな座布団なのに、妙な緊張感があってくつろげない。せっかくのフカフカ座布団だからあぐらでもかきたいのに正座してる。そんな感じ」
「だからってせんべい布団にしなくても……」
「ふふっ。湊さん、普通車をディスったね? それ炎上するやつだよ? 庶民の味方を酷評したりするのはマイナスしかないから。ツナマヨおにぎりを食べなかったり水を800円で出したりさ。本音は課金した方が何事もいいと思っていても、口では安い方も『コスパがいい』くらいは言わなきゃだよ」
月島さんは微笑みながら一本50円の安物の串で俺を指してきた。
「それはコスパがいい?」
「や、これはガチ旨い。エグい」
「急に大学生みたいになるのやめてくれる!?」
「ふふっ……楽しいねぇ、湊さん」
月島さんはぐでんぐでんになりながらも穏やかに微笑む。炎上対策ではないと思わせられるその笑顔になぜだか嬉しさを覚えてしまった。
◆
宴もたけなわとなり、そろそろお開きかという頃。
「湊さん、明日の帰りは何時頃?」
「えっと、明日の商談が16時に終わるから……18時の新幹線を予約してるよ」
「18時か……私は、支社の視察が早めに終わる予定だったから、16時台のを取ってたんだ。何分?」
俺が「6分」と正確な時刻を伝えると、月島さんはポケットからスマホを取り出した。
「席は? 何両目?」
「えぇと……15号車の6番E席」
すると、月島さんは素早い手つきで画面をタップし始めた。
「……え、月島さん? 何を……」
「……よし、完了」
彼女は、スマホの画面を俺に見せた。そこには、『予約変更完了』の文字と、俺が予約しているのと同じ列車の、俺の隣の席番号――『6番D席』が表示されていた。
「ちょ、月島さん、わざわざ変更したの? しかも、俺の隣って……」
「ん。だって、帰りの時間に、一人でログを解析するより、湊さんと各々の『お土産話』でも共有した方が有意義な時間になりそうでしょ?」
彼女は、こともなげにそう言って、悪戯っぽく笑った。
「コインランドリーで話せばいいじゃん……」
「や、コインランドリーでも話す」
「そんなに面白い話ばかり仕入れられないけどね……」
「湊さん、ここは大阪。オチのない話は許されない」
月島さんは真剣な顔でジョッキを掴みそう言う。
「プレゼンもオチいるのかな……?」
「いるんじゃない?」
「マジか……見直さなきゃ……」
「ふふっ。冗談だよ。まだ帰られたら困るし、仕事のことは忘れよ?」
「明日ならそれもできるんだけどなぁ……」
「あ、それって明日も飲みに行こうってお誘い?」
「そんな毎日のように拘束していいの!? 忙しいんじゃないの?」
「湊さん、忙しいっていうのはね、嘘つきの言葉なんですよ。途中で忙しいと思ってしまうから忙しくなるんです」
「それ副社長が言うとガチっぽいからやめなよ!?」
「ふふっ……大丈夫。弊社はワークライフバランスは整ってるから。上層部以外は、ね」
「本当……身体は大事にするんだよ?」
「ん。家に主夫がいてくれたらなぁ。どこかにいないかなぁ」
月島さんはメニューを見ながらそう言った。
なんだこれ。遠回しなプロポーズか? いやいや、まさかそんな月島さんに限って……
酒の勢いも相まって、少し踏み込んだ反応をしてみることにした。
「ここにいるぞ!」
俺がそう言うと月島さんがポカンと固まる。
あ……あれ? 違ったのか?
やがて、月島さんは言葉を飲み込むとふふっと噴き出した。
「ふはっ……馬岱じゃん……ふっ……ふふっ……さすが湊さんだ」
そうなんだけどそうじゃなくて。
俺は「せやかて……」と言い淀み、ビールを口にしてそれ以上言うのを躊躇ってしまった




