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コインランドリーでいつも並んで読書をしているクーデレ美少女が取引先の副社長だった  作者: 剃り残し


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 金曜日の深夜、というより、もはや土曜日の未明。


 俺は、一週間の激務によって完全に放電しきりバッテリー残量がゼロになった体を引きずるようにして、いつものコインランドリーのドアを開けた。


 今週はプロジェクトが正念場で、連日タクシーで帰るような、そんな日々が続いていた。


 疲労困憊の頭で考えることは、一つだけ。この、山のような洗濯物を、ただ、機械に放り込んで、乾燥が終わるまで、無心で、その回転を眺める。それだけが、今の俺に許された、唯一の癒やしだった。


 店内には、俺以外に誰もいなかった。静寂の中、洗濯機がゴウン、と低い音を立てて回り始める。俺は、いつもの奥の席に、深く、深く、体を沈めた。持参したミステリー小説を開く気力すら、残っていない。


(……さすがに、今夜は来ないか……もう終わってるか)


 ぼんやりと、月島さんのことを思う。彼女もまた、俺と同じか、それ以上に、過酷な状況下にいるはずだ。こんな真夜中に、洗濯をしに来る余裕なんて、ないかもしれない。


 そう、諦めかけた、その時だった。


 ウィーン、と、聞き慣れた自動ドアの開く音。

 そこに立っていたのは、俺と同じように、目の下にうっすらとクマを作り、その鮮やかなピンク色の髪も、心なしか元気をなくしているように見える、月島さんだった。


 その姿を見た瞬間、俺のささくれだった心に、不思議と、安堵の感情が広がった。


「……お疲れ、月島さん」


 俺が、かろうじて声を絞り出すと、彼女もまた、力なく、こちらに手を上げた。


「ん……お疲れ。……こんな時間まで仕事だったの?」


「まあ、ね。月島さんこそ」


「私も、まあね。……今週は、ちょっとプロダクトリリースで燃えてたから」


 彼女は、そう言うと、俺の隣の席に、重力に引かれるまま、というように、どさりと腰を下ろした。俺たちは、どちらからともなく、深いため息をつく。


 もはや、会話をするエネルギーすら、残っていない。


 俺たちは、ただ、並んで、無言で、目の前で回る、それぞれの洗濯物を、ぼんやりと眺めていた。時が、止まったかのようだ。いや、この、疲労困憊の俺たちの脳内クロックが、極端に遅くなっているだけなのかもしれない。


 どれくらい、そうしていただろうか。


 俺は、こみ上げてくる、抗いがたい眠気に、逆らうことができなかった。


「ふぁ〜あ……」


 口が、意思とは関係なく、勝手に大きく開いていく。生理的な涙が、じわりと、目の端に滲んだ。


「……ごめん」


 俺は、一応、隣にいる彼女に、小さな声で謝った。すると、一瞬の間を置いて。


「……ふぁ……」


 月島さんもまた、小さな猫のようなあくびを、こらえきれずに漏らした。彼女は慌てて自分の口元を小さな手で覆っている。


 そのあまりにも無防備で、可愛らしい仕草に、俺の疲弊しきった心がほんの少しだけ和らいだ。


「はは……ごめん。あくび、うつっちゃった」


 俺がそう言って笑うと、彼女は眠たそうに目をこすりながら答えた。


「……別に……これは、共感性の高い人間の脳に、デフォルトで実装されてる、同調プロトコルでしょ。ミラーニューロンっていう、古いAPIが、トリガーになってるだけだから。不可抗力」


「同調プロトコル、か……。じゃあ、俺の『眠い』っていう信号が、Wi-Fiみたいに、月島さんに飛んでったってことか」


「……そんな感じ。私の脳が勝手に受信して、同じプロセスを実行しちゃったんだよ。……ああ、ダメだ。瞼が、重力に逆らえない……」


 彼女は、そう言って、また、小さなあくびをした。そして、俺が受信をしてまたあくびをする。


 二人で目を見合わせ、にやりと笑う。


 俺たちは、それきり、また黙り込んだ。


 だが、さっきまでの、ただ疲れているだけの沈黙とは、明らかに、何かが違っていた。


 お互いの「眠い」という感情が、目に見えないネットワークで接続され、同期されていくような、そんな不思議な、そして、穏やかな一体感。


 ただ隣に座っている。


 ただ、同じように眠い目をこすっている。


 ただ、それだけで、心がじんわりと温かくなっていく。


 一人で残業している時の、あの、世界から切り離されたような孤独感。


 それが今、彼女が隣にいるというだけで、まるで最初からなかったかのように溶けていく。


 月島さんがまたあくびをした。俺は特にあくびをしたくはならない。


 ちらっと横目に月島さんを見ると悔しそうに頬を膨らませていた。


「通信が不安定。やっぱり無線より有線接続だよ」


 月島さんはそう言って俺の手に自分の手を重ねてきた。そして、口を大きく開いているさまを隠そうともせずにまたあくびをした。


「……ふあぁ……」


「ふはっ……今の、わざと? 無理しなくていいのに」


「月島さんはうつった感がある方が嬉しいのかなって」


「ま、そうかもね。面倒なアルゴリズムで暗号化された私の思考を復号できる人は多くないから」


「……要はだるい性格で相手してくれる人がいないと?」


「ふふっ……見事な復号だね。そういうこと」


 月島さんはふにゃふにゃした声で答えた。深夜のコインランドリーには誰もいない。


 月島さんはそのまま俺の肩にもたれかかるように身体を預けてきた。


「人という字が、今できました」


 月島さんがそう言った直後、二人で「人という字は〜」と金八先生のモノマネを同時に繰り出す。


「ふはっ……今のあくびのシンクロよりレベル高いよ」


 月島さんがもたれかかったまま笑うと、俺の身体にダイレクトに振動が伝わってきた。


「ははっ! 確かに」


「人の漢字にもさ、多分モデルっているんだよね。何千年も前に」


「いるかもね」


「なんで足を開いて立ってたんだろうね、その人。まっすぐ気をつけをしてたら画数減ってたじゃん」


「あれって二本の足なの!?」


「違うの?」


「手と腕だって思ってたよ……」


「あー……そういうこと。確かに。二本足だと腕がないもんね」


「まぁ……足を広げて腕を組んでる姿って解釈もできるけどね」


「そのポーズだとして、古代人は何してたの?」


「それは言えてる……」


「やっぱりこの様子だよ。片方が無理やり支えてるとか、そういう屁理屈は要らなくてさ。二人でうたた寝してる、私達を前から見たら、人だよね」


「一人で寝てたら?」


「ノ。カタカナ」


「自立してる……」


「便宜上ね」


 二人でくだらない雑談をしていると、けたたましい電子音が鳴った。いや、二人とも静かな声で話していたので音量に対する感覚がおかしくなっていたんだろう。


 洗濯の、終了を告げるブザーだ。その音に、俺たちは、びくりと、同時に肩を揺らした。


「……終わった、みたいだね」


「……ん。終わったね」


 俺たちは、スローモーションのような動きで立ち上がると、それぞれの洗濯物を取り出し籠に放り込む。その動きすらも、なぜか、シンクロしているように感じられた。


「……なんだか、今日はいつもよりずっと疲れてるけど……」


 帰り支度を終え、店の出口に向かいながら、俺は、ぽつりとそう言った。


「……でも月島さんがいてくれて、よかった」


 俺の素直な言葉に、月島さんは足を止めこちらを振り返った。そして、眠たそうな、とろりとした目で、ふわりと優しく微笑んだ。


「……私も。また文字作ろうね」


「人?」


「や、69」


「何を言ってるの!?」


「ふふっ……なんてね」


 コインランドリーを出ると、ひんやりとした夜明け前の空気が、火照った頭を優しく冷ましてくれる。


 俺たちは、どちらからともなく、同じタイミングでもう一度大きなあくびをした。そして、顔を見合わせて小さく笑った。


「じゃあ、また」


「うん。またね」


 短い言葉を交わし、それぞれの家路へと、別れた。


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