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コインランドリーでいつも並んで読書をしているクーデレ美少女が取引先の副社長だった  作者: 剃り残し


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 俺は、いつものように、一週間分の洗濯物をバッグに詰め込み、コインランドリーのドアを開けた。月島さんはすでに到着していて、文庫本を広げている。


「お疲れ、月島さん」


「ん。お疲れ、湊さん……眉毛のコンディション、良好みたいだね」


 彼女は、俺の顔を見るなり、ニヤリと笑った。


「……おかげさまで。もうどっちが本物で、どっちが描いたやつか、俺にも分からない」


「でしょ? 私の最高傑作だから」


 そんな、軽口を叩き合える関係が、今はとても心地よかった。


 俺は、洗濯物を仕分けしながら、一枚のワイシャツを手に取って、ため息をついた。袖口に、小さな茶色いシミがついている。いつ付いたものか、全く記憶にない。


「あぁ……またやっちゃったな……」


 俺が、そのシミを指でこすっていると、隣から、月島さんが、きらり、と目を光らせたのが分かった。


「……湊さん」


「ん?」


「これは……事件の匂いがするね」


 月島さんは、読んでいた小説をパタンと閉じると、まるで名探偵が現場に臨場するかのような、真剣な顔つきで、俺の隣に立った。


「え? いや、事件って……ただのなんかのシミだよ」


「甘いね、湊さん。ただのシミじゃない。これは、この一週間の行動履歴が記録された、重要なログデータ。そして、過去の出来事を物語る唯一の物証だよ……そして、私たちには、この物証を分析し、真実を突き止める、義務がある」


 彼女のミステリー好きの血が騒ぎ始めているらしい。俺は、子供のようにはしゃぐ彼女の様子が、おかしくて、そして愛おしくて、このささやかな「警察ごっこ」に付き合うことにした。


「……分かりました、月島警部。では、鑑識作業をお願いします」


 俺が、芝居がかった口調でワイシャツを差し出すと、彼女は「よろしい」と、厳かにそれを受け取った。


 まず、彼女は、ワイシャツの袖口を、コインランドリーの蛍光灯に、何度もかざし始めた。


「第一段階、現場検証。シミの色は、黄みがかった赤みがかった茶色。形状は、不正形な飛沫痕。これは、液体状の物質が、ある程度の速度をもって、ワイシャツに付着したことを示唆している」


「なるほど……」


「第二段階、状況分析。付着箇所は、右の袖口。湊は、右利き。……つまり、犯行、いや、インシデントが発生したのは、湊さんが右手で何かを食べたり、飲んだりしている最中である可能性が、極めて高い」


 俺は、容疑者、あるいは、被害者の気分で、彼女の推理に聞き入る。


「……しかし、これだけの情報では、まだ犯人を特定するには至らない。最終段階に移行する」


 そう言うと、月島さんは、とんでもない行動に出た。


 彼女は、俺のワイシャツの袖口を、ためらうことなく、自分の顔へと、ゆっくりと近づけていったのだ。


「え、ちょ、月島さん!? まだ洗ってないよ!?」


 俺が止める間もなく、彼女は、その小さな鼻先をシミの部分に、くん、と寄せ、目を閉じて、深く息を吸い込んだ。更に服を抱きしめるようにクシャクシャにして服全体の匂いも嗅いでいる。


 その、あまりにも、無防備で、そして、官能的ですらある仕草に、俺の心臓は、大きく、ドクン、と跳ねた。他人が、それも、俺が一日中着ていたワイシャツの匂いを、こんなにも真剣に嗅ぐなんて……。


 俺は、彼女の長いまつ毛が、微かに震えているのを、ただ、見つめることしかできなかった。

 やがて、彼女は、ゆっくりと顔を上げた。その大きな瞳は、どこか、とろんとしているように見える。


「……特に、ヒントになるような匂いはしないね。醤油でもコーヒーでもない……」


 彼女は、そう言って、少しだけ、残念そうに眉をひそめた。そして、続ける。


「……ただ……」


 彼女は、俺の目を、まっすぐに見て言った。


「……湊さんの匂いがする」


 それは、鑑識結果の報告、というよりはただの事実の告白。


 そのあまりにもストレートな言葉に顔がカッと熱くなるのが分かる。


「そ、そっか……それは、その……俺のシャツだからね……」


 俺が、意味不明な返事をすると、彼女は、ふふっ、と、悪戯っぽく笑った。


「……さて。全ての証拠は、出揃った。これより、最終推理を披露しよう」


 彼女は、こほん、と一つ咳払いをすると、名探偵さながらに、ビシッと、俺を指差した。


「このシミの犯人は……火曜日のランチに食べた麻婆豆腐のラー油。君が、豆腐をスプーンから落とした瞬間、飛び散った一滴だ! どうかな、湊くん?」


 俺は、彼女の完璧な推理にただ驚愕するしかなかった。言われてみれば、確かに火曜日の昼、俺は部長と中華料理屋に行き、麻婆豆腐定食を食べていた。


「……すごいな、月島さん。なんで、そこまで……」


「ふふん。湊さんが、水曜日の定例会議の時、『最近、辛いもの食べると、翌日、お腹の調子が……』って、ぼやいてたログを、私は、聞き逃さなかった。全てのログは繋がっているんだよ、湊さん」


 月島さんは、満足そうに、そう言って、得意げに胸を張った。


「……参りました」


 することはないんだろうし、今時点では何もないのだけど、仮に将来付き合ったとしたら、浮気は確実にバレるんだろう、と肝に銘じる。


 事件が解決し、俺は、ワイシャツを洗濯機に放り込んだ。証拠は、もうすぐ綺麗さっぱり洗い流されてしまうんだろう。


 俺は、隣でどこか誇らしげな顔をしている月島さんを見ながら、思う。


 彼女は、こうやって、どんな些細なログも見逃さず、俺のことを、俺自身よりも、ずっと、理解してくれているのかもしれない。


「……でもさ」


 俺は、感謝と、そして、少しだけからかうような気持ちで彼女に言った。


「さっき、俺の匂いがするって言ってたけど……それってどんな匂いだったの?」


 俺の問いに、月島さんは、一瞬、きょとんとした顔をして、そして、次の瞬間、首まで真っ赤に染め上げた。


「……っ! ……し、知らない! 別にどんな匂いでもない! ただの観測結果の報告!」


 そう言って、彼女は、ぷいっと、そっぽを向いてしまった。



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