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コインランドリーでいつも並んで読書をしているクーデレ美少女が取引先の副社長だった  作者: 剃り残し


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 約束の土曜日の午後。俺は家に到着した人生で最も高価な家具を前に床に座り、落ち着かない気持ちで月島さんを待っていた。俺の殺風景な1DKの部屋には、その空間の主であるかのように、黒革のソファが堂々と鎮座していた。


 ピンポーン、と軽快なチャイムが鳴り、俺はびくりと肩を揺らした。来た。


 インターホンの画面に映っていたのはいつものラフなパーカー姿の月島さんだった。


 インターホン越しに「いらっしゃい」と言って月島さんを招き入れる。


 1分もしないうちに玄関チャイムがなり、月島さんが部屋にやってきた。


 その視線は今朝届いたばかりのソファに注がれている。


「やっほ、湊さん。四つん這いでお出迎え? ちょっと黒くなった?」


「こっちだよ!?」


「あ、本当だ」


 月島さんは俺の方を見てにやりと笑う。その手には袋が提げられていて、中には何かが入っていそうだ。


「それは何?」


「信玄餅」


 俺は無言でニヤリと笑っている月島さんの背後に回り込んで肩をつかみ、ソファからできるだけ遠ざけながら一人用のダイニングテーブルまで誘導する。


「ここで食べてくれるかな?」


「……あっちは?」


 いたずらっ子のような表情でソファを見ながら尋ねてくる。


「絶対にダメだよ!?」


「湊さん、それだけソファを大事にしてるなら、彼女も大事にしそうだね。少なくとも付き合いたては」


「イタリア美女ならね」


 月島さんは「む」と言って唇を尖らせた。


「国産は?」


「同じくらいに。まぁ、ソファと違ってゲロを吐かれたくらいで捨てるつもりはないけど」


「ん。模範解答である」


 月島さんは信玄餅の入った袋をテーブルに置くと「UAT(ユーザー受入テスト)を開始する」と宣言した。


 まず、俺たちは、まるで初めて触れるアーティファクトを前にするように、恐る恐る、ソファに並んで腰掛けた。二人で「おぉ……」とその感触に酔いしれる。


「あー……ハリがあるのに適度な弾力があって体を優しく包み込んでくれる。まるで若い女の肌みたいだね」


「せっかくのソファなのに汚い例え方はやめてくれる!?」


 隣を見て気づいたのだが、月島さんとの距離が近い。だが向こうは気にしていない様子。俺が意識しすぎてるだけなのか……?


「では次に、エンターテインメントコンテンツ視聴時におけるパフォーマンスを検証する」


 月島さんは、そう言ってリモコンを手に取ると、手際よく動画配信サービスを起動させた。


「湊さん、何見る?」


「何にしよっかねぇ……」


「じゃ、これ」


 俺が決めかねていると、月島さんはそそくさと映画を決めた。


「Mr.ビーン……?」


「ん。そう……ふはっ……」


 月島さんはその顔を見た瞬間に吹き出して笑い始める。


 万国共通の笑いに二人してケラケラと笑いながら時間を過ごす。時折、隣を見ると月島さんと目が合うと、月島さんはおどけた表情でからかってきた。


「月島さん……そんなに笑うんだね」


「や、私を笑わせられるのはローワン・アトキンソンと湊さんくらいだよ」


「俺ってそんなに滑稽かな!?」


「ふふっ……どうかな」


 月島さんにからかわれながらも、だが二人で同じところに笑いのツボがあることが判明した数時間を過ごす。


 映画が終わると、どちらからともなく、俺たちは、自然と本を手に取った。月島さんも俺の部屋にある本棚から気になった本を持ってきて読み始めた。そして、同じソファの上で、静かにページをめくる。


 それは、いつも繰り返してきた、コインランドリーでの光景。だが、場所が違うだけで、その意味は、全く違うものに感じられた。


 無機質な洗濯機の回転音の代わりに、窓から差し込む柔らかい午後の光が、俺たちを包んでいる。これは、俺たちの「日常」が、新しいフェーズへと移行した証のようでもあった。


 どれくらい、そうしていただろうか。ふと顔を上げた月島さんが、不意に言った。


「……湊さん。高負荷状態でのパフォーマンスもテストしないと」


 そう言うと、彼女は、自分のバッグから、携帯ゲーム機を取り出した。


「え? ゲーム?」


「そう。パズルゲームで対戦。短期的な判断力と長期的な戦略の両方が求められる。ソファの性能を測るにはうってつけ」

 ファの性能を測るにはうってつけ」


 有無を言わさず、俺にもコントローラーが渡される。


「湊さん、ぷよとテトリスはどっちが得意?」


「テトリスかな……月島さんは? これを持ってくるくらいだから玄人と見た」


「ん。ぷよで社内のゲーム大会で優勝したこともある」


「絶対勝てないんだけど……」


「大丈夫。勝ち負けじゃないから。ソファでやることに意味があるんだから。それに手加減してあげるよ」


 月島さんはウィンクをしてそう言った。


 ◆


 そこから先は、熾烈な、しかし最高に楽しいバトルが繰り広げられた。俺が負ける度に月島さんにハンデを付けていった結果、月島さんはソファに座りながらも脚をピンと伸ばし、素数を小さい方から数えながら、左手だけで操作をしてやっと俺が勝てた始末。


「ふふっ……やっと勝てたね」


「月島さんが強すぎるんだよ……あ、もう夕方だね……」


 昼間から始まった俺たちの長い「ユーザーテスト」は、気づけば窓の外がオレンジ色に染まるまで続いていた。


 部屋にはコーヒーの香りと、穏やかな疲労感と、二人分の満ち足りたような沈黙が漂っている。


 俺は前のめりになってコーヒーを飲み、カップをテーブルに置きながら尋ねた。


「それで……今日のソファの使い心地は……どうだった? 月島さん。テストは合格かな?」


 月島さんは、部屋全体をゆっくりと見渡し、そして、俺の目を、まっすぐに見て、ふわりと、今までで一番、柔らかく微笑んだ。


「まだ最終テストが残ってるよ。ソファの上で一番したいこと」


「うん……? あとは――うわ!」


 月島さんは有無を言わせない速度で、俺の腿を枕にして寝ころんだ。


「ソファの上でやることランキング堂々の一位。それはうたた寝」


「うたた寝って気づいたら寝てるってことだよね……? 月島さん、しっかり寝るつもりでそこに――」


 俺が突っ込みを入れていると、月島さんの顔から「すぅすぅ」と静かな寝息が聞こえてきた。


 さすがに寝落ちするまでが早すぎやしないだろうか。不思議に思いながら無防備な月島さんの耳をツンツンと突く。


 すると月島さんは「ひゃっ!」と可愛らしい声を出して身体をビクンと震わせた。


 そして、仰向けになり恨めしそうに俺を見てくる。


「寝るまで待てないの?」


「寝たら触ってもいいんだ……」


「ま……みっ、耳を触るくらいなら」


 月島さんは顔を真っ赤にして俺から逸らすように横向きになる。


「ん……湊さん30分したら起こして。その後、ご飯食べに行こ……」


 早くも声がトロンとしてきた月島さんはそのまま寝息を立て始めた。


 5分待って耳を触っても微動だにしない。完全に寝てしまったようだ。


 寝返りを打ってソファから落ちかけた月島さんを抱きかかえて自分の方に手繰り寄せる。器用にくるくると回転した月島さんは目を瞑ったまま仰向けになった。


 その寝顔を見ているとつい顔が綻んだ。いや、多分これはMr.ビーンで思い出し笑いをしているだけ。


 誰に聞こえるわけでもないのに、そんな強がりを心のなかで言ってしまった。




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