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コインランドリーでいつも並んで読書をしているクーデレ美少女が取引先の副社長だった  作者: 剃り残し


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19

 ソファを買いに行ったデートからほぼ一週間が経過した金曜日の夜。


 俺の頭の中は、いまだにあの日の出来事で占められていた。俺の部屋には不釣り合いな、黒いイタリア製の高級ソファが明日に届くことになっている。


 その事実だけでも現実味がないのに、それ以上に俺の心をかき乱すのは、喫茶店で交わした、あのパフェの地層に関する議論と、彼女の「一口、交換しよ」という、はにかんだような声だった。


 俺たちの関係は、一体どこに向かっているのだろう。


 そんな、答えの出ない問いを抱えながら、俺はまた、土曜日の深夜、コインランドリーのドアを開けた。


 今夜は、俺が先だった。いつもの奥の席に腰を下ろし、持参したミステリー小説のページをめくる。だが、活字はなかなか頭に入ってこない。洗濯機の低い回転音を聞きながら、俺は、無意識のうちにドアの方を何度も見てしまっていた。


 やがて、ウィーン、と間の抜けた音を立てて、自動ドアが開いた。現れたのは、月島さんだった。


 彼女は、俺の存在に気づくと、小さく片手を上げ、そのまま自分の洗濯物を手早く洗濯機に放り込んだ。そして、俺の隣の席に、どさりと腰を下ろす。


 その瞬間だった。


「……ん? あれ? 鍵、かけたっけな……」


 彼女は、誰に言うともなく、ぽつりとそう呟いた。


「今更気にする!?」


「ん、気になる。家を出る時はちゃんと指差し確認して、声も出して『ロック、ヨシ』って言ったはずなのに。その時の記憶のログが、なぜか今、破損してる。完全に、メモリから抜け落ちてる感じ」


「あー……わかる。すごくわかる。俺もたまにあるよ。一番確実なはずの、身体で覚えた行動の記憶が一番信用できなくなる瞬間。不思議だよね、あれって」


「不思議っていうか……人体の欠陥だよね」


 月島さんは、腕を組んで、真剣な顔で分析を始め、話し続ける。


「たぶん、ルーチン化されすぎたタスクだからだよ。毎日、同じ手順で、同じ動作を繰り返す。そうすると、脳が『これは最適化可能』と判断して、いちいち詳細なログを残さなくなる。いわば、処理のショートカット。でも、そのせいで、いざ特定のログを検索しようとすると、『該当データなし』って返される。……不便きわまりない仕様だよね」


「なるほどね……効率化が逆に不安を生むっていう、一種のパラドックスか。部屋の電気を消したか気になるやつもそうだよね」


「ん。『この服、昨日も着てたっけ?』ってなるやつね」


 独特なあるあるに心のなかで首を傾げる。


「でっ……出かけた後にコンロに火がついてないか気になるやつだよね」


「ん。朝起きたときに『寝る前に歯磨きしたよな……?』ってなるやつね」


 また共感しづらい観点が出てきたぞ。


「ふっ……風呂のお湯張りを始めた後に栓をしたか一応確認しちゃうやつね」


「そうそう。ふとした時に『押入れの湿気取りの交換期限、そろそろかな?』ってなるやつ」


「さっきから一つも共感できないんだけど!?」


「お、湊さんは真っ当な人だね」


 月島さんはにやりと笑い、話を続ける。


「でもさ、結局のところ、こういうのって自分を信じられるかどうかって話なのかもしれないね。鍵をかけたはずの過去の自分を、今の自分が、信じてあげられないっていう……人間って面倒くさい」


 月島さんはため息交じりに言った。


「あー……確かに」


「ね、湊さん」


 月島さんは、じっと俺の顔を見つめてきた。その大きな瞳は、何かを試すように、キラキラと光っている。


「うん?」


「私が、今ここで、『私、家の鍵、ちゃんとかけたよ』って言ったら、信じる?」


 その問いは、どれだけ私を信用できるのか? と言っているに等しいんだろう。


 俺は少しだけ考えて、そして、ゆっくりと頷いた。


「……うん。信じるよ。月島さんがそう言うなら、ちゃんとかかってるんだって思う。月島さんの家まで行って、ドアノブをガチャガチャ確認するより、よっぽど確実な気がする」


 俺の不器用で、でも正直な答えに、月島さんは、少しだけ驚いたように目を見開いた。そして、次の瞬間、ふわりと、本当に嬉しそうに、微笑んだ。


「……そっか」


 彼女は、そう一言だけ言うと、少し照れくさそうに、自分の膝の上で指を組んだ。


「……じゃあ、私も湊さんが『鍵、かけたよ』って言ったら、信じることにする」


「え?」


「こっ……これは……お互いの短期記憶を外部ストレージとして共有し合うだけ。必要な時にAPIコールして状態を確認する。……これって結構効率的なソリューションじゃない? 二人だけの信頼性のプロトコル」


 彼女はまた得意のIT用語でこの甘酸っぱいような状況をラッピングしようとしている。言っていることは意味がわからないけれど、その言葉の端々から、確かな温かさが伝わってくる。


 その時、ちょうど俺の洗濯機が、乾燥を終えるメロディを奏で始めた。


 俺が立ち上がって、温かい洗濯物を取り出していると、月島さんが、またぽつりと言った。


「……でもやっぱりちょっと気になる。鍵」


「ははっ! よっぽど自信がないんだね。あ、そうだ、月島さん。ソファのことなんだけど……」


 俺は、一番大事なことを思い出した。


「明日の午前中に届くらしいよ」


 俺がそう言うと月島さんは、当たり前のように「私も行く」と言った。


「そ……そうなの? わざわざ休みの日に来てもらわなくても業者の人が設置してくれるし大丈夫だよ」


 彼女は微笑みながら首を横に振る。


「や、設置した後からが本番だよね。ソファの上でできること、たくさんしようよ。ソファの上でできること、全部する」


「わざわざ言い直してまで池の水全部抜くみたいな言い方しなくていいから……そもそもソファの上でできることって何が――」


 狭いソファの上に成人が二人。よからぬ妄想が広がり始めたところで月島さんが「映画とかね」と言って我に返る。


「えっ、映画ね」


「ん。後は本を読んだりゲームをしたり」


「あー……そ、そうだね!」


「お土産に信玄餅とポテチとホームパイとカレーうどんを持ってくよ」


「全部ポロポロ落ちるか飛び散る系だね!? 汚す気まんまんじゃない!?」


 ラインナップの意図を汲み取ると月島さんは嬉しそうにはにかんだ。


「ふふっ……なんてね。しばらくは飲食禁止でしょ?」


「飲食禁止で自宅で映画っていうのもよくわかんない縛りだけどね……きな粉が使われてないなら良いんじゃない?」


「や、信玄餅を狙い撃ちだ……そういえば古いソファってどうしたの?」


「あー……そういえば粗大ごみの回収が明日なんだった……出そう出そうと思ってたんだけどさ。一人じゃ運ぶのも億劫だから直前までやってなかった」


「ふふっ……確かに。手伝おっか?」


「いやいや……月島さんに手を借りるのは申し訳ないよ」


「じゃ、私は上に乗ってるから。神輿みたいに担いでくれてもいいよ」


 ゲロ臭神輿にジト目で正座している月島さんの絵面を思い描くとつい笑ってしまう。


「絶対にそんな持ち方できないよ……」


「や、持ち方といえばさ、二人で持った時のことを考えてよ」


「うん……? 縦になって歩くくらいじゃないの?」


「ん。どちらかは後ろ向きに歩くんだよね。信用できない相手とペアで運べるのかなぁ? そもそもペアを組む人はいるのかなぁ?」


「う……確かに……引きずって持っていくつもりでいたよ……」


「なら、背中は私に任せて。信用できるこの私にね」


 月島さんはドヤ顔とサムズアップでアピールをしてくる。


「けど回収が明日の朝一番だから……結構早起きだよ?」


 月島さんは「うっ……」と言って首を小刻みに横に降った。


「明日の朝の自分を信用できないや……あ! なら今から運ぶのは?」


「こんな時間に!?」


「夜逃げみたいで楽しいよ、きっと」


「それって楽しいことなのかな!?」


「経験したことないことを経験するのは楽しいはず。どんなことでもね」


 月島さんはポジティブな笑顔で腕まくりをし、「私の洗濯、まだ時間かかりそうだし」と言って立ち上がった。



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