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コインランドリーでいつも並んで読書をしているクーデレ美少女が取引先の副社長だった  作者: 剃り残し


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 インテリアショップを出た後、口直しならぬ、気分直しのために、近くのレトロな喫茶店に入ることにした。


 使い込まれた木のテーブル、心地よいジャズのBGM、そして、コーヒーの香ばしい匂い。さっきまでの、洗練されすぎた非日常的な空間とは違う、どこか懐かしい空気が高額な買物で高ぶりすぎた感情を、ゆっくりとクールダウンさせてくれる。まぁ俺は1円も出していないのだけど。


 メニューを広げると、そこには色とりどりのパフェの写真が並んでいた。ランチのために来たのだが、これはこれでアリ。


「月島さん、なんかパフェで1500円が安く感じてきたよ」


「ふふっ……金銭感覚がバグってるじゃん。そういう時は甘いものが一番の特効薬だよね。脳のバグは、糖分でデバッグ」


 月島さんは、そう言って、迷うことなく「季節のフルーツとミルフィーユのパフェ」を指差した。俺は少しだけ迷って、なんとなく落ち着いた気分の「抹茶とわらび餅の和風パフェ」を注文した。


 やがて、二つの、芸術品のように美しいパフェが、俺たちのテーブルに運ばれてきた。


 俺の抹茶パフェは、深い緑と白、そして黒蜜の茶色が織りなす、まるで日本庭園のような、静謐な佇まい。


 一方、月島さんのフルーツパフェは、イチゴ、キウイ、オレンジ、ブルーベリーといった色とりどりのフルーツが、クリームやパイ生地の層と複雑に重なり合った、華やかで、どこかモダンアートのような出で立ちだ。


「うわぁ……すごいね」


 俺は感心して呟く。月島さんは「ん」と喉を鳴らし、容器を左右から覗き込んで層を観察している。


 その様子を見ながらスプーンを手にして自分のパフェに手を付けようとした瞬間、月島さんが俺を制してきた。


「待って、湊さん。いきなり上からいくの?」


「え? 上からじゃないの?」


「甘いね、湊さん」


「まぁ……パフェだし?」


「パフェっていうのは、複数のレイヤーで構成された、緻密なシステムなんだよ。上から、フルーツ層、クリーム層、パイ生地層、アイス層……って、それぞれのモジュールが、明確な役割を持って配置されてる。これを、考えなしに上から崩していくのは、美しいコードをスパゲッティにするのと同じ行為だよ」


「スパゲティ……パスタが食べたくなってくるね」


「ふふっ……食べ過ぎ」


「ちなみに月島さん的には別のお作法があるの?」


「ん。垂直方向に、スプーンを深くいれる。これにより全ての地層を一度にすくい上げて、口の中で統合する。そうすることで初めて設計された本来のフレーバーアーキテクチャを体験できる。地質調査みたいなものだね」


 地質調査……。この人はあらゆる事象を自分なりのロジックで再定義しないと気が済まないらしい。


「なるほどねぇ……じゃ、別の視点から。パフェは物語とも言えるかもね。上から順に食べ進めていくことで、味が変化していくのを楽しむ。起承転結。最初の一口と、最後の一口じゃ、全く違う読後感ならぬ食後感があるはず。それを味わうのが、パフェの醍醐味という解釈はどうかな?」


 俺がそう反論すると、月島さんは「湊さんの解釈も一理ある。シーケンシャルなユーザー体験か……」と、少しだけ納得したように頷いた。


「ま、でも湊さんの方式だと最後にかさ増しのコーンフレークだけが残るけどね。話のオチは毎回コーンフレーク」


 月島さんはにやりと笑いパフェの最下層にいるコーンフレークを指差す。ぐぬぬ……


「こっ……これはかさ増しじゃなくて、世界を支えてるんだよ」


「じゃ、地球の下にいる亀と同じだ」


「そういうこと。象もいる」


 お互いにお互いのこだわりを押し付けることはせず、俺たちは、それぞれの流儀で、自分のパフェを食べ始めた。俺の抹茶パフェは、ほろ苦い抹茶アイスと、もちもちのわらび餅、そして上品な甘さのあんこが、絶妙なハーモニーを奏でていた。美味い。


 だが、俺の視線は、いつの間にか、隣の月島さんのパフェへと吸い寄せられていた。彼女がスプーンですくい上げる、キラキラとしたフルーツと、サクサクのパイ生地。それは、俺の抹茶パフェにはない、華やかさと、祝祭感に満ち溢れているように見えた。


「ねぇ、月島さん。変なこと聞くけどさ」


「なに?」


「なんで自分の頼んだものより、相手の頼んだものの方が、美味しそうに見えるんだろうね、こういう時って」


 俺の言葉に、月島さんは、スプーンを口に運びながら、少しだけ考える素振りを見せた。


「ああ……それは、典型的な認知バイアスだよ。いわゆる、『隣の芝生は青い』現象。自分が選択しなかった方の未来を、無意識に美化してしまう。人間の脳のバグだよね」


「バグ、か。なるほど……」


「そう。湊さんは今、私のパフェの味を頭の中でシミュレーションしてるわけ。でも、そのシミュレーション結果は、実際の味とは無関係に、『選ばなかった』という後悔の念によって、過剰にポジティブな補正がかけられている。だから、もし実際にこれを食べたら『あれ、思ったほどでもないな』ってなる可能性が高い。つまり、今感じてる『美味しそう』は、幻想だってこと」


 彼女は、完璧なロジックで、俺の感情をバッサリと切り捨てた。その通りかもしれない。でも……。


 俺は、ふと気づいた。


 月島さんが、完璧なロジックを展開している、その間も。彼女の視線が、俺の抹茶パフェの上に乗っている、ぷるぷるのわらび餅と、白玉団子に、何度も、何度も、吸い寄せられていることに。


 彼女のスプーンの動きが、わずかに、遅くなっている。


 彼女は、自分のパフェを一口食べ、そして、ちらりと、俺のパフェを見る。


 何かを言おうとして、口を開きかけ、そして、また閉じる。


 テーブルの上の、お冷のグラスを、意味もなくいじっている。


 ……もじもじしている。


 月島さんが、俺の抹茶パフェを前に、明らかに、もじもじしている。


 その、彼女の完璧なロジックと、隠しきれない本能的な欲求との、あまりにも可愛らしい矛盾。俺は、その光景が、愛おしくて、たまらなくなった。


 俺は、彼女の矛盾を指摘するような、野暮なことはしない。ただ、黙って、彼女が、彼女自身の心のバグと、どう向き合うのかを、見守ることにした。


 数秒か、あるいは数十秒か。まるで、重いプログラムが処理を終えるのを待つような、そんな不思議な沈黙の後。


 月島さんは、意を決したように、顔を上げた。その頬は、ほんのりと赤い。


「……ねえ、湊さん」


 彼女は、小さな、ほとんど聞こえないような声で、言った。


「……一口、交換しよ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は、もう、笑みを抑えることができなかった。


「ははっ……どうぞ」


 俺は、できるだけ優しく答えて容器を月島さんの方へ寄せると、月島さんは「食べさせて?」と言ってきた。


 月島さんは手本を見せるように、自分のパフェを、スプーンで一口分丁寧にすくい上げる。だが、すくったのは一番上の層だけ。


「湊さんは上から順番」


 月島さんはそう言って数回に分けて層ごとに俺の口に運んでくれた。


 お返しに地質調査のようにコーンフレークの層まで一気に抹茶パフェをすくい、なるべく多くの味が含まれるようにして月島さんの口元へと運ぶ。


 だが、慣れていない事をしたせいでコーンフレークがスプーンからこぼれ落ちて月島さんの服に落としてしまった。


「あっ……ご、ごめん!」


「ん。気にしないで。コインランドリーで洗えばいいし」


 月島さんは顔色一つ変えずにそう言う。


「何もしても結局あそこに行くことになるんだね……」


「ん。そう。このコーンフレークが私達をあの場所に導くわけだね」


 月島さんはそう言うと服についたコーンフレークをつまみ、そのままぺろりと舐めて口へと運んだ。




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