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コインランドリーでいつも並んで読書をしているクーデレ美少女が取引先の副社長だった  作者: 剃り残し


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 湊さんの自宅ソファにおける重大インシデント。そのログは、私の脳内に警告レベルの表示で残り続けていた。


 物理的な損害を与えた以上、弁償するのは当然の責務。相手が相手なら器物損壊罪だろう。だが問題は「何を」買うかだ。湊さんのソファの選定。それは、極めて高度なタスクだった。


「……はぁ」


 私は、休憩スペースで自販機のブラックコーヒーを片手に、無意識にため息をついていた。湊さんの1DKの部屋。そこに置くべきソファの最適解が、どうしても導き出せない。


「月島さん、お疲れ様です! なんだか、珍しく悩みがありそうな顔してますけど、どうしたんですか?」


 背後から、ハイテンションな声が聞こえた。田中さんだ。


「や、別に……ちょっとね。考え事」


「ふーん。あっ、そうだ、月島さん! 福利厚生で最新のオフィスチェアを導入しようと思ってるんですけど、メーカー選定で悩んでまして。月島さんって、ガジェット系お詳しいじゃないですか。何かいい家具のメーカーって、知らないですか?」


「家具かぁ……むしろ私が知りたいんだよね。ちなみに、アラサー高収入独身男性が、一人暮らしのリビングに置いてるソファってどのくらいするんだろうね」


「え……? は、はあ……なんというか、すごくピンポイントな基準ですね……? どこでしょう……。っていうか、どうしたんですか、急にソファなんて」


「や、ちょっとね。弁償しないといけなくなったんだよね、ソファ」


「べ、弁償!? え、どういうことですか!? 何か壊しちゃったんですか!?」


 田中さんが素っ頓狂な声を上げた。


「……ん。まあ、物理的に破壊したわけじゃないけど……その……吐いちゃったんだよね。ソファに」


「何をしてるんですか……」


「や、確かに一番悪いのは、全面的に私だよ。自分の酔いのキャパシティを見誤ってたし、身体が発するアラートを完全に無視してた。完全に私のヒューマンエラー。でも、二番目に悪いのは、絶対にあのタクシーの運転手。すっごい運転が粗かったんだ」


「へぇ……。そんな運転手さんがいるんですね、今の時代に」


「ん。ま、一応理由はあって。好きな子に振られたのがショックだったらしい」


「あー……気持ちは分からなくもないですけどねぇ……仕事が手につかないって感じになりますよね」


 田中さんは遠い目をして共感を示した。恋愛というものは、人間のパフォーマンスを、そこまで著しく低下させるものなのか。


 その時、田中さんのカバンの中から、突然少し懐かしいJ-POPが流れ出した。


「わっ! すみません! アラームです。サイレントモードが切れてました!」


 田中さんは、慌ててスマホを取り出して音楽を止める。


「その曲……なんだっけ?」


「え? あゆですよ、あゆ」


 好きな子に振られて、アユが好きで……。 いや、さすがにそんな偶然あるわけ無いか。


 ◆


 ソファを買いに行く、その前日の金曜日の深夜。 俺はいつもより少しだけそわそわした気持ちでコインランドリーの洗濯機が回る様子を見つめていた。


 一体、何を着ていけばいいのだろうか。 ランチはどんな店に誘えばいいのだろうか。 彼女は楽しんでくれるだろうか。


 そんな問いを頭の中でぐるぐると繰り返していると、ウィーン、と自動ドアが開く音がした。


 入ってきたのは月島さん。


 だが、今日の彼女は、いつもと少し様子が違った。手に持っている洗濯物のバッグが、やけに大きい。月島さんは俺を見ると手を振り、そそくさと洗濯機の前に向かった。


「月島さん、こんばんは。今日は洗濯物多いんだね」


 俺がそう声をかけると、彼女は、びくっ、と分かりやすく肩を揺らして振り向く。そして、あからさまに視線を逸らしながら、早口で言った。


「あっ、こ、これは別に! 明日の候補にしてる普段着以外の服が、クローゼットの奥でしわになってたから、念のため持ってきたとか、そういうわけじゃないから! 断じて!」


 すべての事情や部屋の光景を暴露する言い訳に、俺は思わず笑ってしまった。


「……なるほどね」


 俺が、全てを理解した上で、そう一言だけ返すと、月島さんは、顔を真っ赤にして、「うぅ……」と小さく呻き洗濯機の方を向き直した。


 その背中を見送りながら、俺は、どうしようもなく込み上げてくる愛おしさを感じていた。あの、会社では誰もを黙らせる天才CTOが、明日のデートのために、着ていく服で悩んで、こうして深夜に洗濯に来ていることに。


 洗濯機を回し終えた月島さんが、少し気まずそうに俺の隣に座る。


「……初めてのデートってさ、何ていうか、製品のローンチみたいだよね」


 月島さんはふとそんな事を言いだした。


「え? ローンチ?」


「ん。それまでに色々準備して、自分なりに最高の状態に仕上げて、市場に投入するわけでしょ? でも、実際にユーザー……ってか相手がどういう反応をするかは、出してみるまで分からない。ドキドキするよね」


「……確かに。究極のユーザーテスト、って感じかもね」


「テストの成功基準は……相手に『また会いたい』って思ってもらうことかな?」


「そうじゃないかな」


「なら……実はもうテストは要らなかったり?」


 彼女はそう言って、自分の洗濯機が回るのを、じっと見つめている。ソファの一件から妙な気まずさというか変な距離感があり、お互いにそれ以上深くは突っ込まない。


 やがて、二人の洗濯機が、相次いで終了を告げる。店内には、俺たち以外の客はいない。


 乾燥を終え、隣で温かい洗濯物を取り出しながら、月島さんが不意に何かを決意したような顔で俺を見た。


「……ね、湊さん」


「うん? 何?」


「誰もいないし、ちょっとテストに付き合ってくれない?」


「え? テストって……?」


「A/Bテスト。WEBサイトのデザインやUIなんかでいくつか候補があるときに、よりユーザに受ける方を採用するって方法」


 月島さんは大きな洗濯物のバッグから、ためらいがちに一枚の服を取り出した。それは、普段の彼女が着ているようなラフなTシャツではなく、綺麗なラベンダー色の、少しフェミニンなデザインのブラウスだった。


「……で、これがオプションA。どう? 直感的? それとも、ちょっと分かりにくい?」


 彼女は、自分の体に、そのブラウスを当ててみせる。鮮やかなピンク色の髪と、淡いラベンダー色の組み合わせ。それは、俺が今まで見たことのない月島さんで、あまりの不意打ちに、俺の思考は完全に停止した。


「え、あ、いや……その……すごく、いいと思う。カラーパレットの親和性も高いし、全体的な……その、シルエットも、非常に効果的というか……」


 俺の意味不明な感想に、月島さんは少しだけ眉をひそめた。


「……もっと、シンプルな感想でいいんだけど。例えば、『似合う』とか、『似合わない』とか」


「に、似合う! すごく似合うと思う!」


 俺が慌ててそう言うと、彼女は「ふーん」と、少しだけ満足そうに頷いた。そして、今度は、黒いシンプルなワンピースを取り出す。


「じゃあ、こっちは? オプションB。こっちは、さっきのとはアーキテクチャが違う。よりモノリシックな設計思想」


 黒いワンピースを体に当てる月島さんは、さっきとはまた違った、ミステリアスでどこか儚げな魅力があった。俺は、もう、言葉が出なかった。ただ、その姿に見惚れてしまう。


「……湊さん? どうしたの? フリーズしてる」


「あ、いや……こっちも似合うよ。どっちも、すごくいい。どっちもすごく……似合ってる。だから、その……困る」


「……困る? なんで?」


「あー……いや……その……どっちも良すぎて選べないといいますか……」


「ふふっ……サンプルサイズ1のA/Bテストなんて、統計的に何の意味もないから。好きな方を選べばいいじゃん」


「な、なら……その黒いワンピースで」


 月島さんは一度頷くも途中で動きを止めてニヤリと笑った。


「明日、何を着て来るのか楽しみにしててね」


「違う可能性もある?」


「や、それは乱数次第かな」


「乱数で決めるの!?」


「サンプル数は1だからなぁ。どうしよっかなぁ」


 月島さんは絶対に黒いワンピースを着てくるというフリをしている。それがわかるくらいにニヤニヤしながら黒いワンピースを丁寧に畳んでいた。



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