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コインランドリーでいつも並んで読書をしているクーデレ美少女が取引先の副社長だった  作者: 剃り残し


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 焼き鳥屋での、あの温かくて、少しだけ甘い空気。それは、俺の人生において、最も嬉しい、そして最も処理に困る負荷だった。


 そんな余韻に浸りながら会計を済ませ、彼女の肩を抱えるようにして、深夜の冷たい空気の中へと踏み出した。


「……んー……湊さん、帰る?」


 月島さんがぐーっと伸びをしてそう言う。


「月島さん、しっかりね。家ってどっち?」


「ん。あっち……って生活圏は同じなんだし方向も同じだよ」


「確かに……」


「ふふっ……だいぶ酔ってるじゃん」


「お互い様でしょ」


 月島さんは千鳥足で俺に寄りかかると手を挙げて通りがかりのタクシーを拾ってくれた。そのまま二人で乗り込む。


「お客さんたち、どちらまで?」


 運転手の気の良さそうな声に、俺は自分の住所を、月島さんは彼女の住所を、それぞれ伝える。


「じゃあ、お兄さんの方からですねェ」


「はい、お願いします」


 俺たちが後部座席に並んで座り行き先も決定すると、タクシーは静かに走り出した。車内には、少し古めかしい女性ボーカルのラブソングが、結構な音量で流れている。


 時々、運転手が鼻をすすっているのは泣いているからなのか、単に鼻炎持ちなのか。後者だと思いたいのだが、深夜のタクシーで平成のラブソングが流れている異常事態に話を切り出せない。


 そんな状況にも物怖じしない月島さんはジト目で「何これ?」とぼそっと呟いた。


「あァ……俺ェ、好きな子に振られちゃってェ……。その子が……あゆが好きでェ……あ、その子は園子って名前じゃないんですけどねェ」


 なんとなく、振られた理由の一端を垣間見た気がした。


「お二人はいいですなァ、ラブラブで。見てるこっちが羨ましくなっちゃいますよ」


 勘違いされている。俺は月島さんの顔を窺うと、彼女もまた、俺のことを見ていた。そして、無言でアイコンタクトを交わし、お互い、ジトっとした、なんとも言えない目つきになる。


「……アユ? 魚?」


 月島さんが、小首を傾げて呟いた。


「あ、いや、浜崎あゆみの方で……。ほんで、まァ、願掛けみたいなもんで、流してるんすわァ。すみませんねェ、お客さん」


 運転手の悲哀に満ちた声と、月島さんの天然なボケが、車内で奇妙なハーモニーを奏でている。だが、そんな感傷に浸る間もなく、俺はある異変に気づいていた。


 運転手の運転が、妙に荒い。失恋のショックからか、車は急発進と急ブレーキを繰り返し、カーブでは必要以上に遠心力がかかる。その緩急のついた運転に気持ちが悪くなってきた。


「……月島さん、大丈夫?」


 運転手に聞こえないよう、身体を近づけて耳打ちする。


「……ん、今のところは、まだ……大丈夫。湊さんは?」


「俺も、なんとか……」


 そうは言ったものの、熱燗とビールのアルコール、焼き鳥の脂、そしてこの不規則な揺れが、俺の三半規管を確実に蝕んでいくのを感じていた。


 ◆


 やがて、タクシーは俺の住むマンションの前に到着した。


「お客さん、着きましたよォ」


「は、はい、ありがとうございます……」


 俺が財布を取り出し、ここまでの料金を払おうとした時だった。隣で、月島さんが、おもむろにドアを開けて、さっさと外に降りてしまったのだ。


「え、月島さん!?」


 現金のやり取りを済ませてタクシーを降り、月島さんの方に向かって車をまわりこむ。月島さんは運転手に「ここまでで大丈夫です。ありがとうございました。元気出してくださいね」となんだかんだで優しい言葉を投げかけた。


 運転手はウィンクをしながら人差し指と中指だけを伸ばして敬礼をした。多分、振られた理由の一つはそういうとこだぞ、と思いながら走り去るタクシーを見つめる。


「月島さん、降りて良かったの?」


「……ん。良くないけど良かった。アレと、この後二人っきりは、ちょっと……ミッションクリティカルな事態を招きそうだから」


 月島さんは、黄色信号で無理やり直進していったタクシーを見ながら真顔でそう言った。


「……確かに」


 俺も、彼女の判断に同意せざるを得なかった。


 タクシーが走り去った後、俺と月島さんは、深夜の静かな住宅街に、ぽつんと取り残された。お互いの家からコインランドリーまでは徒歩圏内。つまり、ここから月島さんの家も徒歩圏内のはずだ。


 だが月島さんは帰る素振りを見せず、俺の住む、ごく普通のマンションを見上げている。


「ふーん。……ここが湊さんの自宅か」


「……そ、そうだよ」


「で、このまま私を、夜道に一人で放置するつもり?」


 これは家に招けということなんだろう。月島さんの上目遣いは、反則だ。俺に、断るという選択肢は、もはや存在しなかった。


「いや、そんなつもりはないけど……寄ってく?」


「ん。寄ってく」


 月島さんはそう言うと、タクシーで流れていた歌を口ずさみながらマンションのエントランスへ向かった。


 ◆


 俺の部屋は、1DK。仕事柄、あまり家にいることもなく、生活感のない殺風景な空間だ。


「……お邪魔します」


 月島さんは、靴を脱ぐと、ふらりとした足取りで部屋に上がり込み、そして、リビングのソファに、どさりと座り込んだ。


「あー……。ダメだ。人だから座った瞬間急にダメになった……」


「それは人をダメにするソファじゃないよ……あの……あれね。ほら、あれ。ビーズのやつね」


 商品名が全く出てこず、『あれ』と連呼してしまう。


「ん。あれだよね、あれ」


 ん? 月島さんも出てこないのか?


「あれだよね」


「ん。あれ」


「……ぶっ……あ、あれだよね?」


「ふふっ……あれあれ。あれだよ、湊さん」


 二人で『あれ』というだけでケラケラと笑い合う永久機関が出来上がってしまった。


「……えーっと、なんだっけな……。ギタローみたいなやつ……?」


「ふふっ……そうそう。三文字なのは分かるんだよね。トムロー?」


 そんな、本当にどうでもいい会話を、俺たちは続けていた。だが、そのとりとめのない時間が、なぜか心地よかった。


 しかし、その穏やかな時間は、唐突に終わりを告げる。


 話をしている最中、月島さんの顔がみるみるうちに青ざめていくのが分かった。苦しそうにソファーに横向きに座り、背もたれに頭を預けている。


「……月島さん? どうしたの?」


「んっ……あ、やっ――」


 彼女がそう言った瞬間だった。月島さんは、口元を押さえる間もなく、俺のソファの上に、盛大に吐いてしまった。


「だ、大丈夫!? 月島さん!」


 俺は、一瞬パニックに陥りながらも、キッチンからタオルを数枚掴んで戻ってくる。そして、彼女の背中をさすりながら、汚れたソファをどうしようか、と考えていた、その時。


 タクシーの揺れと、アルコールと、そして、今、目の前で繰り広げられた光景と、その匂い。それら全てが、俺の中で、最悪の化学反応を起こした。


「うっ……!」


 貰った。


 ◆


 結局、俺たちは、汚れたソファのカバーを、大きなゴミ袋に詰め込み、午前4時のコインランドリーへとぼとぼと向かうことになった。


 結局コインランドリーにやってくるのは不思議な運命を感じてしまってならない。


 月島さんの汚れた服も一緒に洗濯をしており、今は俺の部屋着のTシャツを着ているため裾も袖もブカブカだ。


「……ほんと……大変申し訳ございませんでした」


 すっかり酔いが覚めた月島さんが、見たこともないほどしおらしく、深々と頭を下げた。


「いいよいいよ、安物のソファだし。カバーも洗えばいいし。……俺もやっちゃったし。ベッドじゃなかっただけマシだよ」


「でも……クッションの中にもしみ込んでる……」


「大丈夫。俺、慢性鼻炎で、基本、鼻詰まってるから、匂いとか全然分からないんだよね」


 俺がそう言って笑うと、月島さんは、じっと俺の顔を見て、小さな声で言った。


「……嘘つき」


「……うん。嘘」


 もう、取り繕っても仕方ない。俺たちは、顔を見合わせて、力なく笑った。


「……あ、あのさ、湊さん。提案がある」


 月島さんが、意を決したように口を開いた。


「何?」


「空いてる週末に、一緒に……ソファ、見に行こ。弁償、するから」


「うーん……」


 俺は、少しだけ考えるふりをしてから、提案した。


「じゃあさ、ついでにランチも食べるし、カフェにも寄るのはどう? ソファは月島さんが選んでくれるだけで、それでいいよ」


 これは、ただの提案じゃない。俺なりの、不器用な、デートの誘いだ。


「ん……」


 月島さんは、少しだけ俯いて、黙り込んでしまった。ダメだったか、と俺が諦めかけた、その時。


「……ランチも、カフェも、ソファも、全部、私が払うから。本当」


 顔を上げた彼女の瞳は、真剣だった。その頑なさが、彼女らしくて、そして、愛おしかった。


「えぇ……いいよいいよ」


 月島さんはシュバッと手を伸ばしてきた。


「や、湊さん、私は本気。払うためなら法的措置も辞さない覚悟」


「どういうこと!?」


「弁護士を立てて、何らかの法律に基づいて私に弁償の義務があることをきちんと証明してでも弁償するから」


「慰謝料を払う側から持ちかけるなんて聞いたことないよ!?」


「ん……でも、本気」


 月島さんは頑固そうな眼差しで一歩も譲る気配はない。


「じゃ……弁護士の報酬に行くことを考えたら素直に奢ってもらった方がいいね」


「ん。そういうこと」


 こうして、俺たちは、人生で最も不適切なきっかけで、初めての、ちゃんとしたデートの約束を取り付けたのだった。


 コインランドリーの洗濯機は、俺たちの失態を洗い流すように、静かに、そして力強く、回り続けていた。



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