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コインランドリーでいつも並んで読書をしているクーデレ美少女が取引先の副社長だった  作者: 剃り残し


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 月島さんに腕を引かれるまま、二人で夜道を歩いていた。腕に絡む彼女の指の力は、意外なほど強い。


 振りほどこうと思えば、できたのかもしれない。だが、俺の思考回路はとっくに正常な動作を停止していた。


「……こっちかな? どう? ここ。良さそう」


 月島さんが立ち止まったのは、大通りから一本入った、まるで昭和の時代から取り残されたかのような、古い飲み屋が軒を連ねる路地裏だった。


「え……このあたりに、何か……?」


 俺が戸惑っていると、月島さんは「ん」とだけ言って、一つの店の前で立ち止まった。年季の入った木の看板に、掠れた墨文字で『煙』と店名が書かれている。


 藍色の暖簾が夜風に静かにはためいていた。店の中から、香ばしい煙と、客の楽しげな笑い声が漏れ聞こえてくる。どうやら焼き鳥屋らしい。


「……ここ? ずいぶん渋い店だね」


「まあね。最近のお洒落な店ってさ、機能が多すぎるんだよね。UI……ってか飲み物も複雑で、何をどう楽しめばいいのか、迷う。でも、ここは違う。インターフェースは、焼き台と大将とビールと日本酒。APIも明確。注文すれば、美味しいものが出てくる。……即ち、安定稼働してる、信頼性の高いレガシーシステムってわけ」


 彼女らしい店の評価に、俺は思わず笑ってしまった。


「レガシーシステム、ね。確かに。いいかも」


 月島さんは得意げに鼻を鳴らすと、ガラガラと音を立てて引き戸を開けた。


 店内は、カウンター席が10席と小さなテーブル席がいくつか。こぢんまりとした空間だった。使い込まれて飴色になったカウンター、壁に貼られた手書きのメニュー。煙で少し燻された天井。


 だが、不思議と居心地の悪さはなく、むしろ、温かい何かに包まれるような、そんな安心感があった。


「いらっしゃい! テーブルどうぞ〜!」


 大将の大きな声に若干耳の奥がビリビリしながらも、月島さんと向かい合うように座る。


 月島さんと顔を上げ、同時に壁に貼り付けられたメニューを眺める。


「俺はビールかなぁ……後は串焼きの盛り合わせ?」


「ん。私は熱燗」


 月島さんが壁を見つめながら目を細めて呟いた。


「飲むねぇ……」


「やー……さっきのお店は中々リラックスして飲む雰囲気でもなかったから」


「あー……まぁそうだよね」


「ま、飲みはしたけど」


 月島さんはチロッと舌を出してそう言った。


 注文をして品が届くのを待つ。


 やがて、熱燗の入った徳利と俺のビールが運ばれてくる。俺たちはそれをカチン、と軽く合わせた。


「お疲れ、湊さん」


「月島さんもお疲れさま」


 ぎこちない乾杯。でも、その響きは、一次会の騒がしい乾杯とは全く違う、特別なものに感じられた。


 続けて、串の盛り合わせがやってくる。ササミ、ねぎま、つくね、モモ。月島さんは迷わずにねぎまに手を伸ばした。


「焼き鳥ってさ、なんでわざわざ串に刺すんだろうね」


 月島さんは、目の前の串を上から下までじーっと眺めながら、ぽつりと呟いた。


「え? そりゃあ、食べやすいからじゃないの?」


「それだけかな? 私、これは一種のデータ構造だと思うんだよね。肉、ネギ、肉、みたいに、異なる要素を一つのシーケンスとして定義してる。串っていう物理的なポインタで、それぞれのデータを連結させてるわけ。ちなみに、つくねは圧縮ファイルね。全てのデータを挽肉っていう形式でアーカイブしてる」


「……圧縮ファイルかぁ」


「ん。つくね.zip」


「でもつくね……っていうか挽肉は元には戻せないよね」


「しまった……非可逆圧縮だった……mp3だよ! mp3! つくねはmp3!」


 月島さんが必死に修正してくるさまが面白く、俺がケラケラと笑うと、月島さんも満足そうに熱燗をちびりと飲んだ。


「でさ、つくねって、時々軟骨が入ってるじゃん? あれって、どう思う?」


「え? 美味しいと思うけど……」


「美味しいよね。ただあれは、私が思うに意図的なバグ。突然変異。滑らかな食感っていう仕様の中に、あえて異物を混入させることで、ユーザーに『おっ』ていう、新しい体験を与える。……まあ、一種のハッキングだよね、食感に対する」


「……月島さん、頭が疲れる」


「ふふっ……最高の褒め言葉だね、それ」


 彼女はそう言って、楽しそうに笑った。


 ひとしきり、焼き鳥の構造についての議論を終えた後、彼女はふと、真面目な顔に戻った。


「……それにしても、今日の飲み会、本当に疲れた……」


「はは……まあ、仕事の付き合いだしね」


「仕事の付き合いでもいい時もある。この前の街コンとかさ。今日も……共通項は湊さんだね」


 その、あまりにもストレートな言葉。大将の大声と焼き鳥の煙が立ち込めるこの空間で、彼女の言葉だけが、鮮明な輪郭を持って俺の鼓膜を震わせた。心臓が、ドクン、と大きく、痛いほどに脈打つ。


「……そ、それは……」


 俺は、何か気の利いた言葉を返そうとしたが、思考がまとまらない。ただ、このままではいけない、という衝動だけで、口を開いた。


「俺も、月島さん……というか、知り合い……友達!? がいると落ち着くし!?」


 ドギマギしながら線引を探す俺を見て、月島さんは、満足そうに、そして嬉しそうに、ふふっと笑った。


「……ん。だよね」


 彼女はそう言ってまた熱燗をくい、と呷る。そのペースは明らかに常人のそれよりも速い。


「月島さん、あんまり飲みすぎると……」


「大丈夫、大丈夫。私の肝臓スペック、そんなに低くないから」


「オーバークロックしてそう……」


 ニヤリと笑った月島さんの体が、ぐらり、と不意に前に傾いた。


 俺は慌てて、その華奢な肩を支える。すぐ近くに、彼女の顔があった。甘い日本酒の香りと、彼女自身のシャンプーの匂いが混じり合って、俺の理性をぐらぐらと揺さぶる。


「ねえ、湊さん……」


 彼女は頬杖をついて俺の腕と合わせて3本の腕に支えられたまま、囁くような声で言った。


「会社でさ、『元カレ』って噂されてるの、ウケるよね……。私、恋愛経験値ゼロで、彼氏とかいたことないのにさ。……湊さんは、どう思う?」


 その問いは、彼女の心の奥底にある、普段は決して見せない、柔らかくて、そして脆い部分に触れたような気がした。酔いがそうさせているのか、月島さんはまだ言葉を続ける。


「……私みたいな、バグだらけで、マニュアルもドキュメントもないOS、誰もインストールしたいなんて、思わないでしょ?」


 その、あまりに無防備で、少しだけ寂しそうな言葉に、俺は胸を強く締め付けられた。バグだらけのOS……? 冗談じゃない。


「そんなことないと思うけどね」


 俺は、彼女の肩を支える腕に、少しだけ力を込めた。


「そんなこと、絶対にないよ」


 不器用な言葉しか出てこない。


「それは、バグなんかじゃない。月島さんが持ってる、他の誰にもない、最高に面白い仕様なんだと思う。ほとんどのユーザーは、その魅力的な仕様を理解するためのドキュメントを持ってないだけで……でも俺は、その仕様書を読んで理解したいけどね」


 俺の真っ直ぐな言葉に、月島さんは、少し驚いたように、ぱちくりと瞬きをした。


「……そっか。面白い、仕様……か」


 彼女は、ふにゃり、と本当に幸せそうに笑った。その笑顔は、俺が今まで見たどの彼女の笑顔よりも、綺麗だった。


「……湊さん……◎△$♪×¥●&%#」


 月島さんは安心しきったように目を瞑り、何を言っているのかわからないくらいふにゃふにゃの声を出した。


「……え、月島さん……? 寝ちゃった……?」


 月島さんはカクッと一瞬だけ寝落ちしたように動き、また顔を上げた。


「ん。スリープモードに入ってた」


「マウスに触らないと起きないやつじゃん……」


「それ、キスの隠語?」


「そんなわけないよねぇ!?」


「ふはっ……つい言いたくなっちゃった」


 月島さんは目を開けるも、酔いと眠気でとろんとしている。


「けど……疲れてるのは疲れてそうだね。早めに食べて帰ろうか……」


「ん。……ねぇ、湊さん、明日の朝は知らない天井を見ながら起きたりする?」


「知ってる天井で寝て、知ってる天井で起きたいかな…、」


「つまり、湊さんの部屋だ?」


 月島さんはニシシと笑いながら俺を指差す。


「寝落ち直前まで酔って疲れてる人を泊める部屋はないよ……」


 お互いの立場もあるし、関係性もあるので簡単に誘いに乗るのもどうかと思いながら受け流す。


 月島さんはむぅ……と唇を尖らせて「……玄関まで……送ってくれる?」と尋ねてきた。


「むしろそこまでは送らせて欲しいくらいだよ……」


「わ、寸止めニキってこと?」


「酔っ払いすぎて心配なだけだよ!?」


 月島さんは「大丈夫大丈夫。科学の進歩発展に犠牲はつきものだから」と言いにやりと笑う。


「それむしろ成功確率――このタイミングで何を言わせてるの!?」


「ふはっ……引っかかった。成功の確率ね……ふふっ……ひっ……お腹いたっ……ふふっ……」


 月島さんは手を叩いてケラケラと笑う。どうやら眠気は覚めてきたようだ。

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