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第7話 落とし前

 されるがままだった。


 何も感じない。ただ通り過ぎる地面を眺めるだけ。


 僕はいつの間にか外から屋内に入っていた。

 そんなことすら認識できないほど、現状の把握を拒んでいるんだと感じた。


 屋内に入ったと同時に蹴り出され、部屋の中心に転がる。

 緑がかった、おそらく木材でできた床が視界に広がった。


「久しぶりだな森」


 頭上から声がする。ゆるゆると顔を上げると、うすぐらい照明の下で数人の男がこちらを見下ろしていた。

 そしてその真ん中にいる大柄の男性。坊主頭で目つきの鋭さが印象に残る。

 その人から話しかけられるてるんだとはじめて理解した。


「なんで黙ってんのお前」


 何も言葉を発しない僕に、抑揚のない声で問いかける。

 僕はそれでも放つ言葉が見つからない。


 大きな男性は僕に近づく。何をされるんだろうと考えた瞬間、大きな衝撃と共に目の前に大きな光が広がる。

 後頭部を打ち鈍い痛みが頭に広がる。視線の先が天井になって初めて、顔面を蹴られたのだと理解した。

 その次に頭に浮かぶのはある事実。

 目の前の人間は、人の頭を平気で蹴ることができるのだ。


「なんで黙ってんのかって聞いてんだけど」


 脳が思考を拒む。まだこの世界の変化にも対応できていないのに、こんなことに巻き込まれて返答なんかできない。


「あーなるほどね。このまま死にてえのか。わかった。もういいよお前」


 聞こえてくるのはおおよそ僕の人生では聞いてこなかった言葉。意味はわかる。だけど実感がわかない。

 ただその奥底で感じることはある。


 その言葉に嘘はない。

 このままだと僕は死んでしまう。

 2回目の死が目の前に迫っている。


「辰巳さん。すいません」


 大柄の男性の傍らから声がする。辰巳と呼ばれた男性は声の方向へ振り向いた。


「なんだよ友永」

「森さん今混乱してるんだと思います」

「病院抜け出してタクシー使える奴が混乱なんかしてるわけねえだろ」


 辰巳は友永と呼ばれた男性に詰め寄る。

 おかしな色の世界でも、あどけない幼さを残した友永の表情がこわばるのが見えた。


「お前森の下で動いてたよな。お前にも話聞かなきゃって思ってたんだよ。こいつがバツ勝手に流してんの知ってたろ?」

「いや知らないっすよ」

「一番森に近かったのおめえだろうがよ。なんか知ってんだろ?」

「辰巳さんマジ勘弁してください。ただの売人っすよ俺」


 僕の知らないところで話は展開していく。

 正直こんな世界があることはニュースの中でしか知らなかった。

 僕の世界にあったのは普通の両親。普通の友人。

 憧れの人、そしてピアノ。

 正反対のところに、今の僕はあるのだと知った。


 どうしてこうなったのだろう。

 合コンに行かなければ、香奈ちゃんの動画を見ずに寝ていれば。

 同期と知り合わなければ、音大に入らなければ。

 ピアノなんかと出会わなければ。


 いやそうじゃない。

 もっとうまく、そして楽しくピアノ弾けていれば。


 そうしたらこんなことにはならなかったかもしれない。

 成田という自分のままでいられたはずだったのに。

 その人間としての最低限の権利すら、今の僕にはなくなってしまったのだ。

 なんてみじめなんだろう。


 鼻に激痛が走る。

 また思い切り顔面を蹴られたようだった。

 強制的に目の前の現実に押し戻される。


 屈んだ辰巳の顔が目の前にある。

 とても冷たい目だった。僕のことなど人としてとらえていない。


「店も火事でつぶしちゃってさぁ。クスリも横に流してぇ。マジで大損こいてんだよねお前のせいで」


 森という人間が何をしたのかを丁寧に話す辰巳。

 このままだと知らない他人の悪行のせいで、僕は死ぬことになる。

 成田という本当の僕が、完全に終わってしまうことになる。


「どう落とし前つけんの? どうしてくれんのこの損? 森ぃ・・・どうすんの?」


 すごく悲しくなった。

 さっきまでなかった急に湧き上がる感情。

 その理由はすぐにわかった。

 それは今の森という人間のまま人生が終わるというだけから生まれる感情ではなかった。

 その前から。


 まだ僕が純粋に成田だった時から、何もうまくできない中途半端な自分だったことへの後悔が、僕の中にあるからだ。

 このまま終わりたくない。

 その気持ちが口を動かす。


「森じゃないです・・・」


 出た声はか細く、でもはっきりと空気に乗って部屋に響く。


「成田。僕は成田です。からっ・・・体が入れ替わって。僕のもとの体はもうなくて・・・。だから、何を言ってるのかわからないです・・・」


 僕の言葉の後には静寂があった。それは困惑から来ているものだということもわかった。

 目の前にある辰巳の顔はそれでも無表情だった。しかしそれは長くは続かない。

 唇の端をゆがめ、横たわる僕の頭をつかむ。


「何言ってんのお前」


 静かにそう呟いて、僕の頭を地面にたたきつけた。

 何度も何度も。かたい地面に頭がぶつかるたびに意識が徐々に遠くなっていく。

 それでもここで言わないとすべてが終わる気がした。


「音大生でぇっ・・・合コンでっ、火事に巻き込まれてっ! 逃げるときにこっ・・・の人とぶつ、ぶつかって入れ替わりましたっ!」


 ぴたりと地面に頭をたたきつけるのが止まる。ぐわんぐわんと世界が混濁していく。

 目はまともに開かない。でも辰巳の声はわずかに聞こえる。


「そんな嘘までついて助かりてえのか」


 頭から手が離れる。力の入らない首は支えることができず、頭は地面に着地する。


「だったらお前が出した損回収できるよな? 回収してそのうえで利益出したら許してやるよ。でもできなかったらマジで殺すからな」


 体を小突かれ仰向けにされる。見下ろす辰巳の目はどこまでも冷たい。


「んで何ができんだよ。クスリはもう売らせねえ。店舗も任せらんねぇ。どうやって金持ってくんだよ」


 この悲しみはどうすれば消えるのか。

 その答えはもうとっくに出ていた。


 この体の森としてではない。

 成田として、生きる方法を探せばいい。


「ピアノです」


 少しだけ気分が晴れたような。そんな気がした。

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