第5話 最悪な事実
「頭に裂傷が見られるくらいでほとんど無傷です。奇跡ですよ」
医者思われる人間は少しくぐもった声でそう言った。その顔もまた、信じられないような色をしていた。
先ほどの部屋からここに来るまでに、ここが病院だということは理解できた。
ただ今はそんなことはどうでもいい。
「あの・・・同じビルの火事にあった人が何人かいたと思うんですけど。ほかの人たちは?」
「ほとんどの方は無傷でした。怪我があったのもあなただけです。ですが・・・」
信じたくなかった。だが、予想はできてしまっていた。
「避難梯子から落下した方がいらっしゃいましたね。打ちどころが悪く、うちに搬送された時にはもうすでに・・・お亡くなりになっておりました」
体から力が抜けていく。椅子にすら座っていられない。濁った黄色の床に薄紫の手がつく。この世界こそが本当の夢なのではないかとそう思いたかった。
「死んだ? は?」
「ご友人でしたか?」
医者の的外れな問いかけなど答える気にもならない。
圧倒的に悲惨な現実が容赦なく僕の心をえぐる。
僕はぶつかった人間と入れ替わった。
そして元の体の僕は死んだ。
「~~~~~~~~!!」
突如湧いて出たような吐き気に抗えず吐しゃ物をまき散らす。周りで医者と看護師の驚く声が聞こえるが止まらない。
吐き出したものは灰色をしていた。その事実がまた、僕の吐き気を増幅させる。
吐しゃ物の中はほとんど何も入っていなかった。胃液だけが出されたと妙に冷静になる。
胃液だけ・・・。僕は切れ切れの息を紡いで問いかける。
「火事から・・・どのくらい経ちましたか?」
目の前の紫色の医者は嫌悪感を隠そうともせず返答する。
「4日です。それよりも今は混乱されているようです。一度病室に戻られては?」
4日。その言葉に、抜けたはずの力がよみがえってくるのを感じる。
「あの、死体が、どこにあるのか、教えてください」
「はい?」
「だから! 死体がどこにあるか教えてくださいよ!」
戻れる。
まだ間に合うかもしれない。
僕の心にはそれしかなかった。
もし入れ替わってしまったとしても、元の体があればなんとかなる。
その考えは僕の心を奮い立たせるのには十分だった。
なおも困惑する医者。
彼は知らないのだとすぐにわかった。
だとしたら、こんな場所にいる意味はない。
僕は部屋を飛び出る。
おおよそ病院とはいえない配色の内装。
飛び出た僕にびっくりした薄紫色の人間の数々。
その中で看護師らしき人間を探し、片っ端から尋ねる。
「最近ここに運ばれてきましたよね。成田っていう死んだ人! どこにいるか知りませんか?」
誰も彼もが言葉を失い硬直する。ただ止まることはできない。
普通の人間なら抵抗もあっただろう。でも今僕が見えてる世界にまともな人間はいない。
背後から病室にいた看護師が追いかけてくるのがわかる。ただそんなことにかまってはいられない。
「亡くなった方なら・・・葬儀社にいらっしゃるのでは・・・?」
何人目かに尋ねた人間がそう答えた。それが本当に看護師であったのかどうか。その判断すら怪しい。
ただその言葉だけでよかった。
何かに突き動かされるように。僕の体は走り出す。
うまくまっすぐ走れないなど知ったことではない。悪夢のような建物の中を必死に出口を目指して走り出す。
絶対に戻る。
その思いだけが全身を支配していた。