表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/9

第4話 変わった世界の中で

 夢を見ていた。


 昔の夢。細部は当然違うけど、でもいつのことか、ここがどこなのか。それだけははっきりとしていた。

 小学生の頃に初めて通い始めたピアノ教室。

 僕が一番ピアノが楽しかった時だ。


 クラスの男子にからかわれたりもした。それでも全然よかった。

 僕が鍵盤を押すと音が出る。その音の積み重ねが曲になる。

 どんな曲でも弾き方ひとつで印象を変えられる。そんな自由なピアノが本当に大好きだった。


 優しい先生にピアノを教わりながら、一生懸命に鍵盤をたたく。指がおぼつかない。練習不足。だけどこの満ち足りた気持ちはなんなのだろう。


「成田君、はやくわたしにも弾かせて」


 後ろから女の子の声がする。

 本来ならきちんと順番が終わった後に先生の指示で交代する。でもこれは夢だ。

 だからなんの疑問にも思わなかった。

 僕はすんなりと席を空け、まだ弾いていたかったという未練の視線をピアノに向ける。

 こんなに弾いていたかったのに、僕はなんでどいてしまったのだろう。


 その理由は簡単だ。


 ピアノを弾き始めた女の子。その子の演奏はすぐに僕を魅了する。

 ただの練習曲なのにひきつけられるその演奏。


 きっと女の子はピアノの神様に祝福されて生まれてきたのだろう。そしてそれを彼女も受け入れた。

 その相思相愛にこそ、美しさは宿るのだと思った。


 いつまでも聴いていたい。この場から離れることを僕は望まない。

 でも少しずつ演奏が、先生と彼女の姿が遠くなっていく。

 夢の覚醒が近い。そう思った時にはもう目の前は暗く閉じていく。


 だから僕は最後につぶやいた。

 高みに行ってしまった彼女にはもう、二度と届かないだろうけど。


「香奈ちゃん上手だね」


 完全な闇が視界を覆う。



◇         ◇        ◇


 ゆっくりと瞼が開く感覚がした。

 起きてすぐ感じたことは、違和感だった。


 見えるのは天井の景色。しかしその天井こそ違和感の根源だとすぐに気づく。

 視界いっぱいの黄色。おおよそ見たことのない色使いに、僕は何も考えることができずにいた。


 殆ど音にならない声が息と一緒に漏れる。そこでさらに生じる疑問。

 

 この声は一体誰の声だ。


 体が勝手に跳ね起きた。腕に刺さる注射器の存在に気付くころには、僕は鏡の前に立っていた。


 そこに映るのは見たこともない色使いの人間。

 そして明らかに自分の顔ではない知らない人間だった。


「ああっ・・・あっ・・・」


 何が起こっているのかわからない。これは誰だ。なんでこんな色を僕はしている。


 肌は薄紫、唇はそれに少し青みがかった色をしている。毛の色は緑に、そして黒目の色も同様に緑だった。

 後ろを振り返る。くすんだ黄色のベッドに床までもが黄色く変色していた。

 いや、変色というのは語弊がある。まるで最初から黄色であったかのような。そんな自然な色をしていた。

 ただ僕だけが、世の中のすべての配色がおかしくなった世界に取り残された感覚。


「森さん」


 くぐもった声の方を振り返ると、一人の人間が立っていた。しかしおおよそ人間と呼べるものなのだろうか。まるっきり僕が鏡で見た自分と同じ配色をしている。

 ただ表情は読み取れた。その顔は驚いていた。


「いつ目覚められましたか? よかった・・・先生を呼んできますね」

「あの!」


 このままでは行ってしまう。そうならないよう語気を強めて呼び止める。

 混乱した頭の中にさらにイレギュラーが舞い込む。

 この声は絶対に僕のものではない。


「どうしました?」


 くぐもった声は僕に問いかける。目の前にいるのはおそらく年配の女性。

 なのになぜ、こんなくぐもった音しか聞こえないのだろう。


「ぼ、僕は誰ですか? ここはどこで・・・あの・・」


 思考がまとまらない。視界の隅に風に舞う黄色のものが見えた。それがカーテンだと分かって、僕は見なかったことにする。

 このまま夢であってほしい。外がどうなってるかなんて僕は知りたくない。


 相手の人間はこちらに近づき、少し微笑んで答えた。


「少し混乱されてるのですね。今先生を呼んできますので少し待っててくださいね。あなたは森さん。ビル火災に巻き込まれて意識不明だったのですよ」


 そしてすべてを理解する。

 ビルの梯子から脱出しようとしたこと。そこから滑り落ち、目の前に店員の顔がアップになって意識が途切れたこと。


 その店員の名前が、森だったこと。

 鏡に映る自分の顔が、配色は違えどその森と似ていること。


 入れ替わり。


 そう帰結した時にはもう、目の前の人間はいなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ