第3話 僕の最後
「ちょっと待ってくださいって。こんなに俺ら飲んでないですって」
同期が焦った声色で店員に問いかける。でもそんな言葉が聞こえてるとは思えない。
「だから量じゃないんすよ。この値段でうちやってるんで」
「明らかにおかしいでしょ。チャージも高すぎるし、氷とか普通サービスで出すもんじゃないんですか?」
「聞かれなかったから言ってないだけでしょ。つーか早く払ってください」
「マジでぼったくりだろこんなん。警察行くからな」
「行けば? でも払うもん払わないと食い逃げでこっちも警察行かないといけないんで」
店の雰囲気から明らかにおかしいとは思っていた。
週末のこの時間に明らかに空きすぎている。
ちらりと合コン相手の女性たちを見る。関係なさげに煙草を吸って各々スマホを眺めていた。
雰囲気がいいからとこの店を勧めてきたのは女性たちの方らしい。
グルだったんだなと、その時初めて気づいた。
「ごめん。二人とも今金持ってね? ここ払ったらすぐに警察行こうぜ」
同期の顔は怒りと不安をごちゃまぜにしたような表情をしていた。
責任を感じていたりしてないだろうか。悪意を持ってこちらをハメようとしてくる人間から逃れることは難しいはずだ。だから同期に責任を求めるのは間違っていると個人的には思う。
「うん、ちょっとなら持ってる。足りればいいけ・・・」
だからここを早く切り抜けるために僕はお金を出そうとした。
それは急な大声によってかき消された。
「下の階で火事だ!」
転がるように入ってきたのはさっきまでカウンターにいた人相の悪い人だ。
「は? マジすか。森さんどっからっすか」
会計をしていた店員が焦りながら人相の悪い人に問いかけている。
「下だっつってんだろ! お前も金詰めて早く出ろ!」
その声を聴いた瞬間、僕は体が勝手に走り出していた。
このビルにエレベーターはなかった。だから階段で降りなければならない。
一目散に一階を目指して階段を下る。しかしそこで足が止まった。
黒い煙がもうもうと立ち込めて視界を遮る。その煙は熱を含み、ちりちりと僕の肌を焼いた。
その黒の奥にオレンジの炎が見える。そのコントラストは、僕たちがこれ以上進めないことを理解させるには十分だった。
「成田! もう窓から出よう!」
同期が声をかける。その声にはじかれるように階段をかけあがる。
判断をしてくれる人間が近くにいたことは幸いだった。僕だけだったら今頃、頭の中だけでぐるぐる考えてあの場でフリーズしていてもおかしくなかったはず。
再び店の中に戻ると、さっきの火災は嘘のように静かだった。かすかに聞こえるのは外の喧騒か。
売り上げを詰め終わったのか店員が避難はしごを窓から出している。
「梯子あんのか・・・よかった」
同期のつぶやきが耳を貫いた。僕も飛び降りを覚悟していたから、少しだけほっとした。
「いこう」
早足で窓へと駆け寄り、梯子から脱出しようとする。
「どけよ」
窓までもう少しというところで僕は後ろから押されて体勢を崩した。
押したのは森と呼ばれていた店員だった。
同期が何か文句を言う。しかしそんな言葉は相手の耳にも入ってないだろう。
「いいよ。そんなことより早く出よう」
窓から身を乗り出し梯子に足をかける。がっちりとした梯子に少し安心感を覚えた。
ちらりと下を見ると、僕を押しのけた店員は2階付近にまで到達していた。確かにこれくらいしっかりとした足場の梯子なら、早く地上に降りることも可能だろう。
一歩目を踏み出す。その瞬間、足が空を切った。
「え」
踏み外した。
そう理解した時には僕の体は空に投げ出されていた。
3階なら死ぬことはない。
嫌に冷静にそんなことを思う。
この後僕の意識はすぐに衝撃で途切れる。
最後に見たものは。
先に降り始めた森という店員の顔。
僕とぶつかる寸前にこちらを見上げた、恐怖と焦りの表情だった。