第2話 欲望の結果
「だから理恵はなんも悪くないって。それ寂しくさせる相手が悪いんだよ。え、マジで俺ならそんな思いさせないわ」
いやに静かな店内で、同期が店中に響くくらいの声量で声を出す。調子よく対面に座る女の子を口説くたびに、後期の実技試験の後に喫茶店で会った時の顔が思い出された。
あの絶望した顔と同じ人物とは到底思えない。
それでも僕よりかは楽しく生きることができている。
その事実がキュッと心を締め付けた。
「俺らみんな金持ってっからさ。楽しみたいときに楽しませてあげるよ。今度プライベートビーチついてるロッジいかね? 俺ら持ちで車出すし。なあ成田?」
「泳げないから僕はいいよ」
こういう場は苦手だ。口の端に泡をためて横で話す同期に連れられて何回か来たことはあるけど、いい思いどころか楽しかった記憶すらまるでない。
それでも来てしまうのは、ちょっとだけ寂しいとか思ってるんだろうか。
何がしたいのかまるでわからない。演奏も生き方も同じだなんて、そんな風に考えた。
「えー成田くんも来てほしいなー」
「ってかめっちゃピアノ弾いてほしい。弾いてるところ見たら惚れるかも」
何て言えばいいのだろう。よくわからなくて、あいまいに笑って席を立った。
「どこ行くんだよ成田」
「トイレ」
質問に軽く答えてテーブルを離れた。もう一人いる知らない男の人は、僕のことなんか見ずにずっと女性と話している。いっそ同期もそうしてくれればいいのに。
店内を見渡すと僕ら以外に客はいなかった。少し見渡すとカウンターにいる人相の悪い従業員と目が合う。
何も悪いことをした覚えはないがすぐに目をそらした。そしてトイレに入る間際にもう一度カウンターに目をやると、そこには誰もいなかった。
◇ ◇ ◇
森は店の外に出た。繁華街の雑居ビルの3階から見下ろす景色は、雑多で汚いといった印象しか出てこなかった。
さっきから何度も着信が来ていた。その理由を彼は十分にわかっている。
ほう、と息をついて番号を押す。1コールもしないうちに相手は電話に出た。
『おせえんだけど』
「すみません、ちょっと接客してまして」
明らかにいらだった声。森は逆なでしないように言葉を選んで嘘をつく。
『おめえよくそんな余裕があるよな。状況わかってんのか』
重々わかってる、と森は思った。
だが慌てふためいたところで何の解決にもならないことはわかっていた。だから虚勢を胸に、平静を装って相手に問いかける。
「辰巳さん落ち着いてください。俺が他に流すわけないじゃないですか」
『おめえの下のやつがゲロってんだよ。流してる相手もこっちはつかんでる』
「絢斗っすよね。あいつ辰巳さんに気に入られたくてパチこいてます」
「丸山、笹川、葛城。まだ言う?」
名前を出された時点で森の弁解は何の意味もなくなった。電話の先、森の所属する半グレ組織のリーダー辰巳はすべてを知っている。
将来的に顔を利かせるために、彼らのシノギの一つであるドラッグをいい人脈を持っている人間にタダ同然で流し始めたのが1月前。森は自身のグループで一番信頼している人間にだけ共有していたつもりだったのだが、こうも簡単にばれてしまうと笑うしかない。
『とにかくもう今日は店はいいわ。お前俺んとここい』
このまま逃げてしまいたいと彼は思い、そして自分がドラッグを流した人間の顔もちらついた。だが自分を守ってくれないことは森にもわかっている。関係性もまだロクに構築できておらず、追われている身だ。そんな面倒な人間を匿うほどお人好しはいない。
「わかりました。直接弁解させてください。場所も送ってもらえますか」
そう言うと返答をまたず電話を切った。辰巳のもとに行く気はない。ただ時間を稼いだだけだ。
もちろんそんなことは辰巳だってわかってるだろう。すぐに店に人をよこすはずである。
森はもう一度外の景色を見下ろした。相変わらず汚い繁華街。自分が追われている立場だからか、眼下の雑踏が自信を見ているような気がして顔をさげる。
と、そこで森は何かに気づいた。いやに暑い。この季節、夜はこんなに気温が上がるものなのか。
違和感を覚えて顔を少しあげる。
眼下にちらちらと見える炎は一体なんなのか。
その意味に気が付いた瞬間、森は急いで店へと駆け出した。