偶然
「ねぇ、私じゃ、だめ?」
涙を流しながら君はそう訊いてきた。
駄目じゃない、そんなわけがない。社会がそれを受け入れてくれなかったとしても、それでも。私たちが幸せを感じる権利はある。私たちが結ばれる権利もあるはずだ。これからも、ずっと一緒だよ――
私の名前は星宮夜花。高校二年生。私には大好きな人がいる。幼い頃からの親友だ。彼女の名前は桜野菊。とても美しくて、笑顔が素敵な人。でも、同性っていうこともあって私の気持ちは伝えられないまま。これが結構、自分にとっては辛い。言いたいのだ。いつかこの思いを。
偶然のことであった。雨が降りしきる夜の駅のホームでばったり会ったのは。
深夜だというのになぜかそこに彼女が居た。菊、と名前を呼ぶと君は笑顔でこちらに振り向いた。
「夜花!何でここにいるの?」
そう無邪気に訊いてきた。 いや、それはこっちのセリフでもある。「逆に何でいるの?」と訊き返すと、君は言葉を濁らせ、突然腕に抱きついて泣き始めてしまった。
「怖い。やっぱり怖い。怖いよ」
そう君はしゃくりを上げながら言った。何本かの電車が通り過ぎて行った後、菊は私に問いかけてきた。
「ねぇ、なんでここにいるの?」
まだ答えていなかったを思い出した。言葉を探しても、どう嘘を吐こうかと思考を巡らせようと答えは出なかった。正直に言ったほうが後味はいいだろう。
「海に行こうと思ってここに来た。菊はなんでここに?」
「私は、私は。ここで死のうと思って」
心臓が跳ねるような、そして同時に止まるような感覚を覚えた。彼女がこの場所で、自ら命を捨てようとしていただなんて。何も言えない私を横目に、菊は質問を投げる。
「こんな夜中に、それも雨の日に海行こうとしていたのはなんでなの」
たしかに、雨の降る日に海に行こうと思う人は少ないだろう。菊がこんな質問をするのも納得だ。ただ、どう答えようか。私が海に行く目的は。しかもこんな夜中に。言葉を探していると、菊は顔を覗き込むように近付いてきた。
「もしかして、海で死のうと思ってたりする?」
あぁ、図星だ。まさにその通りだ。こいつにはなんでもお見通しなのか。無意識に目が泳いでいることを見逃さなかった彼女は明るく答えた。
「図星か。なーんだ!私たち一緒のこと考えていたんだ。てか、夜花はわかりやすいね。嘘吐くの下手なんだから」
何も言い返せない。何ともいえないこの状況でどんな嘘を吐こうと意味もないだろう。死のうとしていた私と死のうとしていた幼馴染である想いを寄せている人。不気味なほどに静かな駅のホームがとても広く感じた。
「それより、明日学校だけど。絶対起きられないでしょ 」
「……じゃあ行かない。夜花は、どうするの」
私は……。言葉を必死に探す。行かないのか、行くのかどちらを選んでも、きっと標的は私のままであろう。行かない、そう言うと彼女は微笑んだ。
「じゃあ、どこか行こうよ。このままさ」
このまま?こんな夜中にどこへ行くというんだ。考え込んでいると、駅のアナウンスが流れた。終電になってしまったようだ。私は菊の冷たい手を引いて、切符の払い戻しをした。駅員さんの不穏な表情を見ると、鼓動が激しくなった。よくよく考えれば今は夜中だというのに、二人して制服を身にまとっている。高校生が終電で帰るようなことはまずないだろう。非行少女だと思われただろうか。制服で学校がわかっていなければいいのだが。
それよりも菊は、終電すらも無くなってしまったというのに、今からどこへ行こうというのだろう。
「夜花。やっぱり朝イチの電車でどこかに行こう。全財産持って、最低限の荷物を持ってここにまた来よう」
そう菊は言い放った。菊は失踪でもするつもりだろうか。私と共に。
「うん、わかった。今日はオール決定だね」
「そっか、オールだ」
彼女の弾んだ声が駅の出入り口に響き渡る。 そしてその場で別れた。朝イチの電車に乗る、そして最低限の荷物を用意する。要るものを思い浮かべながら帰路へ就いた。
私の家はいつも誰も居ない。母はホストに貢いでおり、今日も家に帰って来る気はないらしい。父はどこかに消えた。私が生まれてすぐに。もうこの家に戻らないのか、と思いながら電気を点ける。今にも消えそうな蛍光灯。散らかり放題の部屋。見渡してみるとため息が出そうになる。
散らかった部屋から、要るものを掘り出す。着替えを二着ほどと日用品。そして小学校を卒業するときに母から貰った音楽プレーヤー。
あとはお金。お小遣いは月に二千円程度があるかないかで、今あるお金は三万円程度。そのお金のなかには母が貢いでいるホストから貰った一万円札がある。ホストはこっそり家に来るなり、少ないけれど足しにしてほしい、と手渡してくれたのだ。高校の学費も、スマホ代も実はその人が賄ってくれている。我ながら恥ずかしい。
あんな人が父親だったらいいのに、と思ったこともある。でもあのお金は元は母のお金である。それに向こうはホストである。母だけのお金ではないだろうが、そう考えると馬鹿らしくなってきた。何がともあれ、自分は貯金したほうだろう。あと要るものは……こんなものだろうか。あとは水筒とおにぎりでも持っていくか。
そしてリュックに荷物を詰め込んでいく。中学生の頃、失踪のマニュアル的な本を読んだことがある。それのおかげか準備には左程困らなかった。そう思っていると菊からメールが来た。
「何がいるかわからない。夜花はなに持っていくの?」と。
菊から言い出したことのはずなのに準備に滞っているらしい。仕方がないので自分が持っていくものをメールに打ち込んだ。
夜明けが来た。いよいよ出発だ。謎の緊張感に身を包み、家を出る。夏の夜明けは少し涼しいくらい。まだ動きやすい体感温度だ。日傘も持っていっておこう。
さようなら、今までありがとう、お母さん。
誰も居なくなった家に、深いお辞儀をした。
駅に着くと、スマホを眺める菊が居た。こちらに気付き、ブンブン手を振ってくる。小花柄のワンピースを着ている彼女の姿はとても愛しく見えた。
「夜花、おはよう!」そう叫んできた。
一睡もしてないけどね、と苦笑いを浮かべるとまた彼女も笑い返して来た。 これからどこへ行くのか尋ねてみることにした。
「えーとね、一応プラン考えてきたの。まず、このまま都会のほうへ行く。何か美味しいものでも食べて、息抜きでもしよう。都会を散策して、田舎のほうまで電車で行って。まぁ、土地勘なさすぎるからどうなるかわからないけど」
「ざっくりしすぎじゃない?私、お金あんまり持ってないけど大丈夫かな」
「大丈夫。私、十五万円くらい持ってきたから何とかなるよ」
十五万?どこからそんなお金が……?まさかパパ活?いや、菊がするはずもないか。でも不安だ。何のお金なのか訊いてみる。
「お小遣いと、お母さんとお父さんのへそくりをかき集めてきたの」
彼女の家庭は少なくとも裕福なほうだ。母は看護師で、父は医者。そんなエリートな環境で育ってきた菊は、両親からの教育に嫌気が差していた。両親の帰宅も夜中か始発で家に帰ってくるか、帰ってこないかの二択だったらしい。いつも一人で過ごして、たまに私と遊ぶ暮らしであった。
菊も私も、とてもじゃないが幸せだと思える家庭環境には無縁だった。これから失踪、いや、心中するかもしれない。そう思うとつい安堵してしまう。
二人分の切符を買い、電車を待つ。朝早いというのに、暑さは増していく。これから見知らぬ土地へ足を踏み入れることになる。
菊は遠足前のようにとても楽しそうにしているが、私は緊張気味だ。駅のアナウンスが流れてきた。減速してこちらへと近づいてくる電車に身体が吸い込まれそうになる。二人手を握り合わせ、地を踏みしめた。すっと息を吸い込み、電車に乗り込む。始発だからか人の数はまばらである。移り変わる景色を眺めながら菊と他愛のない話をした。
「学校に欠席連絡してないけどいいよね。もう関係ないし」
「うん、まぁいいと思う。この時間じゃ先生たちもまだいないだろうしね」
始発に乗ったところなのに先生たちがもう学校に出勤しているとは思えない。もしそんなことがあったらやばすぎるだろう。そんなに忙しかったら先生たちのほうが先に過労死している。
「まだみんな寝ているのかな。いいなー、私も寝たい」
「着くまで時間あるし、寝ようか」
そう言い切る前に、彼女は寝息を立てていた。私もとても眠くなってきた。二人肩を並べて眠りに落ちる。目が覚めると、終点にに到着する頃だった。彼女の身体を揺らし、寝起きの悪い菊のままであることに安心を覚える。
「んー、もう着くじゃん!」
起きるなり急ピッチで荷物を棚から下ろす。
そして、ついに到着した。改札を抜けると、静まり返ったビルが立ち並んでいた。
「あー、そっか。まだ朝早いからどの店もやってないんだ」、とため息を溢す彼女の手を握る。
ネカフェでも行こうか、と訊くと威勢のいい返事が返ってきた。スマホのナビを見ながら、ネカフェへと向かう。道中、菊とコンビニに入って弁当を買った。
私が持ってきたおにぎりは軽食として食べることになった。ネカフェに着き、二人でも狭いくらいの部屋に身を置く。買ってきた弁当を広げて、静かに食べ進めていく。ほぼ毎日コンビニかスーパーで弁当を買っていたせいか、全く味を感じなくなっていた。
美味しくもない弁当を平らげると、再び菊は寝始めてしまった。私はというと、ネットで失踪について調べてみることにした。失踪する人は案外多いらしい。前年の失踪者数は約八万七千人だという。これほどの人が生きているかも死んだのかもわからないのだ。何とも複雑な気持ちになる。
刻々と時間が過ぎる。いつの間にか私まで眠りに落ちていた。目覚めた時刻は十一時頃。菊が先に目覚めていたようで、パソコンとにらめっこをしている。画面をよくみていると、美しい景色の画像が映し出されていた。
「菊、なにしてるの?」
「おはよう、夜花。ここ行ってみない?」
美しい景色のある場所は秘境駅にあるらしい。秘境駅自体行ったことがないし田舎にも行ったことがない。どうやったら行けるのかもさっぱりわからない。 というかお金は足りるのか。
「この電車に乗ったら行けるんだって。どこで乗ればいいんだ」
行き方を調べる。電車を五回くらい乗り継げばいいらしい。そんなに乗り継げるか自信がない。迷子になったらどうしよう。いや、失踪するんだから迷子になってもいいのか。変な気分になりながら身を寄せ合って画面を睨みつけた。
「どう?ここ、行ってみない?」
答えはもちろんOKだ。菊が何を考えているのか大体わかる。これが私たちの運命なのだ。気付けば時刻は正午になっていた。ネカフェの滞在時間分の料金を払い、都会の街へと踏み出した。
「どこ行こうか。なんかいいお店ないかな」
照りつける太陽の下はとても暑い。日傘をさしても、日焼け止めを塗っても真っ黒に日焼けしてしまいそうだ。THE都会な場所から少し離れたところへ歩く。人がとても多く、人酔いしそうになる。これほど暑いのに、菊は麦わら帽子にレースのついた日傘を差して涼しげな顔をしている。その姿までもがとても可愛い。
「そういえばさ、夜花の服めっちゃ可愛いよね」
唐突にそう言われたので思わず、え?と訊き返してしまった。なぜか可愛い人間に可愛いと言われてしまっている。お世辞であっても口角が緩んでしまいそうだ。
「黒のワンピース似合ってるよ、とても。でも、長袖は流石に暑くない?」
たしかにとても暑い。だが半袖を着ないのには理由がある。それは菊も知っていることだ。
私は小中高といじめを受けてきた。いじめられた原因は明確ではない。家庭環境のせいなのか、私という存在がまずいけないのか。
私が今まで受けたいじめは、暴力、暴言の両方だった。毎日のように殴られ、蹴られ。罵倒を浴びさせられて。先生たちは見て見ぬふりだった。いじめに加担する先生もいた。おかげで身体中が痣だらけになってしまった。
精神が追い詰められたあまり、自傷行為をして余計に心身は傷だらけになった。そんな人生だ。半袖なんて着たら周囲の目線が痛々しい。だから年中長袖を着ている。
「暑いねー、あそこなんてどう?美味しそうだよ」菊が指さした先はクレープ屋さんの看板だった。大きな建物の中に店舗があるらしい。早速中に入ってみる。ビルの中は外と違いとても涼しい。汗をかいた身体がクーラーによって冷やされていく。クレープ屋さん以外にも、たくさんの店舗が並んでいた。都会はすごい。そう思った。
「よっしゃー、着いた。何食べようかな」
たくさんの種類があり、決めるのが難しい。それにどれも、華やかで豪華だ。これが映えというやつなのか。 スマホを持って自撮りしている人も居る。私にはそんな器用なことはできない。必ずどちらかを落として嘆く未来が見える。
「決めた!私、イチゴとアイスのってるやつにする」
なぜか菊は商品名ではなく具材で注文している。商品名が長いせいで読むのが面倒になっているのだろうか。私は、えっと……。言葉が出てこない。店員さんの目が怖く、目が熱くなる。
「あとはー、バナナとイチゴのってるやつで」
かしこまりました、そう店員さんは言う。 菊が慣れない手つきで支払いをする。
「大丈夫?顔死んでるよ、とりあえずあっち座っておいで」
介抱される自分がとても醜く大嫌いだ。 なんで自分の分まで一緒に頼んでもらっているんだろう。本当は自分が菊を守る立場なのに。
お待たせしました、と店員さんの声が聞こえる。足早にクレープを持った彼女が戻ってきた。大丈夫と言うようにして。
「はい、これ。ていうか、これでよかった?勝手に決めちゃったけど」
「うん、大丈夫。ごめんね、ありがとう」
謝罪と感謝を同時に述べている矛盾を抱えながらクレープを頬張る。甘味が口いっぱいに広がった。初めてこんなに美味しいものを食べた気がする。麻痺していた味覚も戻ったようだ。 美味しい、と感じられることはこれほどにも嬉しいのか。
「ねぇ、写真撮ろうよ」
クレープを頬張る二人の姿が写真に残された。菊はかわいいが私はただただ醜いだけだからあまり見たくはない。
「この写真、SNSにあげていい?」
私は驚いた。菊はSNSのアカウントは持っていたものの、なにも投稿していなかったはずだ。菊のスマホの画面をみると、JK二人の失踪劇。というハッシュタグがつけられていた。これは、このアカウントは。失踪している私たちの記録だった。これまでの足取りが投稿されている。菊、と口を開くと遮るようにしてクレープを奪われた。
「美味しいねこれ。私のも一口食べていいよ」
満足そうに笑みをこぼしながらクレープを差し出してくれた。遠慮はするなと大人のような顔をする菊に甘えて一口頬張る。イチゴのほどよい甘さと酸味が口いっぱいに広がる。美味しい、そう言葉がこぼれた。彼女は笑いながら「美味しいね」と言った。
菊には感謝しても感謝しきれない。 菊だって辛い思いをたくさん抱えているはずなのに頼ってばかりでいる自分が情けなくて気分が落ち込む。私も菊のためにできることはなんでもやらないと。
外に出ると、ムワッとした夏真っ盛りの暑さが広がった。あまりの暑さにやられそうになる。出来るだけ日陰を歩き、涼を取ることにした。
「さて、どこ行こうか。このまま秘境駅に行くのも勿体ないし」
しばらくの間歩き続けると、住宅街へと出た。名前も知らない土地の住宅街の端に佇んでいる掲示板に、花火大会と書かれていた。分からないがこの近くで催すのだろう。日程は今日の夜だ。
「花火大会、行ってみる?」そう尋ねてみると目を輝かせながら答えてくれた。
「当たり前じゃん、見よ。そういえば今日って学校だっけ。結局連絡してないね」
そんなことはすっかり忘れていた。菊は真面目だな、そう思った。失踪しようとしているのにまだ学校、家のことを考えている。私は全てを置いてきたというのに。
「今更か。もう学校には用はないし」
そう彼女は苦笑した。
誰も居ない住宅街から一つの影が伸びるのが見えた。日傘を傾けて影の方に視線をやる。そこには住宅街の住人であろう人が立っていた。
「あなたたち、こんな場所でどうしたの?そんなところに座ってたら暑いでしょう、家に来な」
おばさん、いやお姉さんが声をかけてくれた。家の方向を指差しさながら案内された。菊と顔を合わせながら大丈夫かなと不安になったが人生を放りだした私たちにはもう何の不安も恐怖もないはずだ。
「ほら、冷たいジュース」
お姉さんにオレンジジュースをもらった。たくさんの氷が入った冷たいジュース。一口飲むと外の暑さも相まって一瞬で飲み干してしまった。一気に飲んだからか頭がキーンと痛む。これもまた夏の風物詩だ。
「あらあら、そんなに喉が乾いていたのね。おかわりあるから自由にどうぞ」
見知らぬ私たちになぜこんなに親切にしてくれるのだろう。綺麗に片付いた部屋、統一されたインテリア。私のゴミ箱を何個もひっくり返したような家とは大違いだ。
「アイスでも食べる?美味しいよ」お姉さんはそう言って台所へと駆けて行った。
「はい、どうぞ。ゆっくり食べて」
二人分のカップに入ったアイスを手渡しされる。少しずつ食べ進めていくと、自然に笑みが溢れた。 甘いバニラアイス。アイスってこんなに美味しかったかな。こちらもまた一瞬で食べ終えてしまった。冷房の効いた部屋で冷たいジュースとアイスをいただいたからか少し寒気がする。でも外の暑さよりマシであるし火照った身体もゆっくりと冷めていく。
「美味しかったです、ありがとうございます」
菊がお礼を伝えると、笑いながらお姉さんが言った。
「いいのよ、私の子どもも今頃はあなた達と同じくらいになるのね」
何ともいえない雰囲気になる。重く、寂しく心にのしかかるように感じがした。
外は少しずつ茜色に染まってきていた。 早いものでもう夕暮れだ。長旅の終わりのように思えるが、朝に家を出たばかりだ。まだ一日も経っていない。
「そろそろ帰ります。ご馳走してくれてありがとうございました」
菊が先制を着る。私も慌ててお礼を言う。するとどこか寂しそうな顔をして、お姉さんは笑った。
「もうちょっといてくれても良いのに。でも貴女たちにも予定があるし、仕方ないか。こちらこそありがとうね。気を付けて帰るんだよ」
玄関口まで見送ってもらい、別れを告げた。茜色の空に照らされる住宅街が輝いて見えた。
「さて、行こうか。花火見ようよ」
寂しげな顔をしていたさっきまで一緒に居た人を思い出しているのか、菊も寂しそうな顔をしている。そんな姿を見ていると何とも言えない感情が沸き出てきた。
「ねぇ、私じゃ、だめ?」
涙を流しながら菊はそう訊いてきた。橙色の空が映る雫を指先で拭って、いいよと答えた。
夕暮れ時の坂道。互いの唇を奪い合った。 今まで傷付いてきた分を取り返すように。傷の舐め合いだと言われるだろうか。それでも私たちの想いはきっと同じであり変わらない。
「行こうか」
笑い合いながら、少し泣きながら。坂道を下って行く。人が流れる方へ着いて行くと、お祭りの賑わいが見えた。人混みに紛れて雰囲気を楽しむ。提灯のやさしい明かりも、人の熱気も夏らしくてテンションが上がる。はぐれないように手をしっかり繋いで遊ぶことにした。
かき氷を食べながら顔を見合わせ、少しばかり雑談を繰り広げた。今までのことを振り返っていく。 同じ保育園に入園して、いつも一緒に遊んでいたこと。それからずっと同じ学校でクラスも毎年同じだったこと。殴り合いに近い喧嘩をしたこと。たくさん、たくさん話し合った。
不意に大きな音が響いた。花火が始まったのだ。色とりどりの花火が次々に打ち上げられる。
「綺麗、花火いいね」
咲いては散っていく花火を瞳に映す。花火の写真を撮る菊の姿をこっそり写真に収めた。 終わらなければいいのに、と言い合いながら時を過ごした。 終わらなければいい、本当に。そうすれば死ぬことも苦しむこともないのに。
終盤に差し掛かってきたとき、菊の頬に触れた。
「夜花、どうしたの?」
きょとんとする彼女に甘い口づけをした。今までで一番幸せなひと時だったかもしれない。花火に照らされる私たちはきっと、とても輝いてみえているだろう。最後の一発の前に口を離した。大きな花が夜空に散っていく姿はとても儚く美しかった。