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おねーちゃんが好き  作者: ヤケ酒あずき
第一章 きっかけと決意
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瑞木恵里佳 15歳 夏 / 瑞木由花 13歳 夏2

 ボクの隣で、由花がご機嫌斜めな様子でお父さんの車に揺られている。講座でおかしな質問をして、笑われたのが恥ずかしかったのだろう。この子はさっぱりしているように見えて、意外と引きずるほうだから。


 今日の講座を思い出す。講師の女性が言っていたこと。


 大切なのは、声を上げること。私たちはちゃんと存在してるんだと叫ぶこと。


 言われて、気づいた。ボクは今まで、そうしてきたことが一度もなかった。


 初めて男の体になり、不定性のXジェンダーだと言われた時。お父さんとお母さん、由花に何かをすることもなく、受け入れられますようにと願っていただけだった。


 友だちだと思っていた同級生に虐められた時。気持ち悪いことじゃないと言い返せなかった。暴力を振るわれても靴をトイレに落とされても、ただ黙って耐えていた。


 おかしいと、そう叫んだのはいつも由花だった。本当なら、ボクがするべきことだったのに。


 ボクはいつも由花に守られ、居場所を与えてもらっていた。


 今だって、ボクは人の目に止まらないように生きることばかり考えている。もちろん、楽しくなんてないけど、何もしないのが一番安易で楽だから。


 ……そうして、死ぬまで生きていくの?


 ぞっとした。自由に生きることを諦めるなんて、それは奴隷や囚人と何が違うんだろう。


 ボクがボクらしく生きるためには、声を上げないといけなんだ。


 そう考えた途端、とてつもなく心が重くなった。何もしなくたって虐める人がいたのに、目立つようなことをすればどうなってしまうんだろう。


 でも、批判されるのを覚悟で、やらないと何も始まらない。これまでの歴史や、由花が証明してきたように。由花がボクシングを始めたのは、ボクを守るため。本人から聞いたわけじゃないけど、姉妹だからわかる。変わろうとしてるんだ。何もしないボクの代わりに。


「……? どうかした?」


 ボクの視線に気づいたらしく、由花が小首を傾げて問う。


「いや、由花は凄いなって」

「え、いきなり何? なんかよくわかんないけど、やったあ」

「それと、ありがと」

「もう、おねーちゃん、だからどうしたの? ……どういたしまして」


 きっとこの、照れ笑いを浮かべる可愛い妹のようにはできないと思う。でも、由花が傍にいてくれれば、勇気をもらえる気がした。




***********************************************




 おねーちゃんが夕食を食べるのを止めて箸を置き、あのさ、と言った。ついにきたか、と箸を持つ手を握りしめる。


 講座に行った日から二週間経つ。あの日から、おねーちゃんは思いつめた表情で考えごとをするようになった。何かあるんだろうなと思っていたけど、建築デザインの仕事で遅くなりがちなお父さんもいる今日か。


 家族三人、おねーちゃんの言葉に耳を傾ける。


「ワタシ、歌を歌って、動画を投稿してみたいんだ」


 ええ、と思わず声を上げそうになった。あれだけ歌うのを嫌がってたおねーちゃんが、自分から歌いたいなんて。しかもそれを動画にって、どんな心変わりがあったんだろう?


「……それは、どうしてかな?」


 お父さんの声色は優しいけど、反対しているのは明らかだった。お母さんの視線も

厳しい。あ、あのね、と話し始めたおねーちゃん声は震えている。


「ワタシは、ワタシらしく生きてみたいの。今みたいに、目立たないように、怒られないように、変に思われないようにって、誰かの目を気にしながら生きるのは、もう嫌なんだ。だって……、それは、楽だけど、生きてて、楽しくない、から」


 詰まりながら、喉の奥から吐き出すように、言葉を続ける。


「やりたいことはたくさんあるのに、何もできないのは、苦しいよ。……少しずつ、自分が死んでいくみたいなの。端っこから腐ってくみたい。それに、そのことに慣れていく自分がいて、いつか、自分が好きだったものや、大切だったものも忘れて、心が死んだまま、生きているんじゃないかって気がして、とっても怖いんだ」


 おねーちゃんは可愛そうなくらい体を縮こまらせて、見ているこっちの心が痛くなる。思わずおねーちゃんの肩を抱きしめたくなった。


「……ワタシは、ワタシがワタシらしくいられる場所が欲しい。それは、多分海の孤島とかじゃなくて、たくさんの人の中で、認めて受け入れられることで、見つけられるものなんだ……と思う。だから、ワタシの歌を、誰にでも聞いてもらえるようにしたいんだ」


 わたしは、やっと理解した。


 柏の葉中学校に転校して、服装やトイレや着替えに配慮してもらえて、虐めもなくなったから、おねーちゃんは受け入れられたんだと思っていた。違ってた。それは、おねーちゃんではなく、おねーちゃんのXジェンダーが受け入れられただけだったんだ。


「自分らしく生きたい。それはわかったよ。いいことだと思う。けど、どうしてそれが歌の投稿になるのかな?」

「恵里佳、ネットに動画を上げて、名前や住所を特定されたらどうするの? 他の方法はないの?」

「それは、そうだけど……。それがワタシの、やりたいことだから」


 おねーちゃんの声はやっぱり震えていたけど、でも、はっきりしていた。


 両目がキラキラ輝いてて、生き生きしていた。


 その顔を見たら、どんな不可能なことだって、やり遂げなくちゃいけないと思った。


「やろうよ」


 みんながわたしを見る。箸を置いて身を乗り出す。


「個人情報なんて、気を付ければいいだけじゃん。やろうよ」

「誹謗中傷だってされるかもしれないのよ?」

「悪いこというやつらは悪いやつらなんだから無視すればいいよ。だいたい、わたしがボクシングをやるのは許してくれたじゃん。なんでおねーちゃんが歌を投稿するのはダメなの? 怪我もしないし誰も傷つけないんだよ?」


 それを言われたら、みたいな顔でお父さんたちが目を逸らす。


「一番大事なのは、おねーちゃんがやりたいことをやることだもん!! だから絶対やるべきだよ!!」


 結局最後の一言が決め手になったみたい。お父さんたちは顔を見合わせ、諦め顔でため息をつき、仕方がないな、って苦笑した。おねーちゃんとハイタッチ。


「おねーちゃん、なんでも手伝うから、遠慮なく言ってね」


 許可を貰えた勢いでそう言ったら、おねーちゃんは首を横に振った。


「ありがと。けど、これはワタシがやりたくてやってることだから。由花には、見守っていて欲しい。何かあったら、頼むからね」


 わたしは笑顔で頷いた。力になれないのは寂しいけど、これはおねーちゃんの戦いだ。ボクシングは、リングの上に味方はいない。けど、だから勝った時の達成感はサイコーなんだ。


 その日から、わたしたちの部屋のクローゼットがおねーちゃんの歌唱部屋になった。中を防音シートで覆って、マイクにケーブル、スタンド、オーディオインターフェイスとかいう機械、録音や編集に使うパソコンを買ってもらってた。


 そこで、おねーちゃんは歌の練習を始めた。歌だけじゃなく、録音機械の説明書や指南本を見ながら、宅録の仕方を勉強した。さらには、体力をつけるためにわたしと早朝のロードワークまで始めた。


 そんなのが三か月も続いた。わたしは約束通り見守っていたけど、十一月も終わりに近づき、涼しさを通り越して寒くなると、いつ録るんだろうっていい加減焦れてくる。



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