1 気がつけば、ここにいた
気がつけば、わたしはひざまづいていた。
後ろ手に縛られている。
わたしが着ているものは、麻布を丸めただけの粗末な着物だ。
「しらぬ、おまえ、ここ、はいれない。おまえ、ここ、いる、ここ、いる、できる。おまえ、ここ、はいれる。おまえ、できない、ころす、にく、くう」
よく日に焼けた男が、そう告げてから、わたしを睨みつける。
わたしが、ここの者たちの役に立つようならば、仲間に加えてやると言っているのだろう。そして、わたしに、利用価値がないのならば、わたしを殺して、わたしの肉を喰らうと。
言葉自体も、文法も、おかしいが、わたしの知る言葉と類似性はある。だから、言いたいことは何となく分かる。
わたしは、その言葉に合わせず、自分の言葉で話すことにした。伝わらないところがあれば、手振り身振りを交え、ここの言葉を真似て、意思疎通を図ればいい。
日に焼けた男も、わたしと同じように、麻布を丸めただけの着物を着ている。
体が大きい。太く分厚い筋肉が盛り上がっている。
わたしを取り囲んでいる人垣に視線を向ける。
誰もが、着ているものは、わたしと似たようなものだ。
男も女も子供もいた。
けっこうな人数だ。
みな、わたしを見ている。
わたしに話しかけていた男が、見渡す限りでは、1番大柄で強そうだ。
たぶんここの長なのであろう。
わたしに意識を向けてみる。
自分の名もわからなかった。
ここがどこかもわからない。
わたしに何ができるのかもわからない。
「困っていることは何だ」
わたしは訊いた。
長だろう男はわたしを睨みつけたままだ。
わたしは男を指さし、その指をぐるっとわたしの体の周りを回し「ここ」と言い、「いる」と言いながら、集まっている人々に指を向け、それから何かをその者たちに渡すような身振り手振りをして、「なに」と言ってみた。
「なに?」と日に焼けた男が、そこだけ、繰り返した。
ああ、何、と言う言葉がないのか。言葉の概念を伝えるのは、かなり難しそうだ。
「ここ いる ここ」と言いながら、わたしは、指を立て、色んな方向を指してみた。「ここ、いる、ここ、なに」
「それ、ある、たくさん」
どうやら通じたようだ。
「その中のひとつを、わたしがなくしてみせよう。もしそれを、日が暮れるまでに、わたしがなくせなかったならば、わたしを殺し、わたしの肉を喰らうがよい」
「よい。おまえ、やる、まつ、ねる、まつ」
どうやら、長だろう男は、わたしの言葉が、何を意味するのかは正確にはわからなくても、それをひとつ、ひとつ、意味を聞き返すよりも、大事だと思えるところだけ、感じ、話すことにしたようだ。なかなか頭のいい男だ。
「ならばこのいましめをほどいくれ」
わたしは縛られている両手を、背面にあるままで、動かせるところまで上げて見せた。
長だろう男が、後ろに控えていた男たちの方を向き、
「やれ」と口にした。
ひとりの男が歩み寄り、縛られていたわたしの手のいましめをといた。
いましめをといてくれた男は、ふたたび、長だろう男の後ろに戻った。
「ここを少し歩かせてもらえるか」と言いながら、大きく指を周りに向けて回し、歩く身振り手振りをした。
「よい。ナウ、おまえ、つく。わるい、おまえ、ナウ、ころす」
「それでいい。では日が暮れるまで」
手を、さようならという風に、ぐるっりと体を回して、振ってみせてから、長だろう男に、頭を下げた。
礼の意味は、正確には伝わらなかっただろうが、敬意を表していることは感じとってくれたようだ。
「おまえ、まつ、ここ、まつ、ねる、まつ」
長だろう男は、そう言ってから、集まっていた人々を、追い払うかのように、手を振ってみせた。
わたしの周りを取り囲んでいた人垣がゆっくりとほどけていく。
最後に、わたしの前に、若くたくましい身体をした男が残り、わたしをみつめていた。
「ナウ」
わたしは口にしてみた。
若い男が首を傾げる。
わたしは若い男を指さし、もう一度、
「ナウ」と口にした。
若い男がうなずく。
ナウはわたしを指さしてきた。
わたしは首を振った。
それがどういう意味なのか、ナウにはわからなかったようで、ふたたび首を傾げる。
わたしはもう一度、ナウを指さして、
「ナウ」と口にし、その指をわたしに向けて、わからないという風に、首を振ってみせた。
ナウはうなずいた。
しばらく、ナウは黙ってわたしをみつめ、それから、
「ソキ」と口にした。
どうやらわたしの名を、ソキと名付けてくれたらしい。ソキ。なかなか良い名だ。
わたしはナウを指さし「ナウ」と口にし、その指をわたしに向けて「ソキ」と口にした。
ナウはうなずき、少し笑った。
「歩きたい」
歩き出したわたしを見て、ナウはうなずいてから、わたしの横に従った。