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【第九話】


夏もそろそろ終わりを告げようかというその日のことだ。午前の講義を終え麗さんの事務所に着くと、そこではすでにソファの上で一之宮が眠っていた。白いワンピースに乱れた黒髪が映える。その姿は何となく以前見た花一華(はないちげ)を思い出させた。

テーブルを挟んだ向かいのソファでは麗さんが気だるげに本を読んでいた。如何にも年代物といった風情の革表紙の分厚い本だ。中身をチラリと見るのだがどこの国の言葉か分からない。

僕に気づいた麗さんはやっぱり気だるげに首を僕に向けると、少しずれた眼鏡を直しながら言う。


「ああ、アシビ。いいタイミングで来たな。お茶を淹れてくれ。今日は紅茶がいいな。大きめのヤツにたっぷり入れて持って来てくれ」

「解りました」


お茶くみはこの事務所における僕の大事な仕事のひとつだ。給湯室に行くと電気ポットにいっぱいの水を入れて、お湯が沸くまでの間に茶葉を準備する。麗さんも基本的にお茶にうるさい訳ではないので、茶葉はとりあえずあるものを使う。具体的にはこの前僕が買って来たどこのスーパーでも売っている国内で一番有名な紅茶だ。三角パックで素人が適当に淹れても美味しく飲めるそれを四つ出す。

電気ポットからボコボコとお湯が沸く音が聞こえるとカップを3つ並べる。大きなマグカップを一つとティーカップを二つだ。それぞれにお湯を入れてカップを温めてからお湯を捨て、再びお湯を注いでから茶葉を入れる。マグカップには二つ分だ。その上に皿を被せて蓋をしてからお盆に載せて麗さんの元へと持って行く。


「お待たせしました」


蓋を取ってゆっくりとティーパックを上げると湯気とともに甘い薫りが鼻孔を擽る。それを三回繰り返すと真ん中に安物の個包装されたクッキーが入ったお皿をドンと置く。それが合図にして麗さんは一之宮に声をかけた。


「おい、眠り姫。茶が入ったぞ。起きろ」

「え?……あ、はい。午醉(あしび)くん、おはようございます」

「うん、おはよう。一之宮」

「いい匂いですね」


紅茶の匂いを嗅ぎつけたのか一之宮は子猫のように身を捩って起き上がる。

僕はその隣に座る。出社して最初にするのがお茶を飲むというのもおかしな話だが、一之宮に相手をするというのは僕がこの事務所でやるべき最優先の仕事なのだ。

麗さんは個包装されたクッキーの袋を雑に開けてはバリバリと咀嚼し、その向かいで一之宮は栗鼠(りす)のようにクッキーを(かじ)る。僕はその隣で紅茶を(すす)る。

超常の者たちの中に混じりながら何気ない日常を過ごすという異常の中、一之宮はふと思い出したかのように口を開いた。


「そういえば、麗さん」

「何だ?」

「以前から気になっていたのですが眠り姫というのはどういう意味なんでしょうか?」

「ああ?」


急に何だとばかりに麗さんは眉を(ひそ)める。そしてそれは僕も同様だ。そして呆れ半分、微笑(ほほえ)ましさ半分に、僕は彼女に答えた。


「そりゃ、あれだけよく寝てるんだからね」

「だから眠り姫なのですか?」

「うん、ほら、童話でもあるだろ?」

「童話?……ああ、そういう童話があるのですね。そもそもそういう固有名詞があっての眠り姫。解りました。納得です」


得心がいったとばかり大きく頷く。逆に僕はその反応で納得がいった。


「ああ、なるほど。一之宮はそもそも眠り姫の童話を知らなかったのか」

「はい、そうです」

「まぁ、僕も有名な外国のアニメか何かで見た気がするだけで大雑把にしか覚えていないけどね」

「アニメですか? 絵が動くヤツですね」

「そうそう、最近はすっかり見なくなったけど――」


日本人なら大抵は知っているが、一之宮がおおよそ見たことがないであろう有名な国産アニメーション映画の話をしようと考えたときだった。

麗さんと目が合ったのだ。


「な、何ですか?」


明らかに何か良からぬことを考えている、嫌に楽しそうな目立った。


「いや、何……ね。今の眠り姫の由来だが半分だけ正解と言った所だな」

「半分ですか?」

「ああ、半分だ」


いやらしく唇を歪めて嗤う。それこそ眠り姫に出て来る魔女みたいだ。そしてそのままクツクツと笑いながら僕に命じた。


「そうだな、シズリは眠れる森の美女の童話を知らないようだからな。いい機会じゃないか。アシビ、教えてやれよ」

「は、はぁ……」


とは言っても、桃太郎や浦島太郎と違って、僕もそこまで内容を覚えているわけじゃない。件のアニメーションだって一部のシーンだけ見ただけで通しで見たことはない。

そもそも何で眠ったんだったけ? 魔女が何かしたのは何となく覚えているんだけど、どうして呪われたのかとかの経緯は曖昧だった。こういう時はスマートフォンだ。「眠れる森の美女」「あらすじ」で検索してとりあえず上のほうにあるサイトをタップする。いちおう最もポピュラーなのがグリム童話ということで、僕の記憶ともおおむね一致する。ただ、ざっと見たところ、やっぱりけっこう忘れている個所が多かった。


「えっと――」


自分のスマートフォンを持っていない一之宮に向かい僕は説明した。


「昔々あるところに子どもが産まれず困っている王様と王妃様がいました。そんなある日のことです。王妃様の前にカエルが一匹現れて「一年以内に子どもを産みます」と予言していきました。そしてその予言は現実のものとなり、しばらくして王様と王妃様の間に女の子が生まれたのです。喜んだ王様は国に住む13人の魔女たちをお姫様の誕生パーティーに招待しようとするのですが、彼女たちのもてなすための黄金の皿が12枚しかありません。なので王様は1人だけ招待状を送りませんでした」

「変な話です。別のお皿を使えばいいだけなのに。とっても失礼で思慮の浅い王様ですね」

「ま、まぁ……僕もそう思うけどお話だからね」


僕は仕切り直すようにゴホンと咳払いをする。

そうして続けた。


「誕生パーティーに招待された12人の魔女たちは、それぞれが魔法で「徳」「美」「富」をお姫様にプレゼントしていきます。そうして11人目の魔女がプレゼントを終えた時のことでした。1人だけパーティーに呼ばれなかった13人目の魔女が現れ、のけ者にされた腹いせとしてお姫様に「15才になったとき糸車の紡錘が指に刺さって死ぬ」という呪いをかけていきました。お城の中は大騒ぎです。その時、まだプレゼントを贈っていなかった12人目の魔女が言いました「この呪いを解くことは出来ませんが弱めることは可能です。お姫様は死ぬのではなく100年間眠った後に目を覚ますようにしましょう」そうして呪いは弱められることとなりました」

「下手くそな方ですね。停滞の概念を媒介にして死と眠りを入れ替えるというアプローチなのだと思いますが、そもそも呪いを変質させるよりも破壊する方が絶対に簡単な――」

「えっと、一之宮、続き言うね」


ニヤニヤと笑う麗さんを少しだけ恨めし気に一瞥してから僕はさらに続けた。


「呪いは弱まったものの問題は解決していません。王様はすぐに国中の糸車を燃やしてしまうように御触れを出します。しかしお姫様が15才になった日、城の塔の中にただ一つ残っていた糸車をお姫様は見つけてしまいます。お姫様が興味を持って糸車に近づいくと、糸を紡いでいた紡錘が針が跳ね上がりお姫様を襲います。紡錘が指に刺さったお姫様はそのまま眠りに落ちてしまいました。その呪いは瞬く間にお城の中に広まり王様も王妃様も騎士も使用人も皆が眠りに落ちてしまいます。お城を覆っていた茨は物凄い勢いで伸び続け、あっという間に侵入者を阻む鉄条網となりました」

「……………………」

「そうして誰も入れなくなって長い時間が過ぎたある日、隣の国の王子様がこの国を訪れます。茨に覆われた城を見て王子様は城の近くに住む老婆に尋ねると、そこで美しいお姫様が眠っていることを知ります。何としてもお姫様に会ってみたくなった王子様は危険を知った上で城へと向かいます。そうして茨が茂った城門の前に王子様が立つと、まさにそのとき100年の呪いが解け茨の解けた城門が一人でに開きます。王子様は無事に城にはいるとそこで眠っている美しいお姫様を見つけました。王子様がお姫様にキスをするとお姫様は目覚めます。すると城の他の者たちもつぎつぎと目が覚めました。王子様を見初めたお姫様はそのまま結婚して幸せに暮らしました……あれ? これってこんな話だっけ??」


微妙に記憶と違う。何と言うか王子様がショボい。これと言って仕事をしていないのだ。そんな僕の様子に気づいたのか麗さんは「そりゃ、そうだろ」と笑う。


「ドラマ性がないと映画にはならんさ。魔女が竜に変身して王子と戦わないと絵にならない。その辺りは改竄(かいざん)というか改善だな」

「まぁ、原作だって長編小説ってわけじゃないですから、そんな凝った作りの話じゃないでしょうしね」

「そういうこと……さて、シズリ」


ひと段落ついたとばかりに麗さんは一之宮に向き直り尋ねた。


「今の話を聞いてどう思った」

「そうですね」


一区切りして考える。

まぁ、先ほどから何度もツッコミを入れていたが、この童話は冷静に考えればツッコミどころが満載だ。王様は浅はかだし、処分した紬車がよりによって城の中にあるのも意味が解らない。呪いもお姫様個人から城全体にかかって結局強化されちゃってる。そんな中で彼女が最初に選んだツッコミどころはやはり王子様だ。


「王子様は変態ですね」


ハッキリと言った。


「一之宮は手厳しいね」

「ですが、そうだと思いますよ。眠っている女性にキスをするなんて婦女暴行です」

「そ、それは……確かにそうだね」

「はい。それに危機感がありません」

「まぁ、女の人見たさに呪われた城に乗り込むくらいだしね」

「いえ、それもありますが、そもそもがお姫様に惚れる時点で危機感が足りていません。たとえどんなに美しい外見をしていようと呪われた城にいるお姫様が普通なはずがありません。眠っている間に、中身は(おぞ)ましく変質し、汚濁(おだく)し、腐り果てて然るべしです。にも関わらず、そんな女性を好きになってしまう。想像力の欠如です。危機感がないと言わざるえません」

「な、なるほど……」

「百歩譲ってそのことに気づいたとしても、それはそれで問題です。異常だと理解しながらも、そんな女の子を好きになってしまう。それはもう歪んだ性的嗜好の持ち主であり、まごうことなき変態の所業です」

「………………」


一之宮は言い放つ。それを聞いた麗さんはゲラゲラとひとしきり笑った後、僕に向かい尋ねた。


「どうだ? どうして眠り姫なのか解っただろ?」

「ええ……業腹ながら」

「そいつは良かった」


そうしてまたゲラゲラと笑う。

そんな風にお茶会が終わり、一之宮が薬を飲み終えると、麗さんは僕と一之宮に向かい事務所の掃除を命じた。普段なら事務作業が多いのだが今日は木曜日だ。仕事もおのずと彼女と一緒に出来るものに限られる。それに、まぁ……麗さんが自分で掃除なんてするはずがないのだ。


掃除機を手に取った一之宮は楽しそうに何度もON/OFFのボタンをカチカチと切り替える。

さすがに4階のビルを上から下まで掃除するとなると時間がかかり過ぎるので廊下の掃除だけだ。掃除機係を任命された一之宮は自分のスイッチを入れるタイミングで掃除機が動くのが楽しいのか、ジグザクに廊下を歩きながら掃除機をかけていた。僕はその様子を見守りながら、バケツと雑巾を持ってビルの玄関に向かう。


拭くのは入口のガラス戸だ。まずは内側から四角を描くように隅から拭いていく。窓ふきってのは意外と難しくて、綺麗に拭いても跡が残ってしまうことがままある。とはいえ僕も麗さんもそこまで掃除に思い入れはないので適当に汚れが落ちればそれでいい。

内側を拭き終えさらに汚れている外側を拭くためにビルを出る。

それと丁度同じタイミングだった。


中司(なかつかさ)の弟子だな?」


唐突に老人が現れた。上品ないで立ちの紳士だった。ただ少しばかり衣服の風合いが変わっている。

それは一言で言うなら灰色だった。老齢を迎えた口ひげは綺麗な薄灰色に染まっており、身に着けた背広の上下も濃い灰色。丸いフォルムが特徴的な山高帽も薄めた墨のような灰色。背広の下に身に着けたシャツまでもが灰白色なのだから徹底している。身に着けているもの全てが灰色。その所為か地面に伸びた影までもが灰色に見えた。


「来てもらおうか」

「はい?」


えっと……何?

弟子って?

従業員ではあるけど?

老人のあまりの言葉の少なさに混乱し、とりあえず「弟子ではない」と言葉にしようとした矢先だ。

急速に視界が歪み、僕の意識は闇の中に落ちた。



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