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【第八話】


ゴールデンウィークが終わった後の僕は上機嫌だった。


あの夜、僕は初めて一之宮(いちのみや)玄隹(しずり)と言葉を交わした。濡れた地面には月光が反射し、脳が痺れるような芳香が周囲を包む。そんな現実離れした景色の中で聞く彼女の声は小鳥のように可憐で僕の心を弾ませた。

最初に彼女が言った言葉は何だったかな?

ああ、そうだ思い出した。確か「午醉(あしび)くんは変な人ですね」だ。これまで一回も喋ったことのないクラスメイトの名前を彼女がちゃんと覚えていることに、当時の僕はもうそれだけで感動したものだ。

それにどちらかと言うと僕は平凡で周囲からもあまり「変わっているね」なんて言われる機会がなかったから余計によく覚えている。

まぁ、僕の方もこれまであまり親しく女の子と話したことがないものだから、すごく緊張して変なことを言ったかもしれない。あのときに話したのは、そう……確か月の話だ。その日の月があまりにも綺麗で、美しく、感動してしまったから、その話をしたんだった。


それが僕と彼女の始まり。



学校が始まってからも僕は度々、一之宮に声をかけた。彼女も最初は毎回不思議そうな顔をしていたのだけど、嫌そうな顔はしなかった。

事件が起きたのは6月のこと。この年の梅雨は雨がよく降った。大人たちは「もともとこの時期は長雨が降るものだ」って、言ったけど温暖化だかエルニーニョ現象だかで、僕が物心ついたときから梅雨なんて一種の記号みたいなもので、漫画みたいに6~7月に長雨が降るなんてことは経験がなかったからけっこう新鮮だった。

そんなとき一之宮が言った。


雨が降るのは蛇がおなかを空かしているからです。


蛇、へび、ヘビ。何の事だろう?

どうして蛇と雨が関係あるのか解からないので彼女に問いただすと彼女は「蛇は水の神様の使いだからです」と答えた。どうやらこの辺りに住んでいる蛇は大食いらしい。僕が「どういう意味?」と問いただすと、彼女は「一緒に行ってみますか?」と誘ってくれた。


次の休日に連れて行かれたのは隣の県の山中だ。一之宮がいつも登校で使っている黒塗りの高級車に乗せられて進む。舗装された道路が終わると、そこからさらに歩く。右を見ても山、左を見ても山、景色の全部が山。ここなら確かに山の神様でも、水の神様でもいるかもしれない。そんな山の中。登って行った先には社がひとつ。石を組んで出来た社は表面が朽ちている上に、苔むしていて如何にも古そうだ。社の中には自然石がひとつ。変わった形の石で、見ようによってはとぐろを巻いた蛇のように見える。

一之宮はその社の前で一礼すると鞄から瓶を取り出してそれを地面に撒く。後から聞いたのだが中身は塩だったらしい。それを四方に撒き、ペットボトルの中身(これも後から聞くと水だったらしい)を同様の場所に撒き、もう一度社の前に戻って一礼する。

白いワンピースはまるで巫女の着る装束のようで、僕はその様子を神事を見るような思いで眺める。そんなときだった。一之宮が「あっ、やっぱり駄目でしたね」と呟く。


ソレが現れたのはそれと同時だった。


それは巨大な蛇だった。太さは大人が両手を広げたほど、つまり口を開けば人間がひと息で呑みこめるほど。長さに至っては見当がつかない。そいつが山肌を這うように木々の間をすり抜けながらこちらに近づいてくる。

蛇は大きな口を開けて一之宮に迫る。だけど彼女は涼しい顔でそれを躱す。

(かわ)し方は跳躍だ。

助走もつけずにその場でジャンプして3メートル近く跳ぶ。白いスカートが翼のように翻る。彼女が腕を振るうと蛇が苦し気に身を捻る。苦鳴は聞こえない。それどころか巨体がのたうつ物音さえも聞こえない。土埃もたたない。風さえも起きない。夢幻じみた光景だった。

僕は興奮してそれを見る。

何が起こっているの皆目見当がつかない。

ただ解るのは一之宮玄隹が美しいという事実だけだ。可愛いだけでなく、華凛なだけでなく、美しい。

戦い……だったのだろうか?

やり取りはものの数分で終わった。もちろん彼女の勝利だ。そこでふと思う。

蛇は神様の使いって言ってたけど倒しちゃって良かったのか?

それを尋ねると一之宮は何でもないことのように「いいんですよ」と答えた。彼女が言うには神様と言っても造物主や絶対神といった類のものではなく、年月を経て力を得た動物の類らしい。そもそもこの仕事も神様の()()()()()()()()()というのだから、何とも業の深い話だ。どうしてそんなことをするのかと尋ねると、帰って来た答えはちょっと難し過ぎてよく分らなかったが、大雑把に言えば人間が管理しやすくするためなのだと理解した。


そして判ったことがもうひとつ。

一之宮玄隹は可愛いだけではない。とっても強い女の子だということだ。

このときの僕はもうとにかく興奮して一之宮に夢中になっていた。




それから僕は一之宮について行って色んな経験をした。



奇妙な裏路地に迷いこんだのはのは期末テストの少し前の出来事だ。

しばらく前から学校でも流行っていた『3丁目半の裏路地』だ。住宅街の中にポツンとあるお稲荷さんを祀ったの小さな社。その隣の小さな小道は普段は3丁目と4丁目は分ける境界線なのだが、キツネの幻に誘われてその道を潜ると何処とも知れぬ路地裏に迷い込み戻って来られない。そういう類の都市伝説だ。帰って来られないなら、どうしてそんな噂話が存在するんだ……って、聞いた当時は思ったものだが実際に迷い込むとそういった噂も納得の出来るものだった。そこは帰って来れなかった人たちの痕跡が山積していたからだ。一之宮は涼しい顔で「全員がこうなる訳ではないです」と説明しながら淡々と山積していた痕跡を処理していく。その可憐な姿に心を奪われながらも、彼女と僕は言葉を交わす。

このときは……そう、彼女の名の由来を聞いたんだ。美しい黒髪を黒い翼と重ねながら僕は彼女と言葉を交わした。



県境にある廃病院を探索したのは夏休みに入る直前だった。

満州景気の頃に建てられたという総合病院は自動車が普及しきった頃のものだけあって都心から遠く、駐車場が妙に広い。使われなくなって久しいアスファルトの(ひび)からは雑草が生えている。もう夏だっていうのに建物の中は真っ暗でまさにお化け屋敷という風情だった。そしてそこは実際にお化け屋敷そのものだった。巣くっていたのはゾンビだ。詳しくは、屍……何とかという鬼の一種らしい。一之宮は普段着としていつも着ている白いワンピースを纏ったまま、まるで日常の何気ない動作のように廃病院の中を歩く。僕はそんな彼女に遅れないようについて行くのに精いっぱいだ。彼女が普通じゃないことは解ってるんだけど、やっぱり少し格好悪い。

だけどそれも悪いことだけじゃなくて、僕はそのとき初めて一之宮の手を握った。



立ち入り禁止の古墳に入ったのは夏休みの中頃だ。

四国の山奥にある一般的には知られていない王墓。道中は森に侵食されており、おおよそ人の手が加わった様子はない。つまり道なんてない。かと言って歩いて行ったわけではない。移動手段はヘリコプターだ。生まれて初めて乗ったヘリコプター。沢山の計器が様々な数値を指し、意外と揺れない乗り心地に大いに驚いた。国で管理されていて調査の手さえ入ったことのない半分地下に埋まった石室。古の巫女のような貫頭衣を纏った彼女の姿は神秘的で、その清廉な姿に見入ってしまう。このときは大きな出来事は何もなかった。いや、何かあったのかもしれないが、蛇の神様とか、ゾンビとか、三つ首の犬とか、ドロドロの粘体生物とか、そういう分りやすい相手は出て来なかった。

ただ個人的には凄くドキドキすることがあって、帰りのヘリコプターの中で疲れた一之宮がウトウトとしてしまい僕の肩に頭を乗せて眠り出しだのだ。彼女の体温をこれまでにないほど近くに感じながら僕は恍惚とする。

最高の気分。

最高の経験。

高校生活最後の夏が過ぎていく。



そうして夏休みの最後、その事件は起こった。



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