【第六話】
出会ったのは偶然だった。ゴールデンウィークが終わって2週間ほどした日曜日の出来事だ。
その日、僕は親父に連れられて親戚の法事に行っていた。ひとつ県をまたいだ車で4時間もかかる田舎の町だ。いや、田舎といっても辺り一面、山だったり、畑だったりする訳じゃない。鉄道も通っているし、家も多い。ただ少し向こうを見ると山が見えたり、人通りが少なかったり、店がすくなかったり、あったとしても地元じゃあすっかり見なくなった、布団屋さんとか、時計屋さんがある。そんな感じの鄙びた町だった。
親戚のつき合いとやらで土曜は泊まりだ。ネットで何時でも何処でも繋がれる時代になったにもかかわらず(とは言っても半分以上はSNSに興味がなさそうな年の行ったオジさんオバさんだが)都会から来た若者の話というのはそれなりに刺激のあるものらしく、酒を酌み交わしながらゲラゲラ笑ってきいてくれていた。
その内にオジさん達の自慢話が始まり、それに飽きた従兄弟達が勝手に最近学校で流行ったという動画の話を始める。オバさん達は最初から男どもの話なんて聞いてなくて、姦しく女性同士で話に花を咲かせていた。
噂話を聞いたのはそんな時だ。それは如何にも都市伝説と言った風な、ありふれた噂話だった。
この町の外れにある小さな山の中に小さな社があって、そこには道祖神が祭られていて、昔は生贄が捧げられていただとか、その生贄の怨念の声が夜な夜な聞こえるとか、昔はよく神隠しになった人がいたとか、まぁとにかくそんな話だ。当時の僕は、神様だの、妖怪だの、祟りだのっていうのは、これっぽっちも信じていなくて、話半分どころか頭っから信じずに面白半分以下で聞いていた。何しろ話半分……というか、フィクションだと頭から信じて聞いていれば、それなりに楽しめる馬鹿話なのだ。
ところが、その隣で慶兄さんが実に嫌そうな顔で話を聞いている。何かと思って尋ねると、どうにも学生時代にそういったオカルト関係の話で酷い目にあったらしい。「霊能力者だの幽霊だのはもう沢山だ」というのが慶兄さんの弁だった。
そんな中、ひと昔前に起こったという殺人事件の話は無責任ながらも興味を引くものだった。3年前に起きた殺人事件。全国的なニュースになったわけじゃないけど、鄙びた田舎の町中では大きなニュースになったらしい。酔っぱらった男を若い女性が包丁でめった刺しにした。そんな事件だ。それだけでも中々にパンチの効いたエピソードなのだが、面白いのはどうやら昭和の時代にも同じような事件があったらしくて、さらに当時のことを知っている高齢者たちは大正時代にも同じ出来事があったと口々に語ったことだ。般若だの鬼婆だのと週刊誌では一度だけ取り上げられたらしい。
すっかりお酒の回った伯父さんたちはコップを片手にゲラゲラ笑う。ちゃぶ台の上と足元には空になったビール瓶。一万円札を渡されて「ビールを買ってこい」と言われたのは、そのすぐ後のことだ。
ジャンケンに負けた僕は一人でコンビニに向かう。一本道とはいえ、ろくに知らない町を歩かせるなんて薄情な従兄弟達だと毒づきながら僕は歩く。無事にコンビニまで着いた僕は6缶1ケースのビールを両手に3セットずつもって親戚の家へと戻る。持てない重さじゃないが、けっこうしんどい。お釣りはしれっともらっておこうと心に決めていた。そう考えれば、そこまで悪い話じゃない。それに田舎の空気も悪くない。
月の綺麗な夜だった。
町の灯りは地元の街よりも明らかに少なくて、夜空の色が確実に濃い。5月も半ばに差し掛かっているので日が暮れても十分に温かい。
親戚の家までは一本道。だから迷うこともない。だからだろう。少し寄り道したくなってしまった。
なんとなくだ。
何となく、電灯のあった角をひとつ曲がる。明らかに裏道といった風情で少しだけワクワクした。うちの地元にはこういう景色はない。ちょっと道をそれるだけで別に探検するわけじゃない。まさか道に迷うことはないだろう。そう高を括り、ふらりと歩く。
そうしてもう一度角を曲がったときのことだ。
目が合った。黒髪の少女だった。一見すると年下に見えるのだが、同い年だと僕は知っている。
美人で華凛で愛らしい、理想の美少女がそこにいた。
そう、こんなときでも彼女は美しい。
たとえ白いワンピースが赤い染みで彩られていても、その足元に動かなくなった女の身体が横たわっていても、その見たことのない女の腹から気味の悪い管がはみ出していても、それでも彼女は美しい。僕の感性が美しいと感じてしまっている。
黒い瞳がきょとんとした顔で僕を捉える。少し遅れて鉄臭い匂いがした。
実のところ僕はこれまで彼女に話しかけたことがなかった。何しろ生まれてこのかた女の子とつき合ったことなんてなくて、教室には人目もあるし、そもそも何を話していいのか分からない。
ああ、そうだ。ちょうどいい。
今なら人目もないし、彼女に声をかけることが出来そうだ。
そう思いつく。
彼女は、一之宮玄隹はやっぱり、きょとんとした目で僕の顔を見ている。
ひょっとしたら僕の顔を覚えていないのかもしれない。あり得る話だ。そもそも話したこともないクラスメイトのうちの一人なわけだし、こんな思いもよらぬ場所で出会ったら余計に混乱するだろう。
彼女が握っていた肉色の管を手放すと重く湿った音が辺りに響く。
それが合図だ。
赤い水溜まりを踏んで一歩進み、僕は言った。
今夜は月が綺麗ですね