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【第四話】


その女の子が転入して来たとき、教室の中はちょっとした騒ぎになった。ゴールデンウィークの一週間前という、転校して来るには少しばかりずれた時期。しかも飛び切りの美少女だ。

一之宮(いちのみや)玄隹(しずり)

僕も人のことは言えないが、なかなか変わった名前だ。調べてみたら「玄」は「黒」で、「隹」は「鳥」という意味らしい。

(くろ)(とり)

黒鳥。

その名の通り美しい黒髪をした彼女に相応しい優美な名だと思ったものだ。だって言うのに、周りのみんなはどちらかと言うと彼女の苗字の方に興味があるようだった。


一之宮(いちのみや)


一之宮というと、銀行やら、不動産やら、自動車やら、コンピューターやら、まぁとにかく色々な会社を経営している大金持ちの家柄だ。彼女は登校するとき黒塗りの高級車で黒いスーツをびっちりと着込んだ運転手に送迎されて来るものだから、そんな大金持ちの一之宮の関係者だと想像するのに時間はかからなかった。


ただそんな一之宮玄隹だが、彼女が教室の話題の中心になったのは最初の5日間だけだった。5日間。月曜に転校してきて、金曜日が来て、次の月曜日になったときには敢えて話題に上げるようなヤツはいなくなっていた。その理由は単純だ。一之宮玄隹は、友人にするにはちょっと面倒くさい女の子だったからだ。悪い子ではない。むしろおっとりした如何にもお嬢様といった雰囲気だ。だけど周囲と会話のテンポが合わなかった。

例えば誰かが聞いた。


「好きな歌手は誰?」そう聞くと一之宮は「歌手? 歌を歌う人ですか?」と尋ね返す。

それに「え? あ……うん、そうだけど?」と戸惑うと、間髪入れずに「テレビに出てるような人ですね?」問い返す。

そこへ「う……うん、そうだね。別にネットに上げてる人でもいいんだけど……」と言ってしまったら「ネット! 知ってます! 山下さんはネットを見るのですね!!」と興奮して言ってくるものだから、応える者としては「あ、うん……そうだけど……」と言葉を濁していく。


万事がこんな感じだ。言葉は通じているのだが、会話は成立しているのだか、何だかチグハグで想定しているような流れにならない。そうして大抵の者は喋っていると妙な空気に包まれるのだ。


一之宮を説明するうえで端的なエピソードがある。彼女はぶっちゃけ成績が悪かった。英語なんて中学生レベル以下だし、数学や、物理(たぶん選択科目が生物でも同じ結果だったと思うが)なんて理解している雰囲気すらなかった。うちの学校はたいていが東京の有名な私大を目指し、国公立の大学にも毎年何名も合格者を出している、公立にしてはなかなかの進学校だ。そんなもんだから「何でこの子、うちに転入出来たんだろう?」と疑問に思ったものだ。

だけどその評価が変わったのは古文の授業でのことだった。プリントに書かれていた後撰和歌集とかいうおおよそクラスの全員が興味を持っていなかった(下手をすると教えている当の古文教師さえ興味がなかったかもしれない)文章を見て誤植を指摘したのだ。しかもそれが、後撰和歌集ではなく、拾遺和歌集が出典だという何ともマニアックな指摘だった。古典に興味がない僕には後撰和歌集も拾遺和歌集もどうでも良くて、問題の解き方だけ教えてくれていればそれで良かったはずだ。クラスの連中だってそうだった筈だ。古文教師だってそうだ。だけど彼女はそのまま入試問題では聞いたことのないような文献を例に出して説明し続け、その内容を(そら)んじるものだから、周囲も凄いを通り越して困惑した。というか完全に引いていた。もちろん古典教師もだ。そしてそれを漢文の授業でもやらかすものだから、古文担当の教師の顔色は僕らの教室で授業をするのが実に嫌そうで、季節が進むごとに顔色が悪くなっていった。不幸にも一之宮のクラスを受け持つことになった男性教諭は一年満たぬ間に白髪が増え、僕らが卒業する頃には10歳ほど老け込んで見えたものだった。

そんな英語も物理も数学も出来ない一之宮だが、一部だけ異様に特化した知識を持つことから、やんごとなき一之宮のご令嬢故に幼少期から偏った教育を受けたのだろうと周囲は想像した。あるいはサヴァン症候群とやら(僕も漠然とした知識でしかサヴァン症候群を知らないが)のように脳の機能がひとつの分野だけに特化しているのではと、当時の僕も勝手に想像していた。


そんな彼女なものだからゴールデンウィークが終わって久々に全員が学校に揃った時には「ああ、何か面倒くさい子が転校して来たんだよな」と言った風に、みんな一之宮への興味を失っていた。何しろにゴールデンウィークが終わればすぐに夏休みで、ほとんどの者が受験の準備に忙しい。部活だって夏の大会で強制的に引退なので、部活に熱心な連中は最後の大会に向けて大いに盛り上がっている。そんな様子で、みんな進学やら部活やらに忙しいものだから休み前に転校してきたちょっと面倒くさい女の子のことなんて、興味を持っている暇がなかったのだ。


ただ僕だけは受験生にはあるまじきことに、このちょっと変な女の子が気になって仕方がなかった。何しろ一之宮玄隹は絶世の美少女だった。現金なものだが多少性格が変でもこれだけ顔が良いものだと気になって仕方がない。何せ高校男子の頭の中なんて受験と部活を取り除けば女の子のことしか頭にない。夢中になってしまうのも仕方のないことだった。

ただこれだけの超絶的な美少女にも関わらずみんながあんまりにも一之宮に興味を持っていない。なのでそれとなくクラスメイトの前で話題に出したのだが、そのとき皆一様に不思議そうな顔をしながら一之宮に対する感想を口にした。


例えばクラスメイトの一人が言った。

「可愛いと言えば可愛いけど雑誌のモデルになるほどじゃない」


別の一人がさらに言う。

「アイドルグループの中で(当時40人くらいでユニットを組んだアイドルグループが大人気だったのだが)下の方にいそう」


加えて別の一人も言う。

「美少女はさすがに言い過ぎ」

そんな意見だ。


それを聞きながら、クラスの連中は何とも見る目がないと密かに憤慨しつつ、一之宮玄隹の魅力に気づいているのは自分だけなのだと密かに悦に入っていたのもだった。


それだけ当時の僕は一之宮玄隹という存在にイカれてしまっていたのだ。そんな僕が彼女と初めて言葉を交わしたのが、ゴールデンウィークが終わってしばらく経った時のこと。


空には月。

足元には躯。

黒い髪に月光を照り返し、白い肌に血化粧。

黒い瞳がきょとんとした顔で僕を捉える。

路地裏での出来事だった。



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