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【第三話】


ふらふらとした足取りで家路に着いていた。頭の中にあるのはさっき一之宮(いちのみや)武臣(たけおみ)から差し出された提案のことばかりだ。

一之宮(いちのみや)玄隹(しずり)と結婚する。

それに心躍り、浮かれ、困惑しているのだ。

頭はちっとも回ってなくてフラフラしてどうやって家まで帰ってきたのか、さっぱり思い出すことが出来なかった。気がついたのは、駅の改札をくぐり抜け、公園の横を通り、門を潜って玄関まで来たときだった。


「……慶兄さん、来てるのか」


足元には見覚えのある靴が置いてある。揚げ物の音がする台所の方へ「ただいま」と投げかけて居間に行くと、そこには予想通り葦日慶太郎こと、慶兄さんが一人でビールを飲んでいた。


「おう、帰ったか」

「ただいま。出張行ってたんだっけ?」

「ああ、これ土産な」


そう言って渡された包には明太子入りの煎餅という、何だか妙な名前が書いてある、


「何これ?」

「知らないのか? 辛子明太子の入った煎餅だよ」

「知らないよ。美味しいの?」

「俺は好きだよ」


そう言って、机の上に置いてある生の明太子を肴にしてグビリとビールを飲む。どうやら父さんはまだ帰ってこないようだ。慶兄さんは父さんが使うはずだったグラスを差し出し、そのままビールを注いでいく。白い泡がむくむくと盛り上がりコップの淵でピタリと止まる。白が3に、琥珀が7の黄金比率だ。


「ほいよ」

「いいよ」

「何だよ、つき合い悪いな」

「あんまり好きじゃないんだよ。知ってるだろ」


そう言って、お土産の煎餅の袋を開ける。ビニールの個包装の袋を開けると薄っぺらい煎餅が2枚入っている。1枚取って口に運ぶとパリっとした触感の後、ピリッとした辛みが舌の上に広がった。


「へぇ、美味しい」

「言っただろ」

「いや、でも明太子が入ってる煎餅とか意味わからないよ」

「そうか? エビ煎餅とか、イカせんとか、タコせんとかあるから、魚介類と煎餅って割と普通だと思うけどな?」


そう言われてみれば、そうか。どこのスーパーにもたいてい置いてある大手菓子メーカーのスナックを思い出す。もう残ったもう一枚を噛んで割ると、パリポリと口の中で心地よい音が響く。

うん、美味い。


「お前さ」

「何?」

「まだ、中司(なかつかさ)のところに出入りしてるのか?」


唐突に聞いてきた……いや、唐突でもないか。だから僕が好きでもない酒をわざわざ勧めてきたのだろう。慶兄さんと麗さんは高校時代の友人で、2年前に僕がとある事件に巻き込まれた時、麗さんを紹介してくれたのが慶兄さんだった。


「うん、今日も行ってきた」

「そうか……まぁ、お前がいいなら、止めないけどさ」


言葉とは裏腹にちっとも納得していない顔でビールを(あお)る。


「中司さんが慶兄さんによろしくって言ってたよ」

「嘘つけ」


即答する。

確かに嘘だ。麗さんはそんな社交辞令みたいなことは言わない。


「アイツは俺のことなんて気にしたりしないだろ」


突き放すように述懐する。僕は高校時代の慶兄さんと麗さんがどういった間柄だったのかは知らない。恐らくは転入してきた時の一之宮と僕みたいな関係だったのかなとは思うんだけど、慶兄さんは教えてくれない。ただ確実に解っているのは『あの時』慶兄さんが麗さんを紹介してくれなかったら、僕は今頃こんな所で呑気に煎餅なんか食べていないし、一之宮と麗さんが殺し合いをしていたかもしれないということだ。


「慶兄さんには感謝してるよ」

「何だよ、急に」

「いや、感謝する理由が、今日一つ出来たんだよ」

「あぁ?」


僕は今日麗さんの事務所であった麗さんと一之宮のお兄さんとの睨み合いの話をする。ひょっとしたら一之宮と麗さんが殺し合いをしていたかもしれないという話だ。すると、慶兄さんは名状しがたい表情で僕を見た。


「何?」

「いや、お前の彼女が殺されなくて良かったなって思っただけだ」

「え?」


今度は僕が声を上げる番だった。


「何だよ?」

「あ……いや、一之宮が負けたパターンを考えてなかったって思って」

「おいおい、お前の想像の中だと中司が負けてるのか? まぁ……別にいいけどさ」


やっぱり納得していない顔でビールを呷る。やっぱり慶兄さんの中の麗さんは、僕の中の一之宮と似たような扱いらしい。ただ一点違うことは、慶兄さんは高校を卒業して以来、麗さんに一度も会わなかったということだ。


「まぁ、勝ち負けはともかく一之宮のお嬢様に何かあったら色々とややこしいことになってただろうな」

「それは……そうだろうね」


煎餅を齧って僕は頷く。

一之宮は財閥の家系だ。この国が近代化するに当たり台頭してきた十の家。一から十の数字を冠した俗に言う十家(ナンバーズ)。戦争が終わった際のごたごたでいくつかの家が欠けた後もなお権勢を誇る十家の筆頭である一之宮。

一之宮玄隹は()()()()()そんな名家に生まれたお姫様なのだ。

秘密裏に人間を消すなんて、昔の僕なら漫画の中の出来事だと笑っていたけど、多少なりとも裏の世界を知ってしまった今なら解る。一之宮家の権力は人間一人なんて簡単に消せる。ただ、以前の一之宮や、そのお兄さんの言葉を借りれば、中司麗は一之宮家の力を以てしても迂闊に敵に回せない怪物らしい。


「実はさ……」

「ああ?」

「一之宮と結婚するかもしれないんだ」

「はぁ!? 誰がだよ??」

「僕がだよ」

「マジかよ……」


まるで珍獣を見るような目で僕を見る。


「かも……ってことは、まだプロポーズしてないんだよな?」

「ああ、うん」

「止めた方がいいと思うぞ」

「何でだよ?」

「だってよ。あのお嬢ちゃんは中司の同類なんだろ?」


そう言ってコップに半分ほど残っていたビールを飲み干す。口元が苦々しく歪んでいるのはビールの苦みのせいではないのだろう。そしてその表情に似つかわしく、慶兄さんは苦々しい言葉を吐いた。


「なら無理さ。普通の人間には無理なんだよ」


コップを持った左手の薬指には銀色の指輪が光っていた。



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