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【第二話】


その日、いつものように(うるは)さんの事務所に来た僕は、そこにいた人物を見て眉を顰めた。眉目秀麗な男性だ。黒い髪を綺麗に撫でつけ、濃紺に薄っすらとチョークで線を引いたようなストライプのスーツを纏っている。30才を手前にした匂い立つような色気のある男だった。

彼がここにいることは事務所の前に来た時点で気づいていた。見覚えのある英国製の自動車が入口の所に停まっていたからだ。


「やあ、午醉(あしび)君。久しぶりだね」

「お久しぶりです」


座ったまま挨拶する男性に僕は会釈する。

彼の名は一之宮(いちのみや)武臣(たけおみ)一之宮(いちのみや)玄隹(しずり)の実の兄だ。


「半年ぶりくらいかな?」

「それくらい……ですね」

中司(なかつかさ)の事務所ではしっかり働いているらしいじゃないか」

「ま、まぁ、何とか……」


お兄さんが来るのは決まって木曜日以外、つまり一之宮がいない日だ。気さくに話しかけてくれているが、僕はこの人が苦手だった。会って話すのはこれで5~6回目くらいだろうか。いつも思うのが、この人は決して本音を話さない。そんな印象を感じさせる相手だなのだ。


「おいおい御曹司(おんぞうし)。うちの若いのを苛めないでくれないか? アシビに倒れられたら、また事務所が書類と埃で埋もれてしまうじゃないか」


麗さんが助け舟を出す。だけどパンツスーツを纏ったスラリとした立ち姿と足運びはネコ科の肉食獣を思わせるもので、そんな女傑と美丈夫が並ぶものだから、僕はちっとも安心出来なかった。


「アシビ、悪いがお茶を淹れてくれないか? いちおう御曹司の分もな」

「いちおうとは酷いな。これでも客人なのだが?」

「だから茶くらい淹れてやると言っているんだ」

「出来れば来た時に出して欲しかったものだけど……まぁ、中司が入れたお茶というのも、それはそれで信用が出来ないか」

「だろ?」


味のことを言っているのか、成分のことを言っているのか判らないが、麗さんは気を悪くした様子もなく(うなづ)いた。

麗さんはお兄さんが座っている応接用のソファの向かいにどっかりと腰かけて僕のお茶を待っている。僕は給湯室に向かうとお湯を沸かし、お茶を準備する。もちろん淹れると言っても、急須で淹れる訳じゃない。ティーパックのお茶だ。気をつけるのはせいぜいケチって一つのティーパックで二杯淹れないようにすることくらいだ。あとは沸騰した湯を一度湯飲みに移して器を温め、もう一度湯を戻して温度を下げるくらいだろう。

出来上がったお茶を応接室に持っていく。


「ああ、すまない」

「ありがとう、午醉君」


普段から高級なお茶を飲みなれているであろうお兄さんは上品な所作で僕の入れたお茶を飲み、麗さんは雑な手つきで(すす)る。僕はそのまま事務室に向かい、いつものように入力作業を始めた。


山になっている領収書を仕分けして項目ごとに打ち込んでいく。中には先日のカラフルな縄文土器のようにとても領収書で落ちないだろうというものもあるのだが、そういうのは最終的に専門の税理士さんが調整してくれる。麗さんのいる業界専門の税理士だ。隠語で「洗い屋」なんて呼ばれている彼らは、一般人にはよく分からないが、(くだん)の縄文土器みたいな怪しい物品のやりとりや、金銭のやりとりを見た目クリーンなものに変えてくれているらしい。麗さんも表向きの仕事は古物商ということになっている。一度「それって粉飾決算じゃないんですか?」と訊いたことがあったのだが、麗さんは「一般人に使い道の解らない金のやり取りを説明しても仕方がないだろ」と笑って返された。だから多分、合法なんだろう……たぶん。


入力作業が終わり、散らかっている書類を片付けたら今日の仕事は終わりだ。

今頃、麗さんとお兄さんは応接間で悪だくみだか、儲け話だか、何かをしているのだろう。そんな時だ。スマートフォンに麗さんからの着信が入る。その内容は「今度はお茶を三つ持って来い」という内容だ。

もう一人誰か来たのだろうかと思いながらお盆にお茶を乗せて応接室へと向かうのだが、そこにいたのは麗さんとお兄さんの二人だけだ。


「三つ持ってきましたが?」

「ああ、すまないな。じゃあ、アシビ。ちょっとこっちに座れ」

「はぁ?」


どうやら三つ目のお茶は僕のものらしい。促されて麗さんの隣に座ると目の前にはお兄さんがいる。その視線を居心地悪く受け止める。何となく解った。多分、用事があるのはお兄さんだ。


「ちょうど君の話になってね。しっかりと中司を手伝っているそうじゃないか」

「いえ、僕が出来るのは簡単な事務仕事くらいですから……」


あとは簡単な一之宮とのおつかいくらいなものだ。そして多分、お兄さんが言っているのはそっちの方なのだろう。そしてそれを裏付けるように尋ねてきた。


「最近の玄隹の様子はどうだい?」

「特には……この前は初めてかき氷を食べてはしゃいでいましたよ」

「かき氷ね……ん? 初めて? そうか、玄隹はかき氷を食べたことがなかったのか」

「らしいです」

「ふむ、まぁ、よほど好きならともかく頻繁に食べるものでもないしね。俺もずいぶん長いこと口にしていないな。最近はアレだろ。フルーツが乗ったりとか見栄えのする色々な種類のかき氷があるんだろ?」

「いえ、彼女が食べたのは普通のイチゴ味のかき氷で……」


自分でも何を説明しているんだろうと思うが、お兄さんは興味深げに訊いてくる。隣で聞いている麗さんは「ただの削った氷なんだが夏に食べると美味いんだよな」なんて頷いている。日本有数の名家である一之宮家の次期当主と麗さんみたいな人と一緒にかき氷について話しているなんて、相当に奇異な光景だが、僕はお兄さんに問われるままに一之宮の近況について説明した。なんて事のないかき氷の話から、おつかいの間の様子まで、割と細かいところまで訊いてくる。別に話して困る内容でもないのだが、相手が()()()()()()だと何となくスパイ行為みたいで後ろ暗い気持ちになった。

いや、違うな。

これは明確なスパイ行為だ。僕は一之宮と一緒にいたいという個人的な欲求のために、お兄さんに情報を売っている。文字通り売っている。一之宮の面倒を見るお金を麗さんはもらっていて、そこから僕の妙に多いバイト代は出ているし、財布もスマートフォンも持たない一之宮の交通費もかき氷の代金もそこから捻出されている。


「午醉君、そんな顔をしなくてもいいよ」

「え?」

「別に君が玄隹を裏切っている訳じゃないんだから」


先回りされたみたいでドキリとする。


「俺はただ可愛い妹の近況について知りたいだけさ」


爽やかに笑う。女性なら百人中九十九人は好感を抱くような笑みだ。だけど僕は二年前、この人と最初に出会ったときの冷徹な一面を見ているから、むしろ空恐ろしさを感じてしまう。あれがお兄さんの隠された本性という訳じゃないんだろうけど、目の前にいる好青年は見た目通りの優男ではないのだ。


「そうだな……まぁ、いい。このまま本題に入ろうか。実は今日は午醉君に用事があって来たんだ」

「僕にですか??」


それはあまりに意外な出来事だった。お兄さんにとって興味は「一之宮玄隹が家の外(社会)に出たときにどのように振舞っているか?」の一点だけだと思っていたからだ。


「うん、そうだ。今日はとても面白い……ではないな。魅力的な提案を君に持ってきたんだ」

「魅力的な提案?」

「ああ、間違いなく気に入ると思うよ」

「はぁ?」


何だろう。このお兄さんからそんな言葉が出るのは正直怖い。しかし次の瞬間、彼の口から飛び出したのは予想をはるかに上回る発言だった。


「玄隹と結婚しないかい?」

「………………………………は?」


ものすごく間抜けな声が出た。


「もちろん、今すぐなんて無茶は言わない。大学を卒業してからでも構わない。君が良ければ一之宮の関連企業から就職も斡旋しよう」

「え? え?……あの??」


言葉が出てこない。それくらい予想外な提案だった。隣では麗さんが腹を抱えてゲラゲラ笑っていた。


「おいおい、御曹司。今日は嫌にアシビのことばかり訊いてくると思ったら、そういう話か」

「まぁ、そういうことだね。さらに本音を言えば、就職も出来れば関連企業ではなく一之宮の本業を手伝って欲しいところだ。せっかくこっちの世界に足を突っ込んでくれてるようだしね」


一之宮の本業。それはつまり一之宮玄隹が言う所の「御勤め」のことだ。


「僕には特別な力はありませんが……」

「ああ、気にする必要はない。一之宮と言っても全員が異能者という訳ではないし、その業務も全てにおいて異能が必要な訳ではない。むしろ普通の会社と同じさ。パソコンに数字を入力して、書類を整理して、銀行やら役所やらに手続きをして、そういう仕事をしてくれる人間がいないと回らない。君が今やっている仕事をもう少し専門的にやってもらうだけの話さ」


それなら不可能ではないだろう。しかしそういうことじゃない。

一之宮と結婚……魅力的だし、人生を賭けるに値する提案だ。


「これは一之宮家からの提案だ。玄隹はもちろん逆らえないし、むしろ喜ぶんじゃないのかな? あの子、君のこと好きだろ?」

「一之宮……玄隹さんは、まだこのことを知らない?」

「ああ、必要ないからね。もう知っていると思うが玄隹に自由なんてない。家の決定には絶対に従うんだ。だからこの場合重要なのは君の意思さ。もちろん一之宮家がその気になれば君を法的に無理やり結婚させることだって可能だけど、それじゃあ意味がないしね。先に言っておくと一之宮の人間と結婚するというのはなかなか大変なことだ。離婚なんてもちろん出来ないし、色々と縛りも多くなる。その代わり世間一般では勝ち組と呼ばれている社会的身分は保証するよ」


親切に説明してくれているくせに、まるで悪魔が持ち掛けて来る契約のようだった。それを見て麗さんはニヤニヤと笑う。


「随分とアシビのことを買っているんだな」

「まぁね。彼と出会ってから玄隹は随分と安定している。何より星の巡りが良い。最初、あの子が「学校に行きたい」なんて言い出した時は、何を血迷ったかと心配したが、結局は良い形に落ち着いた。おまけに午醉君のおかげで一之宮家は中司麗と接点を持つことが出来たんだ。これは大きい」


お兄さんは「おかげで三条(さんじょう)七枷(ななかせ)に対して良い牽制になった」と破顔する。それに対して麗さんは剣呑に目を細めて笑った。


「なぁ、御曹司。お前さ」

「何だい?」

「本当はシズリを私にぶつけるつもりだったんだろ?」


獰猛な虎のような笑みだった。


「さて、どうだったかな?」


受け止めるのは氷のような微笑だ。


「わざわざ私の領地にある高校に転入させておいて、よく言う」

「偶然さ」

「偶然……ね」

「ああ、偶然だ。もっとも突然変異の怪物である中司麗に品種改良を重ねた純血種である一之宮玄隹がぶつかるとどうなるか……というのは興味のある話題ではあるがね」


二頭の怪物が向かい合って笑い合う。

空気が軋む。

背中から嫌な汗が流れ出す。

身体が命の危機を感じたのか、鼓動が駆けだすように脈打ち始めていた。


「ん? ああ、悪いな、アシビ」

「む? すまない、午醉君。脅かすつもりはなかったのだが」


僕の顔色が青くなっているのに気付いたのか、二人は笑みを崩して僕に向き直る。その時にはもう二頭の怪物はいなくなっていた。

息の荒い僕の姿を見てお兄さんは「今日はここでお暇させてもらおうか」と笑う。もちろん氷の微笑ではなく、人好きのする笑みでだ。僕はそれで何とか落ち着きを取り戻す。そんな僕の様子を見て麗さんはくつくつと笑っていた。


「さっきの話だが、返答は今すぐじゃなくていい。急ぐ話でもないしね」

「は、はい……」

「そうだな、卒業までに答えてくれればいい」

「そ、そうですか」


何一つ問題は解決していなくて、ただ単に先延ばしにしただけだというのに、ものすごく安心している自分がいる。

一之宮(いちのみや)玄隹(しずり)と結婚する。

その提案に僕の心は、躍り、浮かれ、何よりも困惑していた。そんな僕に麗さんはニヤニヤと笑いながら告げた。


「よく考えないとなぁ? アシビ」

「え、ええ……もちろんです」

「何しろ、ここでシズリを選ばなかったら、次の日には別のヤツの物になっちまうんだからなぁ」

「え!?」

「おいおい、何を驚いているんだ。この御曹司はさっき言ってただろ。シズリは()()()()された純血種だと……なら、お前が選ばなければ、別の種馬が選ばれるに決まってるだろ、なぁ? 御曹司」


麗さんのあからさまな物言いにお兄さんは苦笑して返すだけだ。だが否定しないという事実が何よりも雄弁に、先の言葉が事実だと物語る。僕は思わず右目を覆い麗さんを見る。


「おいおい、何て顔してるんだ?」


麗さんは(わら)う。


「御曹司が言った通り魅力的な話だったじゃないか? お前にとってひどく一方的で都合のいい……さ」

「そう……ですね」

「どのみちそうなった場合、お前はシズリを選ばなかったってことだ。なら文句を言う筋合いはないよな……なぁ? アシビよ」

「……はい」

「なら、けっこう」


そうしてまた嗤う。まるで昔話の魔女みたいな笑い方だった。だけどそのおかげで冷静になった。一之宮と一緒になるというのは、そういうことなのだ。


「まぁ、卒業までにゆっくり考えればいいさ。急ぐ話でもないんだろ?」


麗さんは僕に向かい、やっぱり魔女のように微笑んだ。



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