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【第一話】







1945年4月、テネシー州のとある街が地上から消滅した。

その2ヶ月後、アメリカ合衆国は大日本帝国に無条件降伏した。

こうして大東亜戦争は日本の勝利で幕を閉じた。







今日は天気が良い。車から降りると、その日差しの強さに左目を細めた。

エレベーターのない四階の部屋まで登り終えた僕は重いダンボールを床の上に下ろす。


(うるは)さん、荷物ここに置いときますね」

「ああ、すまない。バイト代は奮発するよ」

「別に構いませんよ。それよりも今月の電気料金には手を付けないでくださいね」


部屋の主である妙齢の美女は中司(なかつかさ)(うるは)。パンツスーツを纏い、腰まで伸びた黒髪を飾り気なく後ろで一本に束ねた眼鏡の女性というのは、いかにも仕事の出来る女の外見だが、中身は経済観念の破綻したろくでなしだ。


「どうせ今月も苦しいんでしょ」


諦めた口調で言う。事務所の机の上には古びた壺が置いてあった。一言で表すならカラフルな縄文土器。いったいどこの誰が欲しがるのかとセンスを疑うシロモノなのだが、今、僕の目の前にそれを欲しがる女傑がいる。


「いいだろ? それ」

「よく解りませんが、とりあえず高いんでしょ」

「もちろんだ」


無意味に胸を張り麗さんは応える。慎ましやかな胸だが、それは言わぬが花だし、本人もあまり気にしていないらしい。その理由も「人間を殴るときにそんなのがあったら邪魔だ」という物騒な理由。それこそ言わぬが花だ。


「まぁ、いいですけど……日帝銀行の口座には手を付けないで下さいよ。ここの経費は全部あそこで引き落とされてるんですから」

「解ってるよ。まったく、君は小うるさい姑のようだな」

「僕のバイト代が滞るくらいならいいですけど、事務所の電気が止まると困るんです」


夕方にやってきて電気のスイッチを押しても照明がつかないとか、地味に地獄だ。パソコンも消えるし、電気がないと本当に何もできない。山奥ならともかく、こんな街中で文明の偉大さを思い知る日がくるなんて、思いもよらなかったものだ。


「クソッ、買い物が全部カードで出来たらいいのに、うちの業界は実弾をありがたがる連中が多すぎるんだ」

「カードだと記録がつくから嫌がる人が多いんですか? 麗さんの知り合いってヤバそうな人が多そうですし」

「それもあるが、現物をありがたがる連中が多いんだ。金塊とかね。世間じゃ錬金術は石ころを金に変えるなんて思われてるが、実際には金の塊を意味のない石ころに変えて喜んでいるヤツの方が多いんだ。まぁ、世間にとって意味がないだけで連中からすれば、それこそ人生を賭けているんだろうがね」


シニカルに笑う。見た目は知的な美女である麗さんが笑うと、何とも凄みのある笑顔になる。かく言う彼女も経済観念が破綻したろくでなしなのだが、この人が凄いのは使った額に劣らず馬鹿げた金額を自力で稼ぎ出すことだ。

僕は念のためにパソコンで口座を確認する。

よし、金額は潤沢だ。今から業務用冷蔵庫を10台買ってフル稼働でもさせない限り、電気代が払えなくなることはないだろう。まぁ、そういうことを突然してしまうのが麗さんなんだけど……おかしな検体の保存とかね。


「安心しろ。電気は2カ月滞納しなければ止まらないんだ」

「それはそうですが、一度止められた人間の台詞じゃありませんね」

「君が事務処理を手伝ってくれるようになってからは大丈夫なんだから、問題ないさ。それよりも今日は荷物運びよりも頼みたい仕事があるんだ。そろそろ眠り姫を起こしてくれないか?」


そう言った麗さんの視線の先、応接用のソファの上に線の細い女性が横たわっていた。

梳かれた黒髪は可愛らしくおかっぱに切りそろえられていて、今は閉じられている瞳の色も黒百合を思い起こさせる綺麗な黒瞳だ。息を止めてしまいそうになる美少女は一之宮(いちのみや)玄隹(しずり)

出会ったのは二年前の高校最後の年なのだが、出会ったときから彼女の印象は変わらない。背が低い訳ではないのだが仕草がどこか幼げで、僕と同い年で成人しているはずなのだが、中学生と言っても通ってしまうような雰囲気をしていた。


「一之宮、起きて。麗さんが呼んでるよ」

「ん……あぁ、おはようございます。午醉(あしび)くん」

「うん、おはよう。もうすぐお昼だけどね」

「え……ああ、随分と寝てしまったのですね」


起き上がり子猫を思わせる動作で背伸びをする。伸ばした腕の先には銀色のブレスレット。白いワンピースの裾がサラリと流れる。


「シズリ、起きて早々だが今日のおつかいだ。アシビと一緒にちょっと行ってこい」

「ああ、はい……分かりました」


僕は麗さんから住所の書いたメモを受け取り、一之宮は何やら妙な紋様の書かれた紙片を受け取る。紙片を確認した一之宮はそれをそのまま僕に渡し、僕はそれを鞄に収める。


「では、午醉くん、行きましょうか」





僕らは二人で事務所をあとにした。電車に乗り、郊外の駅で降りた後はバスに乗りつぐと家がまばらになってくる。正直自分で車を運転した方が手っ取り早いのだが、一之宮と行動する際は公共交通機関を使うのが決まりだ。もっとも車の運転、特に長距離の運転はそれほど得意ではないからバス移動は丁度いい。


「午醉くん、ボタン押しますね」


一之宮はよほど楽しみなのか、バスの降車ボタンに指を添える。


「好きだね。一之宮は」

「そんなことはありません。ただバスから降りるにはボタンを押さなければいけませんから」


そうは言うが、そんなにワクワクした表情で言われても説得力がない。

その時だ。

車内にピコンと電子音が響く。それはバスが次のバス停に停まるという降車ボタンの音だ。短く「あっ」と呟いた一之宮の視線の先には小学生くらいの男の子と母親がいる。


「残念」

「べ、別に悔しくなんてありません」

「そう?」

「そうです。私は大人なのですから、あの子に譲ってあげたのです」


一之宮は名残惜し気に降車ボタンを見る。その様はまるで子どもなのだが、僕は「また、帰りも乗るから」と言い、100円玉二枚と10円玉を3枚、彼女に渡してから一緒にバスを降りた。


バス停から10分ほど歩く。スマートフォンで地図を開き、一之宮は地図の上を移動する現在地の地点を楽しそうに眼で追っている。手ぶらな一之宮の足取りは軽い。腕には銀色のブレスレット。そろそろセミの声が聞こえてくる時期だ。一之宮は涼し気な顔で僕の隣を歩く。

僕は右目の瞼にそっと手を触れてから言った。


「一之宮」

「何ですか?」

「今度の日曜、どこかに行かないかい?」

「どこか?……どこですか?」

「別にどこでもいいよ。映画でも美術館でも、何でも……ほら、あれなんてどうかな? 脱出ゲーム」

「脱出ゲーム! それ、やってみたいです」

「でしょ? 前に参加してみたいって言ったしさ」

「それはとても楽しそうですね」

「そうだろ?」

「はい…………でも駄目ですね。日曜日は駄目です」

「そ、そう」

「はい。日曜日は御勤めがあります。月曜日も火曜日も水曜日も御勤めの日です。木曜日は麗さんのお仕事を手伝って、金曜日と土曜日は御勤めの日です」

「そう……だったね」

「はい」


隣を歩く一之宮の表情はやっぱり涼し気だ。

その後も僕らは、昨日大学でこんなことがあったとか、ネットニュースにこんなことが載っていただとか、どうでもいい話に花を咲かせる。一之宮はそれをまるで外国の珍しい土産話でも聞くかのように耳を傾けるのだ。

しかしそんな話も目的地に着いてしまえばいったんは中止だ。


「ここですね」

「うん、そうだね」


一之宮はさっきからスマートフォンの地図を見ていない。地図など見なくともある程度近づくと彼女には判るのだ。彼女はそれを「見たら解るから」と言い、麗さんは「龍脈がどうの」と説明する。だけど僕にはさっぱり解らない。結局僕に解るのは麗さんにもらった紙に書いた住所を地図のアプリで検索することだけだ。

目の前にあるのは古びた神社だ。木製の粗末な鳥居を潜れば奥には古びた小さな社がある。


「そのまま入っても大丈夫ですよ」

「そ、そう」

「ええ」


物おじする僕に一之宮は告げる。そもそも本当に危険なら麗さんは自分で出向くし、一之宮も呑気に「昨日、同じ学部の友達が学食のカレーの上にスマートフォンを落とした」なんてどうでもいい話を聞いていたりはしないだろう。ただそれでも思わず足を止めるのは、この世には見えない危険が思っているより沢山あって、その中でも特別に恐ろしい経験を高校最後の夏に経験していたからだ。


「午醉くん。麗さんからもらったお札をください」


言われて僕は札を取り出す。お札と言っても実際に手渡されたのは事務用品なんかで使われるラベル用のシールだ。パソコンの宛名書き何かを印刷するようなそのシールには、太めのマジックインキでのたうつ様な文字が書かれてある。ちっとも霊験あらたかな感じがしないお札であるが、一之宮曰く「どこに貼るか」と「何が書かれているか」と「誰が書いたか」が重要らしい。中でも麗さんが書いたお札は効果が高いらしい。もちろん僕も実体験として知っているのだが、お札なのだからせめて墨と筆で書いて欲しいと妙な要望を考えてしまう。

札という名のシールを渡された一之宮はそれを一枚ずつ剥がして四方の柱や賽銭箱の裏なんかに貼っていく。


「午醉くん、あの上にも貼ってくれませんか」

「ああ、分かったよ」


彼女の背の届かない部分は僕が貼る。時間にして五分少々。これで麗さんからのおつかいは完了だ。

この神社に何の問題があって、このシールに何の意味があるのか、僕には解らない。だけど麗さんが「おつかい」と称するイベントはだいたいこんな風にして終了する。


「ねぇ、一之宮。帰りに喫茶店によってかき氷でも食べていかないかい?」


バス停の近くにあった喫茶店とかき氷ののぼりを思い出して言う。


「かき氷?」

「うん、バス停の近くにあったじゃない、喫茶店」

「ありました。食べたいです。かき氷!」


すでに頭の中はかき氷のことでいっぱいなのか一之宮は満面の笑みだ。僕はそれにつられて表情を綻ばすのだが、彼女の一言に頬の筋肉が強張った。


「私、かき氷食べるの初めてです!」

「そ、そうなんだ?」

「はい、お祭りとかで食べれられる食べ物ですね」

「ま、まぁ……うん。そうかな?」

「とても楽しみです」

「そう……良かったよ」


無邪気な笑顔に曖昧な笑顔で返す。僕は知っていた。一之宮は日曜日に映画とか、美術館とか、脱出ゲーム、かき氷とか、そういったものに興じれる生活を送ってはいないのだ。

僕らは来た道を帰りながら喫茶店へと向かう。昔から地元の人だけが通っているのであろう喫茶店のガラス戸は曇っていて、押して開けるとアンティークなドアベルの音がした。椅子に座って僕らは銘々にかき氷を頼む。僕は宇治金時を頼み、一之宮はメニュー表を睨みながらたっぷりとと悩んだ後にイチゴを頼んだ。「やっぱり最初は赤いのを食べてみたいんです」と言うのが彼女の理由だ。


「凄いです。かき氷というのは、お祭りでなくとも食べれられる物だったのですね」


シャリシャリとかき氷をスプーンで混ぜながら一之宮は小さな口にかき氷を運ぶ。


「冷たいです。これってたくさん食べると頭が痛くなるんですか?」

「アイスクリーム頭痛ってヤツだね。試してみたら?」

「そ、そうですね……」


一之宮はしばしかき氷を眺めて首を横に振った。


「止めておきます。ゆっくり楽しみながら食べたいのです」

「僕もそれが良いと思うよ」


食べ物で遊ぶのは良くない。それから僕らは他愛もない話をする。窓の外を見ると空が茜色に染まり始め、一之宮の左腕の銀色のブレスレットに陽光が反射する。

そのときブレスレットから電子音が鳴った。それを聞き僕は鞄から小さなケースを取り出す。


「一之宮、はい」

「お薬の時間ですね」


僕が取り出した包みを受け取ると彼女はそれを破って手の平に置く。白と青が半々になったカプセルが1つと薄紅色の錠剤が3つ。彼女はそれを残った水で嚥下する。


「午醉くんからもらうとお薬も美味しいですね」

「いつも飲んでるのと同じだろ」

「それでもです。午醉くんからもらうと美味しいんです」


一之宮は笑う。僕もそれに笑みで返すと彼女が飲み終えた薬の包みを回収した。


「もっといっぱいお話出来たらいいのに……」


赤金色に輝くブレスレットを手で押さえて一之宮は呟く。

だから僕は彼女に言った。


「今度はお祭りでかき氷を食べないか?」

「お祭りですか?」

「うん」

「それはとても楽しそうですね。神事には参加するのですが、所謂お祭りには出たことがないのです」

「そうでしょ?」

「はい」


いつ、どこで、なんて話はお互いに切り出さない。そして一之宮はただひと言、僕に向かって言う。


「午醉くんは変態ですね」

「一之宮は手厳しいね」

「仕方がありません。私のような女をデートに誘うのですから、それはもう変態の所業なのです」


酷い言われようだが反論出来ない。一之宮はそれはもう変わった女の子で、そういう感想を持たれても仕方がない。僕は苦笑したまま言う。


「行こうか」

「はい」


二人分のかき氷代を支払って一緒に喫茶店を出る。古びたドアベルの音が聞こえて外に出ると、茜色に染まった空と、黒塗りの高級車が現れた。


「では、私はこれで」

「ああ、また来週」

「はい。今日はとても楽しかったです」


一之宮は黒塗りの高級車の中へと消え、傍らに立っていたスーツ姿の男がドアを閉めた後、僕に一礼した。こうして僕と彼女の時間は終わる。


「また、来週……」


ポツリと呟いて岐路に着く。茜色の陽光は徐々に紫に染まり出していた。



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