第一章 人の世界 命(みこと)視点
一章 人の世界
命視点
「万梨阿って、び、美人だよな・・。」 噛んだ。
言われた万梨阿は僕を見ながら返事を返さない。
僕はと言うと、照れ笑いが顔に張り付いて「エヘヘヘ」なる意味不明な笑いが漏れている。
当の万梨阿はつまらなそうに、そんな僕を半眼で見ていたが、傍らの芝の上に寝転んでいた犬型ロボット「清明」に視線を向け、
「どう思う?」
と尋ねた。
清明は伏せの姿勢から、我関せずと欠伸の仕草を一つして元の姿勢に戻った。
その様子を見て、万梨阿が大きなため息を漏らしてから、僕に向き直った。
「それって、誰の入れ知恵?」
「えっ・・。何で!」
僕の動揺を無視して、万梨阿が対面に座った机越しに顔を近づける。
「近い、近いよ!」
と叫び、ちょっと嬉しいと思いながら椅子に座った体を少しのけ反らせる。
「だって、命がこんなことを言う時って・・。いつもと違いすぎない?」
僕は「相変わらず鋭いな」と感心しながら、両手を前に出し掌を左右に振りながら、
「違う、違う。僕がそう思ったから。」
と曖昧な否定ポーズを取る。
顔も一緒に左右に振っていて、自分でも不自然な慌て方がもどかしかった。
万梨阿は「ふーん」と疑問符が付いているような間延びした返事をしながら、顔を引き、姿勢を正して椅子に座る。
座るのに合わせて、腰まで1本の三つ編みにした黒髪が、風に吹かれて浮かび上がるのが印象的だった。
彼女は柊万梨阿15歳、僕の唯一の同級生であり、常に家が隣という幼馴染の女の子である。
僕は黄色柄のワンピースから覗く万梨阿の細い二の腕に目が吸い寄せられた。
彼女は机に肘を着き、口の前で手を組んだまま僕を見ている。
視線が痛い。急に「ニカッ!!」と音がしそうなくらい笑ってから、
「で、誰なの?」
と上機嫌な声で聴いてきた。
「ああ、会話が旨くなりたい。」と心の中で諦めムードになりながら、しばらくの間、万梨阿の笑顔を見ていた。
でも、視線が泳ぎ、額と脇の下に汗が流れ出したころで、僕は降参した。
「ンー、遥人おじさん・・・」
僕の声は小さかったが万梨阿は聞き逃さなかった。
いつの間にか顔を俯けていた僕が上目使いで万梨阿を見る。
彼女は大きく息を吸い込んでから盛大に2度目の溜息をつき、両手を机に打ち付けて
「パパなの⁉あの男は‼」
と立ち上がった。
更に怒りは増したようで、顔の前に右手で握り拳を作り、目が怒りの炎で燃えていた。
御立腹である。
その原因は僕にもあるが、遥人おじさんも同罪なんだよなと気軽に考えていて、そこで、遥人おじさんを擁護するべきとハタと気づく。
遥人おじさんは今のところ僕の味方なのだから。
「遥人おじさんは悪くない。僕が勝手に相談したんだから。悪いなら僕だから。僕が悪い。」
最初は声が大きかったのに、最後には声が萎んでいた。
目線を合わせるのが恥ずかしくて、でも、万梨阿に目線だけを向けてみる。
万梨阿も自分の仕草がちょっと過激かなと思ったのだろう、ハッと我に返った顔になった後にすまし顔に戻り、そそくさと椅子に座り直した。
まだ、万梨阿の顔には怒りが残っていたが、「そんなに怒っていません!!」と言わんばかりに僕に人差し指を突き付ける。
「それ、いつよ⁉」
「昨日、万梨阿が船外活動の時。3時間くらい出ていただろ。その時に万梨阿の家に行って話をした。万梨阿を褒めろって。そしたら、喜ぶって。」
そうなのだ、正確には僕が相談に行ったのではなく、柊さん夫婦から家へ呼ばれたのだが。遥人おじさん曰く
「褒めること。褒めて喜ばない女はいない。」
とアドバイスを受けたのである。
その時、遥人さんの横で話を聞いていた万梨阿のお母さんの沙理さんは、なんだか冷めた目で遥人さんを見ていたのが印象的だったが・・。
それだけなら、十分で終わる話しであったが、アドバイスの代償として小芝居を強要された。
陰陽師に代償は付き物だ。
おそらく脚本は遥人おじさんだろうけど、娘を嫁に貰いに来た男との面談という芝居が待っていた。
約30分、
「どこの馬の骨とも分からない男に、娘はやれん!」
的は小芝居をして、遥人おじさんが満足して僕は帰された。疲れた頭で、
「馬の骨ってなに!!牛の骨とどう違うの⁉」
と疑問に思ったが、柊さん夫婦にとって僕は理想に近い娘の交際相手らしい。
反対できないことから一度はやってみたい小芝居に発展したとのこと。柊さん夫婦から
「応援するけど、決めるのは万梨阿だからね。」
と告げられた。そうなのだ、万梨阿の気持ちが一番大切なのだ。
ここまで話を進めてしまえば、分かると思うが、僕は万梨阿が好きだ。
15年間、一緒にいて、こんな可愛い子のことを好きにならない男がいたら教えて欲しいくらいだ。
だから僕は二週間前、万梨阿の15歳の誕生日に万梨阿に告白した。万梨阿は嬉しそうにしてくれたが、
「答えは、まだね。」
と言ったきり、万梨阿の気持ちは聞けなかった。
そうなると僕の心が落ち着かい。
喜んでいいのか、ダメなのか。
なんだか生殺しなのだ。生きてきた15年の中で初めて味わう切なさに身悶えていて、僕の態度や表情で周りの人が気付かないはずはない。
もっとも、僕が万梨阿に告白したことは誰にも教えていないのに、両親から心配されて
「万梨阿に振られたの?」
とかわいそうな子を慰めるように聞かれた時には正直驚いた。
「振られてはいないけど、何で、知っているの!?」
と叫んだところ、父と母からあんなに冷めた目を向けられたのは生まれて初めてだった。
父は
「お前、私らを馬鹿な親だと思ってる?あんだけ、好き好きオーラ出していて分からないはずがないだろ!?」
母は
「頑張りなさい。」
と一言激励してくれた。
昨日までのことを思い出して少し意識が逸れていたが、万梨阿が胸の前で腕組みしたまま、
「間違ってはいないと思うけど、それって、命の正直な気持ち?」
と少し怒気を含んだ声で聴かれた。
「美人って、聞きようによっては、外見は綺麗でも頭の中が空っぽだって思われる表現なのよね。だから、私はあんまり好きじゃない。」
僕は「ああ、万梨阿のこんなところも好きなんだよな。」と勝手なことを思いながら口に出そうとするも、思い通りの言葉が出てこない。
「ごめんな。でも、美人と思っているのは本当だから。」
だから、正直に思ったことを口に出した。それで、嫌がられたら仕方が無いのだから。
万梨阿の父親の遥人さんに、昔から正直な行為と気持ちが大事だと言われ続けているからでもある。
すると万梨阿が慌てた様子で
「別に命を怒ってないよ。綺麗って意味で褒めてくれたのは嬉しいけど。」
と甘えた声に変わっていた。
万梨阿を見ると頬が少し赤く染まっていて、僕から目線が逸れていた。
万梨阿が体をモジモジさせて腿が擦れ合うような動作が可愛かった。
僕は頭に血が登り、実際に頭から湯気が出ていたと思う。ああ、意識が遠のくよ。
二人とも暫くの間、幸せなモジモジを続けていると僕達の目線の先にいた清明が、もう一度、欠伸の仕草をしてから、まったりとした口調で喋った。
「もうイチャイチャタイムは終わったのでおじゃるかな?そろそろ真面目に勉強して欲しいのでおじゃるが。」
と謎の公家言葉で僕達の幸せな空間を台無しにした。
僕の父達と同じく言葉のセンスが全く無いな。
犬型ロボット製品名 DDA―1(ワン)、呼称は「清明」。
某猫型ロボットの様に造形が曖昧なロボットではなく、形は中型犬クラスの柴犬を忠実に再現している。
体毛は無く機体表面は軽量チタン合金を使用、旧式ではあるが小型量子コンピューター型A・Iを搭載している。
そして、僕達の先生であり、僕の56代前の御先祖様、万梨阿には52代前の御先祖様に当たる陰陽師の魂を宿した依代ロボット。
陰陽道の高度な術式により定着させたその魂は、安倍流陰陽道の始祖 安倍朝臣清明である。
そして僕の名前は安倍命15歳、安倍陰陽師宗家に連なる者である。
鈍い光沢の体を起こした清明は僕と万梨阿を交互に見てから、
「痴話喧嘩は麿の知る限りでは、255回目でおじゃる。良く飽んものでおじゃるな?」
ホトホト呆れると云わんばかりに首を振った。そんな清明に慌てた口調の万梨阿が
「清明、痴話喧嘩じゃ・・・!!」
まで言うと、一瞬ハッと僕へ視線を向けてから顔を真っ赤にして椅子に座り直した。
椅子に座り直すのは、万梨阿の気持ちを切り替える時の癖である。
今、僕達が居るのは惑星間資源輸送宇宙船 日本国籍「暁」内の居住区、共有庭区の小さな丸机と椅子が置かれた長閑な場所、僕達のいつもの学習場所である。
時刻は午後4時30分、日本の気象に設定されているので、夕暮れ時として環境照明が夕日色の赤に変わり始めていた。
今日、清明から教わっているのは宇宙物理学、概念としては陰陽道と変わらない。重力と時間の関係を陰陽道の基礎から説明を受けていた。
僕がバツの悪そうな表情で万梨阿に笑いかけ「勉強しようか。」と呟くと、万梨阿も机の上のノートに目線を落として「うん。」とだけ、はにかむ様に答えた。
僕には、風が心地よかった。