9th LAP 分の悪い賭け
ヴァルガリオンとシルフィロードの一騎討ち。
スタートダッシュを決めたのは、軽量級で加速力に優れたシルフィロード。
風の妖精“シルフ”の王という意味で名付けられただけあって、その加速力は正しく一陣の風。
流れるように高速で迫る木々を避けながら、あっと言う間に森林地帯を抜け、山岳地帯へと突入する。
次のチェックポイントは正面に見える大きな峰を超えた向こう側。
ルートは3つ。
距離的には短いが無数の断崖と絶壁を乗り越える必要がある峰を登頂するルート。
最も遠回りになるが、峰を迂回するように流れる渓谷を進むルート。
そして渓谷とは逆側の峰に沿う狭い山道を通るルート。
どのルートも一長一短あるが、リオネスは迷わず渓谷ルートに向かう。
シルフィロードは軽量級だが、現行最強機であるゴルドカイザーを基に造られた最新鋭機という事もあり、GⅠクラスでも十分に競い合えるだけの高スペックを誇る。
そのパワーは並の中量級と同等以上あるが、その真骨頂はスピードにあり、特に加速力に優れた機体だった。
その特性を最も生かせ、最も負担が少ないルートが渓谷ルートだと彼女は判断したのだ。
3つのルートの中で最も長い距離を走る事になるが、シルフィロードのスピードであればパワーを要する登頂ルートを行くのとそれほど変わらない時間でチェックポイントへ辿り着けるだろうというのが理由だ。
それに第1チェックポイントでエネルギーを全回復したおかげで長い距離を走ってもエネルギーの余裕が十分にあるというのも理由の一つだ。
程無くシルフィロードは谷間を穏やかに流れる川岸に辿り着く。
川幅はそれなりに広いが、周囲を高い崖に覆われている。
待ち伏せされて崖の上から攻撃されたり、落石でもされれば逃げ場の無い場所だが、このレースに限って言えば、最もリスクの低い安全なルートと言えるだろう。
既に半数を超える6機が走行続行不能となり、2機は荒野地帯の時点でエネルギー切れになって引き離したのをリオネスは確認している。
第1チェックポイントでヴァルガリオンの順位が2着だったので、その2機がどこかでエネルギーを回復させて先行したとは考えにくい。
つまり罠も待ち伏せも無く、登頂ルートや山道ルートのように高所からの滑落の心配も無い。
飛び跳ねるように進む岩場で脚を滑らせたとしても、下は水なのでクッションとなって大した被害を受ける事も無い。
「このルートを通るのが最適解。だが……」
チラリと背後を窺うが、ヴァルガリオンが迫ってくる気配は無い。
確かに渓谷ルートを通るのが一番安全で確実。
しかしスタートで差が開いた以上、同じルートを通っても追い付く事は出来ないし、先行していると分かっているので待ち伏せや罠を警戒して最速で駆け抜けるという事も難しい。
「追い付く可能性を考慮すれば登頂ルート一択。さて、あれほど強気な態度で勝利を宣告したのだ。私の期待を裏切ってくれるなよ」
追い付かせるつもりは微塵も無い。
だが追い付き迫って来る事を期待もしていた。
何故ここまで彼が気になるのか。その理由は彼女自体もよく分かっていない。いや記憶にあるのに思い出せないというもどかしい感じなのだ。
彼の事を考えると、普段は聞こえない胸の鼓動が早く大きくなっていくのを感じ、能面のような表情の乏しい色白の顔に赤みが差して、自然と口元が緩んでしまう。
(こんなに多くの感情を抱いたのはいつ以来だろうか……)
多感な時期を大人に混じって訓練と鍛錬で過ごした彼女は、18歳という年齢に見合わない落ち着きぶりと冷めた性格をしていた。
いや単純に常に冷静であれと教わり、感情の起伏によってコンディションが左右されてしまうと言われ続けたが故に、自然と感情を表に現わさないようになっていったのだ。
能面のような無表情と言われるのも、どういう表情を浮かべればいいか忘れてしまったからだった。
それにライオネットの娘という肩書を遂行するのにはただストイックに強さを見せつければいいだけ。笑顔も愛想も不要だったというのもある。
だが今、彼女の体内を様々な感情が駆け巡っている。
そしてかつてたった1度だけ、同じように感情が衝撃となって身体を貫いた事があったという事を思い出しかける。
朧気だった記憶が徐々に明確になりつつある。
あれはまだ小学生になったばかりの10年近く前の幼い頃の記憶。
まだ父であるライオネットが最強と呼ばれるより以前、GⅠクラスに上がったばかりの頃の記憶。
(そう…あれは……)
しかしその頃の記憶が蘇ろうとした瞬間、近くの茂みが激しく揺れ動き、爆発するかのように土と岩を吹き飛ばして一つの影が現れた事で、記憶の復元作業が中断される。
「なっ?!まさか!!」
茂みの中から姿を見せたその影――ヴァルガリオンにリオネスは驚きを隠せない。
警戒は十分にしていたし、最短距離である登頂ルートを通って来たならば、見つけられるようにずっと後方カメラで山頂を監視していた。
だがヴァルガリオンの姿はどこにも見つける事は出来なかったし、いくら物思いに耽っていたとはいえ、山頂から下って来るのを見逃す程、目を離していた覚えはない。
そして渓谷ルートを通っていたとしたら追い付けるはずがなく、例え追い付けたとしてもそれは後ろからであり、こんな真横に突然現れる事などあり得ない。
だとすれば山道ルートを通って来たのかとも考えてみたが、あちらは渓谷ルート以上にスピードを出し辛い路面状況だ。
最短距離の登頂ルート以外で、ほぼ最速で渓谷ルートを抜けてきたシルフィロードに追い付けるとは到底考えられない。現最強機体であるゴルドカイザーのスペックでも難しいはずだ。
となればどうやって追い付いたのか。
それについては全く見当もついていないが、ヴァルガリオンが隣を並走しているのは現実。
よく見れば先ほど見た時よりも傷が多く、所々の装甲が剥がれ落ちている。どんな場所でどんな走りをしてきたかは不明だが、追い付くためにかなり無茶な走りをしてきたのだと分かる。
しかしリオネスの期待を遥かに超える結果に、彼女の心は再び歓喜に包まれ、そして更なる闘志が燃え上がっていく。
「どんなトリックを使って追い付いたのかは分からないが、私もこんな所で負ける訳にはいかないのだよ!」
シルフィロードが抜かせまいと更に速度を上げ、ヴァルガリオンが猛追する。
互いに攻撃を加えようなんて無粋な考えなど持たず、ただただ速さのみで競い合う。
そしてほぼ同着で第2チェックポイントを通過し、見渡す限り障害物らしきものが見当たらない平原地帯へと突入する。
二人の闘いは最終局面に入った。
* * * * * * * * * * *
時は少し遡り、シルフィロードが渓谷に差し掛かった頃。
ヴァルガリオンはシルフィロードを追って渓谷へと進むわけでもなく、山道のある反対側の山裾を目指しす訳でも、山の頂きを目指すでもなく、山の中腹のとある場所へと向かっていた。
そこは自然に出来たのか、それとも新しく新設したのかは分からないが、この数日、颯太が実際にレースコースを下見した際に発見した場所。
そして今までの学内レースの全ての映像記録を確認しても使用された形跡の全く無かった場所。
「まともに競っても軽量級の機体相手にスタートダッシュで差を埋めるのは難しい。分の悪い賭けだけど、ここを通り抜ければ……」
それは現地の下見をせず、過去の映像記録だけで対策を練っていたリオネスの知らない山岳地帯の4つ目のルート。
山の中腹で見つけた軽・中量級ヴァリアブルビークルならばギリギリ通れそうな小さな洞穴。そこは入り組んだ鍾乳洞の入口。
颯太は迷う事無く、そこへと飛び込む。
下調べでこの鍾乳洞が山の中を貫くトンネルになっている事も、どこを通れば最短で向こう側へ辿り着けるかもマッピングして把握している。
天井は低く、道幅も狭く、光の届かない真っ暗闇。
胸部の獅子の瞳がライトのように光を放って洞内を照らすが、ほんの僅かな操縦ミスでも壁や天井へと接触してしまうだろう。
現に壁から飛び出た岩盤に接触して肩の装甲が弾け飛び、天井を擦って火花が散る。
しかし自分の腕を信じ、自らの愛機を信じ、ただ勝利の為に僅かな光源を頼りに突き進む。
「ここを曲がればっ!」
S字に曲がりくねった狭い洞穴を肩を窄めるように全身を小さくして抜けた先に小窓のように遠くに見える小さな光の差込口を見つけ、ヴァルガリオンは加速する。
「いっけぇぇぇぇぇ~~~~!!!!!」
ヴァルガリオンが通るには若干狭い出口をショルダータックルで強引に押し広げて、遂に陽光の元へと舞い戻る。
鍾乳洞の出口の岩盤を吹き飛ばし、長大な茂みを抜けると、すぐ横に白銀の騎士の姿を見つける。
「捉えた!賭けにはなんとか勝った!後は地力の勝負っ!!」
ヴァルガリオンの姿を認めたシルフィロードが引き離すように再加速する。だが既にスピードに乗っているヴァルガリオンも負けじとスピードを上げて、食らいつく。
「ここで一気に勝負を懸けるっ!!!」
第2チェックポイントを通過し、岩肌だった路面がやや乾いた土と疎らな緑の芝生に変わっていく。サバンナを彷彿とさせる草原地帯に突入したタイミングで颯太は切り札を切る。
「咆えろ!ヴァルガ……な、なんだコレ?!」
エンジン出力を上げようとレバーに手を掛けた所で、モニター脇に今まで表示されていなかったものを見つける。
「ビーストシステム…アンロック?」
それがどんなものなのか、颯太には皆目見当が付かない。
だが彼の直感が今ここでこれを使えと訴えてくる。
迷いは一瞬。
「これに賭ける!!」
システムのロックを解除し、レバーを押し込む。
瞬間、ヴァルガリオンは今までで一番の咆哮を上げた。