5th LAP 黄金皇帝の娘
「やはり君がそうだったんだね」
スタートに並び立つ10機のヴァリアブルビークルの中に、つい先程見掛けた獅子の頭部を模した胸部を持つ機体――ヴァルガリオンの姿を見つけ、能面のようだと揶揄された、表情の変化に乏しい色白で小ぶりの顔が小さく笑みを浮かべる。
彼女の名はリオネス=レオハーツ。
ガンフォーミュラの最高クラスであるGⅠで総合6連覇中の歴代最強にして現絶対王者のゴルドカイザーを駆るライオネット=レオハーツの娘である。
最強の遺伝子を受け継ぎ、レーサーとなる事を決めた日からの最新の訓練と最高の教育によってその才能を開花させた彼女は、未だデビューしていないにも関わらず、最強の父親の覇道を阻むのは最強の娘以外にいないとまでメディアに評され、これからの活躍に国内外から注目が集まっていた。
そして今回の選考レースが彼女のデビュー戦となる。
非公式のレースとはいえ、GⅢクラス以下の実戦や養成学校を経ずにデビューするというのは極めて異例であり、だがそれを納得させるだけの実力を彼女は持ち合わせていた。
いや、はっきりと言えばレースシーズン開幕直前のこの段階になってもチームからスカウトされないような相手に負ける要素は一つも存在しない程、彼女の強さは圧倒的だと言えるだろう。
そんな彼女だが、実は既にチーム契約が済んでいる。その為、本来はこのレースに出る必要はない。
それなのにわざわざこのタイミングで出走するのは、開幕戦の調整レースという意味もあるが、実力的に劣る相手に圧倒的に勝利して、リオネスとシルフィロードを大々的に喧伝する為の出来レースのようなものだった。
そうと知っているせいで正直、このレースへのモチベーションは低かった。
「だからこそ父上はこのレースを私のデビュー戦に選んだのだろうな。だが……」
父親の事はレーサーとして尊敬し憧れてはいるが、親としては好きという程ではなかった。いや、単純に世界を転戦していて殆ど家に帰って来る事が無かった為に彼が実の父親だという実感が薄いのだ。
だがだからといって血の繋がりが切れる訳もない。
彼女はこれまでの人生をずっと“黄金皇帝の娘”として生きてきたし、誰もが彼女をそういう特別な存在だと見ていた。特に彼女がレーサーとしての才能を開花させてからはより顕著になったと言えるだろう。
このレースが出来レースのようになってしまったのも、父親の影響が多分に含まれている。
本来、参加する必要の無いレースに彼女をゴリ押しで参加させたのはチームスポンサーのオーナーであり、30以上もの国内外のメディアが公式戦でもないこんなレースに集まっているのも、黄金皇帝の娘としての彼女が華々しく勝利でデビューするのを世界的にアピールする為だ。
彼女自身も父親が世界で一番の有名人である事実を受け入れているので、こういう特別待遇をされるのは慣れている。だが慣れているだけで、気分が良いわけではない。
どんなに頑張っても自分自身を認めて貰えるかどうか分からないという不安が常に付き纏っている。それだけレオハーツという名前の影響力は大きいのだ。
だが今日初めて、彼女は自分の姿を見て名前を教えても、自分が誰であるかを気にしない、いや気付かなかった人物に出会った。
「フッ。ソウタ=ハヤミか」
レース前の調整として軽いランニングをしている最中にちょっとしたトラブルに遭った彼女の前に現れたのが彼だ。
第一印象は無知でお節介なお人好しの優男だった。
最初はレオハーツの娘に恩を売ろうとして割り込んできたのだと思ったのだが、返ってきた答えが、「見て見ぬフリを出来ずに自分が助けたいと思ったから」という意外なものだった。
恩を感じる必要は無いと言っていた事も意外の一つで、どうやら彼はリオネスがライオネットの娘だという事に気付いていなかった…いや知らなかった様子だ。
確かに助けられたとはあまり言えないものだったが、注意を逸らしてくれたのは事実であり、リオネスの性格上、それを無碍にし有耶無耶にする事は出来なかった。
何より彼は今まで自分に近寄って来ていた人達とは別種の人間だと、なんとなくだが思った。
打算も思惑もない彼に興味を抱いた彼女は借りを返すという体で再び会えるチャンスを強引に作ったとも言える。
そして彼への興味と共に彼の乗るヴァルガリオンという獅子を模した胸部を持つヴァリアブルビークルにも興味を示していた。
特徴的な胸部と走り去って行く姿しか見ていないが、どこかで見た事があるような気がする。
旧世代の機体ではあるが、そのエンジン音を聞いた瞬間に、どこか底知れない、しかし具体的には詳しく言葉に表せない妙な感覚を感じたのだ。
思わず笑みが零れたのも、その未知なる何かが直感的に心を震わせたからだ。
そして今、ただの出来レースだと思っていたこの選考レースに、数日前、学園長のゴリ押しで参加が決まった人物が並んでいる。
事前情報は全く無かったが、その人物が乗る機体をスタート前に見かけた彼女のモチベーションは一気に跳ね上がった。
「私をこんな気持ちにさせた何か。その正体をこのレースで確かめさせてもらおう」
そしてレースが始まる。
リオネスの乗機であるシルフィロードは、白銀色の騎士鎧を纏ったような姿ではあるが、重そうな見た目とは裏腹の軽い材質で造られたスピード重視のヴァリアブルビークルであり、第3世代の最新鋭機。
6連覇中のゴルドカイザーから得られた全てのデータを基に造られた最新後継機で、機体の基本スペックのみなら第2世代機のゴルドカイザーをも凌ぐ高性能機。
故に当然、スタート直後から一気に先頭へと躍り出る。
だが彼女の大逃げを許さないとばかりに他のメンバーも追い縋る。
この展開は予想通り。
今回のレースはシルフィロードが勝つ事が目的といってもいいレースだ。
しかしそんなレースと言えども、他の者にとってはチームに自身をアピールする選考レースだ。だが圧倒的な強者がいる出来レースである以上、ただ完走したとしても強い印象は残らない。
ならどうやってチームスカウトに実力を示すか。
それは絶対的な強者を倒すのが最も効果的だ。例え完走出来なくても、シルフィロードを撃破したというインパクトはかなり大きく、高い評価を得るだろう。
いや例え倒せなくても、好闘、好走し、シルフィロードを苦戦させる事が出来れば、十分に力を示す事になる。
それ故に他の出走者はリタイア覚悟の短期決戦を挑む。
「けれどそんな見え透いた作戦はお見通しだ」
8kmのトラックを一周した所で、シルフィロードがさらに加速し、それに釣られて戦闘集団も加速。
ほぼ全開で追い掛けて来る相手に対し、実の所、シルフィロードはまだ出力の8割ほどしか出していない。このエネルギー消費量の差は中盤から後半にかけて大きく影響してくるだろう。それまで他の機体がレースに残れていたらの話だが。
そして競技場のゲートから外へと抜ける際にチラリと後方を窺う。
「こちらの揺さぶりなど気にしていない呑気者なのか。ただ気付かなかっただけの愚者なのか。それともこちらの意図に気付いていて、敢えて自分のペースを守っている巧者なのか……」
チラリと見えたのは先頭集団からポツンと大きく離れたヴァルガリオンの姿だ。
出遅れてハイペース故に追いつけないのか、はたまたそれに惑わされずに自分のペースで走っているのかは、ここまで離れていると窺い知る事は出来ない。
「いずれにせよ、私の心を揺さぶったのだ。それを裏切ってくれるなよ」
気になりつつも視線を再び前方に戻し、シルフィロードは競技場から外周コースへと出る。
ここからは決まったコースなど存在しない。
ある機体は更に加速してシルフィロードを追い越していき、ある機体は左右へと逸れていく。
スタートから20km地点、つまり後4km程走ると妨害可能エリアへと突入する。
集団として纏まったまま妨害可能エリアに入ると混戦になるので、こうしてバラけるのはレースとしては普通であり鉄則だ。
ただ普段のレースと違うのは、ほぼ全員が完走ではなくシルフィロードと競う事だけを、いやスピード重視の軽量級が少なかった事から考えるに、撃破だけを狙っているという点だ。
徐々に集団はばらけていき、妨害可能エリアへの侵入直前にはシルフィロード以外の全ての機体が見える範囲から消える。
恐らくは様々な場所に身を潜めて待ち伏せしているのだろう。
そう思った矢先に正面の岩陰からミサイルが飛んでくる。
「早速か。しかし甘い」
ミサイルがシルフィロードに触れる直前、まるで風に揺れる綿毛のようにふわりとミサイルの表面を滑るように避ける。
ロックしていたはずの相手が突然目の前から消えて行き場を失ったミサイルはフラフラと迷走した後、遥か後方で地面に落ちて爆発する。
「遅い」
ミサイルをかわした勢いのまま、シルフィロードが風のように駆け、岩陰でミサイルランチャーを抱えていた機体に一気に詰め寄る。
腰に帯剣していたレイピアを抜き、刺突。
的確にミサイルランチャーを持つ手首を穿ち、続く一突きで太腿の付け根を貫いて動きを止める。
一息吐く間も無く、正面からの狙撃の一撃を僅かに首を逸らすだけで回避。
背後から忍び寄って来ていた、エネルギー消費量がかなり多い光学迷彩マントを羽織った機体がそれを避けきれずに被弾して仰け反った所を、一閃して首を刎ねる。
だがすぐに上空から多数の榴弾が降り注ぎ、爆発。
事前に察知していたシルフィロードはその場を大きく飛び退いて回避するが、脚を失った機体と首を刎ねられた機体はその爆発に巻き込まれ、爆煙の中に電磁バリアの輝きが灯る。
こういう場合は撃破ポイントは自分に付くのだろうか相手に付くのだろうかなどと、このレースにおいては意味を成さないであろう他愛無い事を考えながら、飛び交う砲弾と銃撃をまるで舞いを踊るかのようにヒラリヒラリと優雅に回避していく。
シルフィロードの武装はレイピアだけなので、こうやって射程範囲外から遠距離攻撃をされたら避ける以外に出来る事が無い。
だが猛攻とも言えそうなこの攻撃も、天才的な察知能力と反射神経を持つリオネスと、その動きに瞬時に対応出来る反応速度と加速力を備えたシルフィロードにとっては何の苦でもない。それどころか射線や着弾位置までも完璧に予測し把握してしまう彼女にとって、この程度は退屈以外の何物でもなかった。
暫くすると弾薬かエネルギーが尽きてきたのか、徐々に攻勢が弱まっていく。
「付き合うのもそろそろ終いだな」
攻撃の弱まりと共に地面に緑が増えていく。
レース中盤の森林地帯が近付いている証拠であり、攻撃がほとんど止む頃にはヴァリアブルビークルの数倍はあろうかという巨木が立ち並ぶ森林に突入する。
「ここまでは予想通り。これで半数は脱落したと考えて良いな」
砲撃メインの機体が荒野地帯で勝負を仕掛けるのは分かっていた。
だからあえて速度を落として機会を与え、弾薬とエネルギーを消費させたのだ。
そして森林地帯以降は遮蔽物が多くて死角が出来やすいが射線の確保が難しいエリアだ。このエリアまで来てしまえば砲撃機の殆どは無力化されたと考えていいだろう。
「山岳は一番待ち伏せにするのに有効だが、後半だという事に加え、ルート次第では意味を成さない。となれば残りの連中はここが一番待ち伏せしやすい。常套手段だが故に私の予想の範囲内だな……そして最後の一人……ソウタ=ハヤミ……さて彼は私の予想を超えてきてくれるのかどうか」
このレースにおいて彼女の期待の眼差しはただ一人にしか向けられていない。