3rd LAP 獅子の名
CFJの寮への引越しやら何やらで3日という時間はあっと言う間に過ぎ、チーム選考レース当日の朝を迎えた。
颯太はいつも通りの朝のランニングと筋力トレーニングを終え、シャワーで軽く汗を流した後、愛機の置かれてある共同格納庫へとやってきた。
共同格納庫。
そこは100m程の広さのある建物で格納庫と言うよりも倉庫や車庫と言った方が似つかわしい外観だった。
一言で言えば巨大なコンクリートの箱。正面にヴァリアブルビークルが余裕で通れるほどの巨大なシャッターがあり、日取り用の窓がいくつか見えるだけ。
颯太がシャッター脇にあるカードリーダーに自身のライセンス情報の入ったスマホを読み込ませるとゆっくりとシャッターが上昇していく。
格納庫の中には数体のヴァリアブルビークルが、やや前傾姿勢で片膝を着いた状態で鎮座していた。
ここにはチーム未所属のドライバーが所持するヴァリアブルビークルが並べられている。
見渡せばどの機体もどこか古臭くボロボロという印象を受ける。
それも当然だ。
チームに所属していないという事はCFJから支援を受けられていないという事であり、機体そのものを新しく買い替えたり、外装甲を毎回新しく交換したりするほどの金銭的な余裕はなく、へこみ程度ならば裏打ちして直し、擦り傷切り傷程度ならば腐食防止剤を吹きかけるだけでそのままにしてある場合も多い。
修繕や継ぎ接ぎが多い分、見た目がボロボロで古そうに見えるという訳だ。
だがそれは逆を言えば、ずっとこの機体と共に闘ってきたという事も意味する。
こんな見た目であろうと、レースでは最も信頼出来るパートナーなのだ。
そしてそのパートナーが最大のパフォーマンスを発揮出来るように調整整備だけは完璧に仕上げてあるだろう事は、見ただけでも感じられる。
当然それは颯太の愛機“ヴァルガリオン”も同様だ。
黄色をベースに所々白のラインが走ったこの機体はガンフォーミュラ初期に造られた第1世代のヴァリアブルビークルを基にしており、ライオンの顔を模した胸部と肩の後ろから背部に掛けて鬣のようなブーストスラスターがあるのが特徴的だ。
養成学校に合格した際に叔父であるディートリヒから合格記念としてプレゼントされたもので、その獅子を模した姿を颯太は結構気に入っている。
本当は初めてガンフォーミュラを生で見て感動した際に優勝と連覇を果たしたゴルドカイザーのように全身を金色にしたかったのだが、流石に畏れ多い上に悪目立ちし過ぎる為に黄色をベースにした機体色にしており、実際のライオンに似せている。
既に第3世代のヴァリアブルビークルが登場しつつある中で10年以上も昔の第1世代の機体を使っているのはスペックに差があり過ぎると思われがちだが、度重なるチューンアップとカスタマイズによってその差は縮まり、残る差はドライバーの技量と戦略でなんとか埋めていた。
というより養成学校時代は単純な資金不足で少しずつ改良を重ねるしか無かったというのが実情なのだが、2年も乗っていれば、颯太自身のクセなどに合わせて調整している為に他のどんな機体よりも乗り慣れ、手足のように動かす事が出来る。
「今日もよろしく頼むよ、相棒」
片膝立ちの駐機姿勢をとるヴァルガリオンの脛に手を当てながら、一人呟く。
そして目を瞑り、今日行われるレースをイメージトレーニングする。
今回のチーム選考レースのコースは施設内の競技場をスタートした後に敷地外周をぐるっと一回りして再び競技場に戻ってくるというものだ。
途中に2ヶ所のチェックポイントがあるので、単純に最短距離を走ればいいという訳では無いが、それでも正式なレースに比べれば、かなりコース取りは楽と言えるだろう。
今回のレースのコース概要は前日に公表されたので、既に昨日の時点で下見は終わっているし、路面状況もランニングの際に確認して完全に頭に入っている。
天候は晴れで崩れる心配は無し。路面状況は最良。
スタート地点である1周8kmの競技場は少し硬めの芝と赤土が半々の3km程の2つの直線と緩いカーブのあるトラック型。
続く外周コースの最初から中盤までは荒野地帯で大小様々な岩があるものの比較的走りやすい。だが、ここに入ってすぐに妨害可能エリアになるので注意が必要だ。
中盤は森林地帯から山岳地帯へと変わっていく。
どちらもあまり速度を出し過ぎると、切り株や岩に躓いたり、巨木や岩石にぶつかる危険性が高い。更には遮蔽物が多いので奇襲を仕掛けるには最も都合の良いポイントだ。
チェックポイントが設置されているのもこの2つのエリアなので、状況によっては最も慎重に進まなければいけない場所と言えるだろう。
終盤の平原地帯を抜け、競技場へ近付けば再び妨害不可エリアになり、最後は単純な速さだけの争いになる。
今回の選考レースの出走人数は颯太を含めて10人。
普通のレースに比べればかなり少ないが、ここに来たばかりの颯太は対戦相手の情報がほとんど分かっていない。
春から始まるシーズンレース前のオフシーズンという事もあって、CFJ内にいる人も疎らで、3日程度では出走者の情報収集まで手が回らず、集められた情報は皆無に等しい。
イメージトレーニング内では勝利を掴んでいるが、実際の所、CFJ所属ドライバーのレベルがどれ程のものなのか情報不足である為、本番でどのような争いになるかは全くイメージ出来ていない。
故にこれまでの2年間の経験を生かして、様々なシチュエーションをイメージし、対策案を複数パターン用意していく。
彼が養成学校時代に好成績を残したのも、この綿密に練られた戦略に拠る所が大きい。
「ふぅ……いい加減にしてもらえないか」
「いいじゃねぇか。俺様はいずれ世界を取る男だぜ?今の内に仲良くなっておいて損はねぇはずだぜ?」
突如聞こえて来た声に颯太のイメージトレーニングは中断される。
目を開けて振り向くと、格納庫の入口付近で所々に金属製のチェーンが付いた革ジャン姿をした髪を疎らに金に染めた目つきの悪い大柄で、いかにもガラの悪そうな男がクチャクチャと口の中のガムを噛みながら、ジャージ姿の小柄な体格で銀色のオカッパ頭の少女とも少年とも取れる中性的な色白の顔立ちの人物に詰め寄っている。
体格に気圧されて壁際まで詰め寄られた小柄な方が左へ逃げようとするとガラの悪そうな男が壁に手をついてそれを防ぎ、右へ逃げようとすると足で遮る。
だが逃げ道を全て遮られながらも、その小柄な顔にあるやや切れ長の凛々しさを感じる瞳に怯えの色は無い。それどころか呆れたような溜息を吐いている。
だが流石にこんな現場に出くわしてしまっては颯太としても黙って成り行きを見ている訳にはいかない。溜息を吐きながらも二人の元へと歩を進めて声を掛ける。
「手と足によるダブル壁ドンなんて初めて見たよ」
「ああ?んだ、テメェ!!こっちはこっから大事なトコなんだよっ!邪魔すんじゃねぇよ!?」
颯太が声を掛けると大男は振り向きざまに睨んで凄むが、この程度で怖気付くようなら最初から声など掛けていない。
「はぁ…ここは遊び場じゃないんだ。そういう事がしたいなら然るべき場所で然るべき相手とするんだね」
「うっせぇぇんだよっ!!訳分かんねぇ事ほざいてんじゃねぇっ!!このキング様に指図すんじゃねおぎょごえおっっっっっ」
大男が声を荒げながら視線を諫める颯太に向けた瞬間、罵倒の声は途中から奇妙な声に変わり、同時に大男は白目を剥く。
「ふん。少しくらい身体が大きいからといっていい気になるからこうなるのだ。この痴れ者め」
ハスキーだが落ち着いた雰囲気のある声変わり前の少年のような声と共に大男が口の端に泡を噴き出して両手で股間を押さえた姿で崩れ落ちる。
小柄な人物の膝が腿上げのように直角に曲がっている事から、大男の下腹部の急所を的確に突き刺したと考えるのが妥当だろう。
颯太も自分が食らった訳でもないのに、顔から血の気が引き、思わず自身の股間を押さえてしまう。
「そっちのお前もいらない世話だ。まあ、こいつの注意を逸らしてくれた事に関しては評価してやるが、別に助けなど元々不要」
言いながら、ジャージに付いた埃を手で払う。
CFJには服装の規定が無い。一応、ロゴバッヂがあり、見える所に付けておけば問題は無い。
所属さえ分かればいいので、倒れている大男のように過度な装飾を施した革ジャンや裏地に竜の刺繍をしいても問題は無いし、民族衣装や着ぐるみだろうと問題は無い。
当然、ジャージの規定も無い。
目の前の人物が着ているグレーのジャージも有名メーカーのロゴが入った既製品だ。小柄故かややサイズが大きめな為、少女なのか少年なのかが見た目では判断出来ない。
言動や仕草は男性かもと思わせる。
しかし足元で倒れているガラの悪い大男が、詰め寄って何やらいかがわしい事をしようとしていた所を見ると女性かもしれないが、この大男が男色家だったらその限りではない。
ただ胸元にあるバッジからドライバーであることだけは分かった。
流石に初対面の相手に対していきなり性別を聞く訳にもいかいので、それに関しては保留しつつ、その疑問が表情に現れないようしながら颯太は話を続ける。
「うん。君の目が全く怯えていなかったからそうだろうとは思ったんだけど、気付いてしまった上に他の人が僕以外にいなかった以上は見て見ぬフリは出来なかったんだよね。まぁ、あの膝蹴りに対してだけは、ほんのちょっとだけこいつに同情するけど……」
「ふん。そんなお人好しではこの世界で生きてはいけないぞ」
確かにレースではそうかもしれない。
一着になれるのはただ一人。全員がライバルであり、対戦相手を助けたせいで勝てなかったら元も子もない。
だが今はレースではない。
お人好しだなんだと言われようとも、見ないフリをして後で後悔するよりは断然良い。
それにこの大男のように自分より弱そうな相手に力尽くで強引に迫るような者が嫌いだったからというのもある。
ただどちらの理由も颯太の自己満足に過ぎない。
「まぁ、そうかもしれないけど、僕が助けたいと思っただけだからあんまり気にしないで。おっとそろそろ会場に移動させないとな」
イメージトレーニングと今のドタバタで大分時間が経っていたようだ。時計を見ると、選考レースが始まる時間まで1時間を切っている。
トップチームになればなるほど競技場に近い格納庫を宛がわれるので、未所属である颯太が今いるこの格納庫は、当然、競技場から最も遠い所に位置していた。
彼は運搬用トレーラーなど持っていないので、選考レースがある競技場までヴァルガリオンで直接、出向かなければならない。
いくら最高速で150km/h以上が出せるヴァリアブルビークルでもずっとそのスピードを維持して走れるわけもないし、施設内には速度規制もあるので、早めに向かわないとレース前の最終調整を満足に出来ない可能性があるのだ。
チーム未所属だと全てを自分一人でやらなければいけないので、こういう時には不便なのだった。
「それじゃあ僕はこれで。あっ、そいつは……まぁ、放っておいても問題無いか」
未だ昏倒している大男を一瞥し、自業自得だと思いながら、颯太は愛機へと向かう。その背に落ち着いたハスキーボイスが掛けられる。
「一応、助けられたのは事実なので感謝を述べておく。それとこの借りは必ず返す。故に名を教えよ!私の名はリオネス」
それまで辛辣な言葉を放っていた口から硬いながらも感謝の言葉が出る。どうやら無駄に律儀な人物のようだ。
ほとんど助けにはなっていなかったし、貸しとも思っていないが、流石にお節介をした身としては無視するのは気が引けるので、颯太を一端足を止めて振り返る。
「僕は速水颯太……いやソウタ=ハヤミと言った方が良いのかな。それじゃあ僕はちょっと急ぐから。縁があったらまた会おう!」
それだけを伝えた颯太はすぐにヴァルガリオンに乗り込み、エンジンの暖機もままならない状態で格納庫を飛び出して走り去る。
「ソウタ=ハヤミ………私の名と同じくする獅子を操る青年か………次に会う事となった時にはこの借りは必ず返そう」
自分の名を聞いても表情すら変えなかった事に少しだけ驚きつつ、リオネスは遠ざかるヴァルガリオンの背中を見詰め、そしてあまり感情を表に出さない為に能面と揶揄される色白の顔が僅かに喜びの色が浮かび、小さく口元を綻ばせるのだった。
この後、二人を繋ぐ縁はすぐに結ばれる事となるのだが、今の二人にはまだ知る由もなかった。