16th LAP シーズンレース開幕直前
颯太がチームメノーインの一員になってからあっと言う間に3週間が過ぎる。
けインとの連日の遊びのようなトレーニングに、それとは打って変わって緻密で理知的な戦略会議。
機体の修理がまだ終わってない事もあって、それくらいしか出来ることが無かったが、慌ただしくも充実した毎日が過ぎていった。
そして今、格納庫内には3つの死体…いや辛うじて生きてはいるので死に体の3人が転がっていた。
「自分の知識と技術がまだまだ足りない事を実感させられましたね……」
黄玉が疲れ切った表情で呟き、ぺたんとその場に崩れるように座り込む。
格納庫の床はかなり汚れているが、着ているオーバーオール自体が既に油汚れが目立つのであまり気になっていない様子だ。
「ああ。今まで扱ってきたどんな機体よりも面倒くせぇもんが多かった……特別な機体だとはいえ、こいつが第1世代機だなんて未だに信じられねぇ」
その隣で弾吾が、もう起き上がれないとばかりに床に大の字になって天井を見上げる。
ひんやりとした床が火照った全身に心地好く、ここで瞼を閉じたらきっとすぐに意識を失ってしまうだろう。
「僕もかなり不服ですね。結局、先代社長のプロテクトは1段階分しか解けなかった……四次元プロトコルって一体なんなんですかっ!なんであんな意味の分からない強固で複雑なプロテクトが施されてるんですかぁっ!!」
そう叫ぶレイジは、椅子の背中に体重を預けるように反り返り、目元をクールジェルで覆って冷やしていて、目を開けるのさえ辛い状態だった。
叫ぶだけの元気はあるようだが、それも空元気でしかない。
だがそんな3人だが、それぞれに不満が残っているような事を言いながらも、その口元には自然と笑みが浮かんでいた。
「だけど今出来る最高の状態に仕上げる事は出来ました」
黄玉達が見上げる先には胸に獅子を宿すヴァリアブルビークル――ヴァルガリオンの姿がある。
再開させた工場でパーツを急ピッチで製造し、つい先日、ようやく最後のパーツが届いたばかりでなんとかかんとか組み上げ終わったのだ。
フレームの組み立てを優先した為、外装甲を研磨するまでには至っていないので、光り輝くとまではいかないが全て新品となっており、一切の傷も無い。
塗装も間に合わなかった為、全身は鈍い鉄色。
ただこれだけは譲れないとばかりにヴァルガリオンを象徴する獅子の顔と肩口へと伸びる鬣は黄色く塗装されてある。
「後はあなたにお任せしました」
黄玉は視線をヴァルガリオンから下にずらし、メノーインダストリーの会社ロゴが描かれたヘルメットを手にし、チームメノーインのレーシングスーツに身を包んだ颯太に向けて、後を託す。
「意気込むのは良いが、この間みたいに無茶してほぼ全損ってのは止めてくれよ。年齢的にそろそろ徹夜は厳しいんだからよお」
弾吾が目線だけを颯太に向け、苦笑交じりに呟く。
けれどそれは彼なりの激励の言葉。無事に戻ってこいという意味が言葉の裏にある事を颯太は知っている。
まぁ、多分に本音が含まれているだろうが。
「もう何度もシミュレーションしているので分かっていると思いますが、例のアームガンは右が高威力の単発式、左が低威力の連射式になっています。一応、最大効率で使用できるようにプログラミングしておきました。エネルギー弾ですので弾切れする事はありませんが、使い過ぎるとすぐにエネルギータンクが空になって走行に影響が出るので気を付けて下さい」
レイジが目をアイシングしたまま、新たな機能であるアームガンの取り扱いの注意点を簡単に口頭で伝える。
改めて言われるまでも無く、エネルギーを制限した訓練はゾンビとの銃撃戦でみっちりと熟している。
エネルギー残量に合わせた使用回数も、不測の事態を想定したシミュレートで幾度も行ったので、余程の事が無い限り撃ち過ぎる事は無いだろうが、レース中は状況が刻一刻と変化していくので、想定外の事は起こり得る。
彼の言葉でその事を再認識して気を引き締める。
「はい。ありがとうございます。そして皆さん、お疲れ様でした。ここからは僕の仕事です。後はお任せください」
シーズンレース開幕戦。
レース開始の直前のこの瞬間までほぼ不眠不休で修理と調整作業を行って、機体を今出来る最高の状態に仕上げてくれた3人に向けて労いの言葉を掛けた後、颯太はしっかりとヘルメットを被り、タラップを駆け上がる。
この3年間を共に戦ってきた歴戦の傷はすっかりと消え失せ、まるで新品のように生まれ変わったヴァルガリオンの外装を新鮮な気持ちで見詰めながら、胸部のコクピットブロックへと身を沈める。
外観はほぼ新品だが、慣れ親しんだ身体にフィットした座り心地のシートに腰を下ろすと今までと変わらない独特の緊張感のある張り詰めた空気に覆われる。
4点ハーネスでしっかりと身体をシートに固定させ、ヘルメットに頭部カメラアイを連動させる為のプラグを刺した後、計器類を一つ一つチェックしながら起ち上げていく。
全周囲モニターが正常に起動し、外の光景がモニターに映し出されたのを確認した後、操縦レバーをしっかりと握る。
レバー内側の指紋認証とバイザー内側の網膜認証が、颯太が機体に登録されたドライバーである事を承認して、カーボニックエンジンが低い唸りと共に稼働を開始する。
ヴァルガリオンの全身に血が通うかのようにエネルギーが巡り、一瞬だけ全身を黄金色のエネルギーが走って輝きを放つ。
次の瞬間、ただの無機質な金属の塊が、まるで血の通った人間のように存在感を大きくさせる。
胸部の獅子が大きく口を開けて、咆哮のようなエンジン音が格納庫に轟く。
『速水颯太。ヴァルガリオン。行ってきます!』
年末までの8ヵ月間に渡って争われるシーズンレースの開幕戦が、颯太の頂点を目指す闘いの第1歩が、今、始まろうとしていた。
* * * * * * * * * * *
(ようやくこの瞬間が来た……)
最高の環境と最高の機体を手にしながら、敗北を感じたあの日から、約1ヵ月。
リオネスはあの日の事を毎日のように思い返していた。
確かにレースでは勝利したが、あれは向こうのマシントラブルのおかげでしかない。最後に追い抜かれた瞬間に勝てる気がしないと思ってしまったのだ。
ドライバーとしての才能や機体性能では勝っていたかもしれないが、経験や知識、なにより気持ちで負けてしまっていたのだ。
だからシーズンレース開幕戦のスタート直前にも関わらず、彼女の頭の中には他の出走者や作戦の事は一切無く、ただあの日の事で占められていた。
悔しさはある。だがそれ以上に嬉しくて楽しい気持ちが心に溢れていた。
黄金皇帝の血を継ぐ彼女の才能は父親であるライオットでさえ目を瞠るものがあり、トレーニングで並走した相手を悉く圧倒していた。
デビュー前で既にGⅠクラスで通用すると言われる程だったが、GIRAの規定上、一定以上の実績を残していなければ上位クラスに昇格する事は出来ない為、仕方なくGⅡクラスでデビューをすることとなった。
その実力の為、GⅡで敵になるのは一握り。早く自分と競える相手が大勢いる場所へ行きたい。ここはただの通過点。これまではそう思っていた。
デビュー戦直前に、学園長肝入りのドライバーが急遽参戦すると知り、そんな相手なら自分と競える相手であるかもしれないと少しだけ期待をした。
その期待はいい意味で裏切られた。
ただの通過点だと思っていた場所で自分を脅かす…いや負かす可能性を持つ相手が現れたのだ。
(ソウタ=ハヤミ。君の存在は私の心を震わせ、冷めてしまいそうだった闘志を滾らせてくれた)
ただ昇格の為に走るだけだと思っていたつまらない1年間が、あの瞬間、彼と出会った事で色鮮やかに変化した。
レースへの情熱と勝利への渇望を思い出させてくれたのだ。
そして今日、再び彼と相見える事が出来る。
これが喜ばずにいられるだろうか。
(それに私がレースの世界で憧れたのは、ゴルドカイザーではなく、あの獅子の機体……)
気になって調べてみたが、公式戦に出走したのはほんの数戦。それも10年近く前である為、映像もほとんど残っていない。
ドライバーの名前も経歴も不明。
年齢的に今のドライバーである颯太が当時も乗っていた筈もない。
機体に関しても第1世代の最後期に製造されたが、それからすぐに第2世代機が発売され、その後、1年もしない内にメノーインダストリーがレース業界から一時撤退した為、生産中止となり、台数も殆ど無いという情報くらいしかなかった。
ただ分かった事もある。
(見つけたカタログスペックには変形機能なんてものは載っていなかった。そして彼が所属したチームはメノーイン……私の知る事の出来なかった何かがあるのは確実)
それがどんなものなのかは想像すら出来ない。
だが彼女がレースの世界へと入る切欠となった機体とそれに関わった企業がオーナーのチーム。
何かを期待せずにはいられず、余計に心が躍った。
(君が…いや君達が今日、どんなものを見せてくれるのか。私は楽しみだよ)
ゆっくりと目を開けると、モニター越しに澄み切った青空が飛び込んでくる。
「さぁ、行くとしようか。シルフィロード」
主の意に沿うように、カーボニックエンジンが甲高い音を上げ、シルフィロードは戦いの舞台へとゆっくり歩みを進めるのだった。