妹が好きすぎるお兄様の狂愛計画
「私が王太子殿下にですか…?」
「そうだよ。謁見と言っても小一時間お茶をするだけだから、気楽に行ってくるといい」
お城から帰ってきたお兄様の言葉に、私はぽかんとしてしまった。
今年で18歳となられるこの国の王太子殿下は、そろそろ本格的に妃探しをするお年頃となった。
そこで爵位の高い家門から順番に、年頃の娘をお見合いのため城へ参上させることとなったそうだ。
公爵家の娘である私ミラ・キャンベルも、勿論その一人として王太子殿下にお会いすることになった。
「私のような者が殿下とお茶だなんて……大丈夫でしょうか。社交界にすらまともに出られていない身ですのに。もし殿下に何か無作法なことをしてしまったらー…」
「ミラ」
お兄様の優しい手が、私の頬を温かく包みこんだ。
その慣れ親しんだ温度に体のこわばりが溶けていき、私は肺に詰まっていた息をゆっくりと吐き出した。
「何も心配はいらないよ。お前は立派なキャンベル家の貴婦人なのだから。私が保証する」
「お兄様…」
いつもと変わらぬその優しい言葉に、つい涙が滲む。
お兄様はそう言ってくださるけれど、それは身内の贔屓目であることを私はしっかりわかっている。
幼い頃から周囲の大人を感嘆させるほど優秀なミハイルお兄様と違って、妹の私はひどい出来損ないだった。
何人もの家庭教師が私の無能さに呆れ、短い期間で根を上げてしまうため、お優しいお兄様が勉強を教えてくださった。
それでも私が不出来すぎるせいで、成績は少しも向上することはなかったのだけど。
ついには私が外に出て公爵家の恥となることを恐れた両親に、淑女学校に入学することすら反対されてしまったのだ。
以来私は体が弱いということにして、ずっと邸に閉じこもっている。
今年で17歳になるけれど、公爵家の娘だというのにデビュタントすらしていない身なのだ。
「お兄様にご同席いただくことはできないのでしょうか…?私、お兄様以外の方とお話するのは久しぶりなのですもの。とても不安で……お兄様がお側にいてくだされば、きっと安心できます」
「……すまない、その日は陛下の勅令で隣国の大使の相手をする必要があるんだ。でも、終わり次第すぐミラの元に向かうよ。城からは一緒に帰ろう」
「……はい」
涙目で頷いた私の頭を、お兄様が宥めるように撫でてくださった。
2年前、両親は馬車の事故で突然に他界してしまった。
当時まだ19歳だったお兄様が公爵家を継承し、若いながらも立派に領地を治めていらっしゃる。
その手腕から陛下のおぼえもめでたいお兄様は、国の外交に関わるお仕事もされているのだ。
毎日とてもお忙しい御身でありながら、いつも私を気にかけてくださる、本当に完璧なお兄様だ。
両親が生きていたころは、お家の為に私を他家に嫁がせる話も出ていたようだけど、家から出ることを怖がっていた私に「ミラがいたいのならずっと家にいればいい」と言って、お兄様は縁談も断ってくださっている。
お兄様は、こんな出来損ないの私に優しくしてくださる、世界で唯一の方だ。
そんなお兄様のために、私も何か力になりたいのに……出来損ないの自分では、お役に立てることなどほとんどない。
せめてお兄様の邪魔にならないよう、早めにお嫁に行かなくてはと思っているけれど……そんな令嬢としての義務ですら、私のような器量なしでは果たせないかもしれない。
…とにかく王太子殿下との謁見では、なるべく粗相をせず、お兄様の恥とならぬよう、自分の無能さをできるだけ隠さなくては…!
そうして怯える心をなんとか奮い立たせながら、王太子殿下との謁見の日を迎えたのだった。
「やぁ、ミラ嬢。よく来てくれたね」
「お初にお目もじいたします。ミラ・キャンベル、皇太子殿下にご挨拶申し上げます」
「そんなに固くならないで。気楽に話してくれると嬉しいよ」
震えそうな身体で慣れないカーテシーをした私は、柔らかい殿下の声におそるおそる目線を上げた。
王族の証である濃い緑色の髪に、エメラルドの瞳。深い森を思わせる柔らかな美貌を持つ方だ。
銀髪にルビーの瞳という苛烈な美しさを持つお兄様とは、対極にあるような色合い。
「貴方のような美しい人に、そんな風に見つめられると照れてしまうな」
「もっ…申し訳ございません…!」
じっと見つめていたのが可笑しかったのか、殿下はふふっと小さく笑った。
不躾な視線だったことを慌てて謝ったものの、怒っている様子のない殿下は私に椅子を勧めてくださった。
こんな私に冗談でも美しいと言ってくれるところを見ても、優しいお方のようで少し安心する。
「ようやく会えて嬉しいよ。ミハイルの守りが強固すぎて、もはやミラ嬢という人は本当に実在するのか少し不安になっていたくらいだった」
「まあ…お恥ずかしいことですわ。身体が弱いものですから、兄が気を配ってくれていたのです」
…本当は私が不出来すぎて社会に出せないだけなのだけど。
王太子殿下の前でそんなことを口にするわけにはいかないので、お兄様がいつも口にする口実を使わせてもらう。
「今日はとても顔色が良く見えるよ。2年前、公爵夫妻の葬儀の際に君を見かけた時には、ひどく気落ちして見えたから。元気になったのか心配していたんだ」
「あの時は挨拶も出来ずに大変ご無礼致しました。突然のことで、とても受け入れられなくて…」
公爵夫妻の葬儀には、当然ながら王太子殿下も参列してくださったのだろう。
突然の両親の死にショックを受けた私は、終始呆然としたまま席に座っていただけで、ほとんど記憶がない。
「いや、いいんだ。両親を一度に失くして、普通でいられないのは当然だろう。いつも通りに振る舞っていられたミハイルが異常なんだよ」
「兄はどんな時でも本当に落ち着いていますから。両親の事故の知らせを聞いたときも、取り乱す私をずっと慰めてくれて…自分は悲しむ暇もなく、公爵としての仕事を引き継いでおりました」
「……悲しむ暇もなく、ね。確かにミハイルは、驚くほど冷静に全てを処理していたね。…まるで事故が起こることまで、予想していたんじゃないかと思うほどだった」
王太子殿下の瞳が一瞬、剣吞な光を灯したように見えたけれど、すぐに「冗談だよ」と笑顔になった。
「ミハイルは本当に優秀だからね。時々未来が見えているんじゃないかと思うほど、先に手を回して物事を進めることができる」
「兄をそのように評価いただき、有難うございます。恥ずかしながら私も、兄が優秀すぎて時々自分が妹であることが信じられなくなるくらいですの」
お兄様とは間違いなく同じ両親から産まれてきたはずなのに、こうも出来が違うのだ。
私にとっては自慢の兄でも、お兄様にとっては恥ずかしい妹だろうと思う。
「そんなことはないさ。貴方はとても美しいし、気品と優しさを感じさせる立派な貴婦人だ。あのミハイルの妹だというのも納得できるよ」
さらりと告げられた褒め言葉は、社交辞令だとしてもとても嬉しいものだった。
出来損ないの私を褒めてくれるのはお兄様だけだったし、それに大好きで尊敬するお兄様の妹として認めてもらえたことが、何よりも嬉しかった。
「…ありがとう、ございます」
にこりと零れた笑顔は、いつもならお兄様にしか向けないような、とても自然な笑顔。
そんなミラの表情に、王太子は目を見開いた。
「これは……予想以上、だな」
「え?」
きょとんとするミラに、王太子は小さく笑った。
「貴方の笑った顔は、薔薇の蕾が綻ぶように美しい」
言われ慣れない賞賛の言葉に、ミラの頬がぽっと赤く染まる。
「そんな反応をされると、更に帰したくなくなるな」
「お、お戯れを…!」
「…ミハイルが必死に隠したがる気持ちも、少しはわかるよ」
「え?」
呟いた殿下の最後の言葉は聞き取れなくて、なんとなく訊き返したものの、にっこりと微笑まれるだけだった。
「ミラ」
聞き慣れた声に振り向くと、ドアの近くにお兄様が立っていた。
お仕事を終えたばかりだからか、もしくは殿下の御前だからか、その表情は硬い。
「お兄様!」
「やあ、ミハイル。随分早く片付けて来たんだね」
「……恐れながら妹は病み上がりの体調ですので、そろそろ御前から下がらせていただきたく」
にこやかな殿下とは対照的に、お兄様は怖いほどの無表情だ。
いつも優しいお兄様の珍しい表情に、自分が何か粗相をしてしまったのかと、内心に不安が広がっていく。
「わかった、いいよ。…ミラ嬢、今日はとても楽しい時間だった。またこんな風に一緒にお茶をしてくれるかい?」
「えっー…」
「恐れながら、妹は病弱でいつ体調を崩すともわかりませんので、とても殿下のお相手が務まるとは思えません」
「僕は彼女に尋ねているんだけど」
「妹は幼いころより社交にでておらず、人付き合いが苦手なのです。殿下に失礼がないよう、兄である私が代わりに返答を申し上げるのは当然のことかと」
「ふーん。兄、ねえ…?」
片眉を上げながら、殿下が試すような視線をお兄様に向ける。
2人の早い会話のラリーについていけず、お兄様の隣であわあわしていた私に比べ、お兄様はぴくりとも表情を変えなかった。
「…まあ、今日はこのくらいにしておこうかな。あまり揶揄いすぎると、ミラ嬢が何をされるかわからないしね」
…私が誰に何をされるというのだろう?
きょとんとした私に殿下は苦笑を浮かべたけれど、意味を訊き返す前にお兄様が私の手を引いて部屋から出てしまった。
城から帰る馬車の中でも、お兄様は無言のままだった。
私に視線を向けることもなく、窓の外を無表情のままじっと見つめている。
……きっと私は、何か失敗してしまったのだ。
殿下は楽しそうに笑っていたけれど、きっと寛大な御心でお許しくださっただけに違いない。
私のような出来損ないが殿下と2人でお話したことを、お兄様も今になって後悔しているのかもしれない。
屋敷に着くと、お兄様は執事にお茶を入れるように告げてソファーに腰を下ろしたので、私もそのままお兄様の向かいに座った。
「……お兄様、ごめんなさい」
「え?」
「きっと私が、何か愚かなことをしてしまったのでしょう。王太子殿下の御前で、公爵家の娘としてふさわしくない何かー…」
「ミラ、それは違うよ」
きっぱりとして、でも優しさを含んだしたお兄様の声に、少し安堵する。
「ではどうして…」
「ああ、それは……今日相手をした大使が中々油断ならない相手でね。どうやって黙らせようかと考えていたら、ついこんな表情になってしまったんだ。ミラに怒っているわけではないよ、誤解させてすまない」
「まあ、そうでしたの。大変なお仕事でしたのね」
兄の不機嫌が自分のせいではないと知って、ミラはほっと息をついた。
「…それで、殿下との時間はどうだった?」
穏やかな笑顔を浮かべているお兄様の瞳が、なぜかとても冷たい光を宿して見えるのはどうしてなのだろう。
少し緊張しながらも、ミラは素直に答えた。
「殿下は…とても紳士で、素敵な方でしたわ」
私のような者相手でも、とてもお優しい方だった。
皆が思い描く理想の王子様のように輝いている方。
…ただ、やっぱりお兄様の方が素敵に見えてしまいました、という子供じみた感想は心の中に留める。
そんなことを考えて微かに頬を染めたミラを見て、ミハイルは息を呑んだ。
「……そう。きっと殿下も、可愛いミラをお気に召したことだろうね」
ぴしり、と空気が凍る音が聞こえた気がして、ミラは思わず背筋を震わせた。
ぞっとするほど美しく妖しい微笑を携えたミハイルは「そうだ」と思い出したように呟いて席を立った。
「今日城で、最近街で人気だというお菓子をもらったんだ。とても美味しいそうだから、一緒に食べよう」
明るくなった兄の声色に、少しほっとする。
ミハイルが戸棚から取り出した可愛い箱の中には、薄いクッキーで色とりどりのクリームを挟んだお菓子が並んでいる。
「わあ、美味しそうですね」
「ミラが気にいると思ったんだ。さあ、食べよう」
執事に用意してもらった紅茶に口をつけ、お兄様が渡してくれたお菓子を手に取る。
「いただきます」
「……召し上がれ」
クッキーを口にする私を見つめるお兄様の瞳は、なんとも満足気で、幸福そうだった。
じっと見つめられてつい赤くなった私にーー…突然、嵐のような息苦しさが襲って来た。
息が、苦しい。
お腹が、刺されたように痛い。
肺が熱い。
一瞬の出来事に、私はお腹を抑えて座っていたソファーに倒れ込んだ。
駆け寄って来てくれたお兄様の手が、私の背中に添えられる。
痛みと生き苦しさで、意識が朦朧としてくる。
……このまま死んでしまうのだろうか。
でも役立たずの私は、その方がいいのかもしれない。
……お兄様は、悲しんでくださるかしら。
薄れゆく意識の中で、お兄様の声が聞こえた気がした。
「…ごめんね、ミラ。でもこれで、ずっと一緒にいられるよ」
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右手の暖かさに目を開けると、ベッドの側に座るお兄様と目が合った。
「ああ、ミラ!よかった…目が覚めたんだね」
お兄様から聞かされた話では、どうやらあれから2日も経っているようだった。
食べたお菓子に毒が仕込まれていたけれど、倒れた後すぐにお医者様が駆けつけてくれて、私は助かったのだという。
「すごく心配した」とお兄様はベッドに寝たままの私を抱きしめてくれた。
「ミラが殿下に謁見したことで、王太子妃の座を狙うどこかの貴族が、ミラを殺そうと企てたようなんだ」
「そうだったのですか…。ですが、こうして命が助かってよかったです。しばらくは安静にしていなくてはいけないのでしょうか?」
「………」
「……お兄様?」
眉を寄せて言い淀んだお兄様は、部屋にいたメイドたちを下がらせた。
そして深く息を吐くと、そっと私の手を温めるように包んでくれる。
「…ミラ。まだ目が覚めたばかりのお前に伝えるべきか迷ったが……遅かれ早かれ、伝えなければならないことだから、今聞いてほしい」
深刻そうなお兄様の表情に、悪い予感が広がっていく。
「確かに命に別状はない、そこは安心してほしい。…だが、完全に無事というわけではなかったんだ」
「え……」
「お前が飲まされた毒は子宮を壊す毒らしい。解毒剤を飲んだとは言え、一度傷つけられた腹では、おそらくもう…子供を産むことは難しいだろう、と」
”子が産めない”
それは後継を産むことが重大な責務である貴族女性にとって、致命的と言える。
「……では、私は…もうお嫁には、いけないということですのね」
「ミラ……」
「…いいのです、元より私のような出来損ないでは、貰い手もなかなか見つからなかったことでしょう」
必死に笑顔を作ろうとしたものの、その瞳からは涙がこぼれた。
……私はなんて、ダメな娘なのだろう。
令嬢の義務でもある結婚すらまともにできず、お兄様のお荷物にしかなれない。
泣き出してしまったミラを、ミハイルはそっと抱き寄せた。
「心配しなくても、ミラはずっとこの家にいればいいんだ。キャンベル家の女主人としてここで暮らせばいい」
「ですが……お兄様もいずれ奥方を迎えられますわ。そうしたらー…」
「私が妻を娶ることはないよ」
思いがけない言葉に、ミラは涙で濡れた瞳を見開いてミハイルを見つめた。
「ミラがいるのに、他の女をこの家に入れる必要はないだろう。後継は分家から迎えればいいんだ、どうとでもなる」
「そ、そんな…!いけませんわ!私は修道院にでもー…」
「私にとって一番大事なのはミラだよ。ミラが私の側にいてくれることが、私の幸せなんだ」
いつのまにかミハイルの手はミラの頬を包み込むように添えられていて、大きな手のひらから伝わる熱が、ミラの心を切なくさせた。
兄の瞳に少しでも同情や気遣いがあったなら、すぐにでも修道院にかけこもうと思っていたのに。
「お兄様……」
「私の望みを、叶えてくれるかい?」
ミハイルの瞳に宿っていたのは、疑いのないほど溢れる愛情だけだった。
ミラに側にいてほしいのだと、それが本心なのだとわかる。
涙を流しながら、それでも静かに頷いたミラを満足そうに見つめて、ミハイルはそっと妹を抱き寄せる。
頭を撫でてくれる優しい兄の手に宥められながら、ミラは少しずつ呼吸を整えた。
こんなにも優しい兄に甘えてばかりの自分が情けなくなる。
「お兄様にご迷惑ばかりおかけして、ごめんなさい。…私はきっと、もうお兄様がいなくては、生きていけません」
その言葉に、ミハイルは花が綻んだように破顔したけれど、兄の胸に顔を埋めたままのミラには見えなかった。
抱き寄せる腕に一層の力を込めると、ミハイルはミラの髪に頬をすり寄せるようにして微笑んだ。
「それでいいんだよ。ミラはずっと私と一緒にいるんだから、何の心配もしなくていい」
「……はい、お兄様」
ーーー数年後、ミハイルの庶子がキャンベル家の後継となった。
若くして外務大臣も務める美しい公爵様は、なぜか妻を娶ることはしなかった。
母親はどこかの外国の貴族らしいが、一夜限りの関係で正式な婚約を結ぶことはなく、子供だけを跡取りとして引き取ったらしい。
そして公爵の妹であるミラが、その子を母親同然で育てているという。
まるでミハイルの血のみを受け継いだかのように、銀色にルビーの瞳を持つ、父親に瓜二つの男の子だ。
仲睦まじい公爵兄妹とその子が3人で並ぶと「夫妻とその子供のようだ」と、人々は微笑ましげに口にするのだった。




