日常にあふれる呪術
呪術や魔術について勉強していると言えば、私の経験則上、大抵の人物は馬鹿にしてくる。そんなものは現実に存在しない、お前は厨二病だ、などなど。
確かに全く呪術や魔術の勉強などせず、こう言う設定でうんたらかんたら、などと妄想していた小学生から中学生にかけての時分であれば、そうであったかもしれない。
しかし私が荒川弘による日本の漫画作品『鋼の錬金術師』に影響されて、錬金術に関する勉強を始め、こういったオカルトにも一定の法則があるということを見出してからは、まったく、と言えば過分ではあるが、そう言う妄想も少なくなっていった。そうやって哲学などの知識も身につけ、ある程度してくれば、世の中には呪術が溢れかえっていることに気がつくことができた。
岩波文庫出版、永橋卓助氏の訳した、ジェームズ・フレイザー氏が著『金枝篇』、その簡約一巻本の第3章共感呪術 一 呪術の原理 に記される文によると、氏が言うところの『呪術の基礎をなしている思考の原理』[ジェームズ・フレイザー1951:p57]は、次の二つに要約されるようである。
それぞれ、『類似は類似を生む、あるいは結果はその原因に似る』[ジェームズ・フレイザー1951:p57](曰く『類似の法則』[ジェームズ・フレイザー1951:p57])、そして『かつてたがいに接触していたものは、物理的な接触のやんだ後までも、なお空間を隔てて相互的作用を継続する』[ジェームズ・フレイザー1951:p57](曰く『接触の法則または感染の法則』[ジェームズ・フレイザー1951:p57]/以降、『感染の法則』[ジェームズ・フレイザー1951:p57])である。
これらの法則を鑑みると、現代の日常にも、どうやら呪術的文化があふれているらしいことがよくわかる。
例えば最近では意識されることが少ないものの、「間接キス」や、よく小学生のイジメで問題視される、所謂「○○菌」、遊戯の一つとして数えられる「鬼ごっこ」などは、形骸化してはいるものの、その呪術的な考え方の根本や思考回路の道筋は未だ健在であることが窺える。
ここでは、そうした「間接キス」などの事例を挙げながら、日常にあふれる呪術的思考、その発想経路を明らかにすることを目的とする。
例えば、「間接キス」という物がある。甘酸っぱい青春時代を謳歌したとのある人であれば、仮にそうでなくとも、恋愛漫画などではまさに鉄板イベントなので知っている人も多いであろう、定番とも呼べるそのアクシデント。
それは意図して積極的に取りに行ったのか、あるいは事故なのか、それとも相手からの差し金、いたずら、もしかして気づいていないのか。
いとしい、かわいい、思いを寄せるあの人が、一度唇をふれたコップの縁。自分も同じところに触れれば、物理的には彼女の、あるいは彼のそこに触れたわけではないにしろ、間接的に、気分はあの人と口付けをしている。そんな甘酸っぱくとも切ない、ひそかな恋を秘めた、呪術的行為だ。
これを呪術と呼ばれることに抵抗感を覚える人は少なくないだろうが、ジェームズ・フレイザー氏に言わせればその『思考の原理』[ジェームズ・フレイザー1951:p57]は呪術的だと言えるだろう。
岩波文庫出版、永橋卓助氏の訳した、ジェームズ・フレイザー氏が著『金枝篇』に記される文によると、氏が言うところの『呪術の基礎をなしている思考の原理』[ジェームズ・フレイザー1951:p57]は、次の二つに要約されるようである。
それぞれ、『類似は類似を生む、あるいは結果はその原因に似る』[ジェームズ・フレイザー1951:p57](曰く『類似の法則』[ジェームズ・フレイザー1951:p57])、そして『かつてたがいに接触していたものは、物理的な接触のやんだ後までも、なお空間を隔てて相互的作用を継続する』[ジェームズ・フレイザー1951:p57](曰く『接触の法則または感染の法則』[ジェームズ・フレイザー1951:p57]/以降、『感染の法則』[ジェームズ・フレイザー1951:p57])である。
これに倣って説明するのであれば、この「間接キス」という行為は感染の法則を利用した呪術であることが言える。
これを使う術者は、「コップの縁に被術者が唇をつけた」という記憶から、あるいは情報から、同じ場所に唇をつけることで間接的に口づけする。こうすることで、術者は「実質的に」相手と唇を重ねたと信じるのだ。
また、よく小学生のイジメで問題視される、所謂「○○菌」というものがある。
これはイジメの対象者を「汚物」と認定することによって、それの持つ「汚いもの」=「細菌」が付着しているものとして、あえて触りに行き、「うわ、○○菌(○○にはイジメ対象者の名前が入る)が付いた!きったねぇ!」などというように言いふらして回り、イジメに加担している人物にこすり付け、それをまた別の人にこすり付けていくのである。
こうすることによりイジメの対象者はイジメの被害に遭い、心を病んでいくという呪いに掛けられるのだ。
この呪術の原理は、まず対象者を「汚物」に見立てるという類感呪術から入り、続いてそこから「細菌」に見立てた接触記憶の感染が始まる。
余談だが、この構造は「汚物」を「鬼」に変えれば、遊戯の一つである「鬼ごっこ」と共通していることがわかるだろう。
つまりこのように、例え未開社会の様な場所に限らずとも呪術的な文化という物は日常にあふれており、そしてその『呪術の基礎をなしている思考の原理』[ジェームズ・フレイザー1951:p57]は、今でも健在であることが窺える。
<参考文献>
Sir James George Frazer 著/永橋卓助 訳、1951、『金枝篇(一)』