2月23日と青い狐 扉の向こう側
あれから、2月22日は平凡に(?)過ごせた。あの不可解な事は一切起こらずに、私は猫の日という事で、放課後は早々と帰宅して家にある猫グッツその他猫の画像等を愛で、神志那は言っていた少年漫画を買ったそう。
しかし、私が願ったのは2月21日の“明日”だけだった。
「あれ…?」
2月23日午前6時03分。私はいつもの如く洗面所に居て、髪を梳くのだが、いつの日のように、髪がストレートになっている。おかしい。
☆ ☆
「えー、教科書126ページのー…」
先生の話に耳を傾けて静まっている教室に、虫青色の黒板にカツカツという音が数回鳴ったかと思えば。
「あれ?」
確かに先生が『126p』と書いた筈が、跡形も無く消えている。いつの日かのように。おかしい。
☆ ☆
「神志那、これ、おかしいよ」
「俺も思った」
私と神志那は、あの廃神社にいる。あれから、他にも…烏の大群が授業妨害に来たにも関わらず怪我人が出なかったり、
『放課後、昨日と同じ廃神社に来て。
朝比奈 望桜』
そう書いた手紙を移動教室の際に、神志那の席の椅子の上に置いて置いたのだ。変な噂が流れる?知らん。
「私、今日1日中ずっとおかしな事の理由考えてたの。それで、理由、わかる?」
神志那は首を横に振る。
「一昨日、私が願ったのは“明日”だけだからなの。安全の保証は昨日までだった訳。だから、今日がおかしいの」
「なるほど。じゃあ、永遠願ったらいいんじゃない?」
《それは、無理ですよ。》
軽やかに神志那が言った直後、誰かの“声”が聞こえた。正しくは声じゃない。心、頭の中に直接言ってくるような。
「…誰?」
《もう、誰とは失礼ですねぇ。毎回、見てるじゃないですか。》
カサカサと音をたてて現れたのは、淳司。まさか、先程の声の主は、淳司…?
《ええ、そうですよ。僕です、朝比奈 望桜。いえ、緋志と呼ぶべきでしょうか。》
どうやら、淳司は私の心が読めているらしい。厄介な。そういうのは個人的に好きじゃない。心の中は完全なるプライベートであり、自由が定められている。これでは、私の心の動きと言動は等しいということになってしまう。制限される言動と制限されない心情を一緒くたにされては、どうすればいいのやら。
《心を読まれたくないのなら、僕について来て下さい。お2人とも。》
そう、聞こえるなり、淳司は淡く朝陽の様に発光すると、青い狐に変化していた。黄色の少し混じった白を基調とし、耳、足、鼻、尾の先が縹のような色。大きさは淳司と変わりない。閉じた吊り目も、動かないきゅっと結ばれた口も愛らしい。それなのに、やつがれだなんて言ってるのが少し腹立たしく思う。
「…無事な未来はあるの?」
《それはお2人の行動次第ですよ。それよりも、ここの扉開けてもらえますか?何分、この身体では開けるのに一苦労するもので。あぁ、そうそう。朝比奈 望桜はその簪を忘れずに。》
青い狐淳司は一言一言が意味深な気がするのは、気のせいだろうか。
一応、あの紅い簪は取ったが、振り向いた視線の先の神志那は、疑問符を浮かべた表情をして狐を睨んでいた。何が言いたいんだ。そう思っているのだろう。彼は私の視線に気が付き、言葉を発する。
「朝比奈、開けるのか?その扉。俺は辞めた方がいいと思う。だってその扉ってここの神社の御堂の中だろ?普通、神主か巫女しか入っちゃいけない所だ。だから俺は」
「私も同意見。」
神志那の言葉を遮る。
《本当に宜しいのですか?繰り返されない2月21日がやってくるのですよ?》
「やめておく。そこに入ったら、何か祟られそうだし、あんたが何者かもわからない。勝算も何もない危険に身を突っ込む程、私は馬鹿じゃない」
そう言って私は、小さな狐を睨め付ける。それでも彼は平然としている。どんな奴なのか、得体の知れない。私は真顔で見ていただけで睨まれたと思われる事もあり、大抵1人でいる事が多かった。
《そうですか。朝比奈 望桜は馬鹿者だと僕は思うのですがね。何せ、“今日”を繰り返さなくても》
「黙れ」
斜め後ろから神志那の声。低くて聞き取り辛い。
《なら、2月21日を繰り返して下さいね。それしか道はありませんので。》
狐はまた淡く発光し、元の淳司の姿に戻って茂みの闇に消えた。訳がわからない。
☆ ☆
結局、前と同じ願の呪を唱え、また2月21日を迎える事になった。
☆ ☆
「朝比奈!」
振り返れば、神志那がいた。あれからやり直している筈だから、彼の記憶からは、あの出来事は消えている筈だ。なのに。
「また、“今日”を繰り返しているのか?」
私は合掌する手を元の位置に戻し、無言で俯く。あの日から多分2、3回繰り返している。神志那はそれに気付いたのだろう。
「確かにあの狐の言うようにこの御堂の中に入るのは嫌だけど、別に“永遠”を願ってもいいと思う」
《そうはさせません。もし、そのような事をするのであれば、僕が無理矢理にでもあの扉の向こうへ連れて行きます。》
噂をすれば影。脳にあの狐が直接言ってきた。そして、また茂みの闇から出てくる。首元に付けた鈴をチリンと鳴らして、賽銭箱の上に飛び乗った。狐の癖して、猫みたいに。
この狐に対する嫌悪感を、深呼吸で抑える。正直言って、いつまでも足踏みしているのも疲れた。本当に、狐の言う事が事実なら。勝算は条件、状況把握から。
「そうしてでも、私達を連れて行きたいの?」
《ええ、もちろんですよ。それが僕の務めですから。》
「じゃあ、私の質問に答えて。まず、あんたの名前は?」
《そこですか。》
「私達を扉の向こうに連れて行きたいのなら答えて。まあ、勝算の無い危険なら別な話だけど。その判断は私がする。神志那も神志那自身でこれからどうするか決める。そうよね?」
振り返え見上げれば、無言でうなずく神志那。狐は仕方なさそうに溜息を吐く仕草をして、答える。
《僕は縹衛。とある方にお仕えしております。》
「誰なの、それは」
《お応えできませんね。》
「なぜ、私達をあの扉の向こうに連れて行きたいの?」
《それが僕の務めですから。》
「私達は、あの扉の向こうで何をされるの?」
《されるのではありません。お2人がするのですよ。そこで受け身を使われるとは、》
「私達が何をするの?」
《…罪を償うのです。》
「私が、何の罪を犯したというの」
《それはここでは言えませんね》
「それじゃ、何もわからない。いつ、犯したの?」
《前世。お2人の前世です。彼奴は転生し、未だお2人の中に眠り続け…朝比奈 望桜の方は少しばかり覚醒していますが。》
「待って。それってつまり、私達は誰かに転生されて、その罪をなぜ今になって」
《彼らの膨大な力は、脅威です。世界を破滅へと導く。》
「…あの扉の向こうは、何なの」
《向こうは…黄泉国です。》
絶句。何も、言えない。そんなの。そんなの、向こうに行くのは、死ぬ事と同じだ。黄泉国は、死者の魂が行く所。
夕焼けの闇の中、時だけが進んでいく。太陽が沈んでいく。そのきっと美しいのであろう太陽は、ここからじゃ見えない。
「それは、俺らに死ねって言ってんのか…?」
私の心を代弁するように、神志那が声を荒げる。
《あー、それは半分事実で、半分嘘と言った所でしょうか。まあ、要するに、お2人の行動次第です。》
「帰れる可能性はあるって事だな。でも、それはおかしくねぇか?罪償うってことは、普通懲役か罰金だろ。」
《それは、黄泉国の都合です。お2人は元々黄泉国の住人ですので、黄泉国の規律に従って裁かれます。》
「俺は、何故、帰る事ができる可能性があるのか聞いている」
《それは、其方が最上の栄光を掲げてられたからですよ。》
「最上の…栄光…?」
《これ以上は、もうお応えしかねます。知りたいのなら、この扉を開けるしかありませんよ。》
夕焼けに朱と黒に世界中が染まる中、1匹だけそれに染まらないでいる。
私の前世、繰り返される2月21日、おかしな2月22日、そして、罪。それらが元通りになるのなら。
「わかった。私は行く」
「朝比奈…」
神志那が渋る。彼も影の色をおびているのに、相変わらず縹衛の耳などの先は縹色をしている。
「私は、全てを知りたい。未来を取り戻したい。それだけ。神志那は、自身で判断して。私は縹衛は好きじゃないけど、“今日”が疲れたの。だから、私は行く。私のために」
「じゃあ、俺も行く。朝比奈1人じゃ心配になる、俺が。」
天然パーマの中身を動かすそぶりを見せないで言われる。
「神志那ってそんなキャラだっけ?」
「いや、女1人で行かせたら、後で後悔してると思うから。俺、これで後悔はしたくねぇし」
それが神志那の意志なら、止めはしない。
「ありがと」
初めて話し合った時のような笑顔を返す。1人で行くより、2人いた方が心強い。
「そういう事だから」
《全く。ようやく理解して頂けましたか。かなり苦労したもんです。それより、扉を開けて下さい、神志那 青貴。朝比奈 望桜は簪を忘れないで下さいね。》
夕焼けに殆ど溶け込まない異物が、ここから姿を消した。まだ若い2人の高校生と共に。
東の空では闇が迫り、星が1つ輝いていた。