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如月の初桜(はつはな)   作者: 鈴 初夏ノ影
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如月の初桜(はつはな)

「なぁ、望桜みおう

 放課後、神志那が私と帰ろうと声を掛ける。すい、と目を逸らして黙ってその場を去る。私は何も言っていない。

「なぁ」

「…私は何も言ってないけど。神志那自身も」

 あの夕陽を背に私は振り返る。引き結んだ真一文字を開き、閉じる。別に神志那が悪いんじゃない。私が悪いんだ。未練がましい奴だから。人気のない下足室であの烏の声が響く。いつどこでも煩い。

「何も言う事が無いなら、帰るね」

 上靴を制靴に履き替える。トントン、と軽く地を蹴る。

「俺…朝比奈に言う事があるから…その、一緒に帰ってほしい」

「…わかった」

 弱々しい声は彼らしくない。だけど、それは緊張以外の何物でもない。それに、原因は私だ。この無愛想が。

 そうして連れて来られたのはあの廃神社。繰り返した2月もこれで終わるのかと思うと、嬉しいような寂しいような気分になる。

 何も言われないまま、言わないまま、時と烏だけが通り過ぎていく。向き合ったまま、冷たく鋭い視線と、温かいながらも緊張に張り詰めた視線が交わり合う。

「あのさ、望桜みおう

「あんたからそう呼ばれる資格は、私には無い」

 何度か深呼吸を繰り返して、ようやく神志那が口火を切ったのに、それを遮る。

《本当、朝比奈望桜は馬鹿ですか》

 聞き覚えのある感覚。聴覚で感じていると言うより、頭に直接話しかけてくるような。辺りに目をやると、縹色の狐がいた。縹衛だ。今更馬鹿と言われても、もともと馬鹿なのだから仕方ない。私が馬鹿なのは縹衛は百も承知の筈。

《自分自身で自分自身を決めつけて、その決定事項で他人の行動を制限して。自分が何をやっているのかわかってるんですか?あの方からお2人がどうなってるか見て来いと言われたので来てみたらこの有り様とは…》

「そんな事を言われても困る。私の事は私が決めたい。私は操り人形じゃないから。それを教えてくれるきっかけを作ってくれたのは、何処の誰だったの?」

 睨むと、はいはいそうですか、ではやつがれは退散しますね、と嫌味ったらしく去っていった。

「なあ、もしかして、望桜自身に何かあるのか?自分の事、どう思ってる?」

 縹衛がいた場所をじっと見詰めて何も答えない。心に一段落つけられるその時までそっと放っておいてほしい。だけど、何故かそれを言う気にもなれず、躍起になって無言を貫く。冷たさで貫く。

「その呼び方で呼ばないでって」

「そういうだろうから勝手に呼ばせて貰う」

「…その意味、わかってて言ってよ」

「わかってる」

 嘘つけ。

 いや、真瀬に教えてもらったんだよ。

 …煩い。私の感情。

 曝してしまえ。暴いてしまえ。全て知られてしまえ。

 嫌。やだ。やだ。やだ!

 それらは深呼吸の酸素で押さえつけると、静まった。

「俺に呼ばせてくれよ。下の名前で。」

 折角押さえつけた煩いあれらが、再び暴走を始める。

 預けちゃおうよ、彼に全部。

 嫌。

 …煩いんだってば

「…私にそんな事をされる資格は無い。」

「望桜、」

「呼ばないでって言ってるでしょ」

 怒気を孕んで神志那に届く。情緒が不安定だ。もう一度深呼吸し直して、心を落ち着かせる。それでも完全には静まらない。

「…朝比奈自身、自分の事をどう思ってる?」

「………無愛想」

 ほらね、この声ですら無愛想だ。落ち着いて対応出来ないから、こうなるんだ。落ち着けない、感情のコントロールが下手くそ。

「私、定期考査前だから帰るね」

 相手の顔も見ない。見たらきっとそれが最後だ。こんな私に、神志那のような優しいを受け取る資格など無い。

「答えになってない」

 鳥居の方に足を踏み出すと手首を掴まれた。

「俺には朝比奈が無愛想だとは思わない」

「なんで…」

 掴まれている手を無理矢理にでも話そうと思ったが、それも神志那の言葉に遮断される。

「あの日、あの時。朝比奈が冷たい事は無かった。わかりやすく状況の説明をしてくれた。その朝比奈が無愛想な訳が無い」

「そんな事ないっ!」

 離れないと。今度こそ神志那の手を振り払って走る。フォームも滅茶苦茶で前も見ない。砂利に足を何度かとられそうになってようやく鳥居に辿り着いたと思えば、また神志那に捕まってしまう。

「や…!」

 今度は逃げられないように鳥居に押さえつけられる。それでも無理矢理抵抗するが、やっぱり逃れられない。どれ程力を込めても手は開放感を得られず、頭は振りすぎで酔いかけの状態。

「落ち着いて」

 今の行動が無意味だと教えてくれるように、私の心を聞く状況を作るように、神志那の声は私を落ち着かせた。私は足元を見詰めて肩で息をする。霞んでいるせいで制靴の凹凸が上手く見えない。

「朝比奈が朝比奈自身、どう思ってんのかは知らない。予想しようにも出来ない。けどもし、俺が朝比奈の事を下の名前で呼ぶ事を許されないのは俺じゃなくて朝比奈が悪いと思ってんなら、それをどうにかしたい。こんな事、勝手な事で自己中な事だとは思っている。けど、俺は朝比奈に下の名前で呼びたいから」

「………私は」

 自然と口が開く。視界は霞んだまま。声はいつものそれと比べずとも細く弱々しい。

「私はまだ、諦め切れてない。けじめがつけきれていない。私は長い夢を見ていて、ガレンはインフルにでもかかって休んでいて。そんな風に思える時があるの。まだ、ガレンに未練があるのかなって。サヨナラを私から言うだなんて言っておいて、2月の最後まで恋情を引きずってる!そんな私は…私は…!」

 霞みはより酷くなり、顔の中心の奥が熱い気がする。押し留め切れなかった感情が滲み出るよう。次第に強くなる語調はどこへとなく発した筈なのに、これではまるで神志那への八つ当たり。

「…言ったんだから、これで満足した?なら、離して」

 前は見ない。今の惨めな自分を見られるくらいなら、雅攣ガレンの弟子になったっていい。あぁ、いつか夢見たであろうこの展開。幼いあの頃はこうされるのをきっと望んでた、夢見た。でも、それは純粋な恋情をもってしての事。惨めな未練塗まみれの恋情に与えられる優しさなど、無くていい。無いのが正しい。

「…辛かったんだな」

 そんな思いもうさせない。そんな神志那な思いが手に取るようにわかる。いたわるような、慰めるような。神志那の言葉が私の中にスッと入って来て、溶けて全身に染み渡る。それを拒否する、脳のどこかにいる自分に混乱する。その末、頬を濡らした。

「朝比奈…?」

「…あんたは、あんたはなんでそう、優しいの…?こんな、惨めなのに…」

 ずっと前から、あの時から。神志那は、あおき千馨夜ちかやは優しかった。でもその優しさを純粋を捨て去られた今、受け取るのは。

「朝比奈は笑えてないから。たまに見せてくれた笑顔も、あれも本当のじゃないんだって真瀬に言われた。それに、朝比奈は緋志あけゆきの容姿に酷似していて、本当に笑った顔は知ってる。笑えてない顔も充分可愛いとは思うけど、本当に笑った顔の方がずっといい」

 気付かれてたんだ。敵わないな。なんで私頑張ってきたんだろ。頑張って神志那の前でだけあの時笑った。なんか、心にゆとりが持てたから、無理に笑ってみた。けど、無駄だったんだ。無残な敗北だな。

「だから…」

 神志那のその先の言葉は聞かない。もう、受け入れるしか無い。

「…笑う顔は、開きかけのたった一輪の桜のようだって」

 聞かないはずだったのに、その部分だけ聞いてしまった。いつの間にか手の拘束は解かれている。

「別に、見た事がある訳じゃ無いけど、緋志もそんな感じだったなって」

 聞いていなかったから、話の内容はわからない。何をどうぶっ飛ばせば『笑って欲しい』『下の名前で呼ばせて欲しい』からそのような言葉がでてくるのだろう。なんか、神志那らしいような、らしくないような。そう思っていると、自然に笑っていた。

「…?どうした?何かおかしい事でも言った?」

 もう無理だ。この人に嘘も何も出来ない。そういう事に敏感なのに、こういう事に無自覚。

葵貴あおきらしくて、らしくないなって」

 …言えた。ようやく言えた。私がこの人の下の名前で呼ぶと、この空に負けず劣らずの色に顔を染める葵貴。

「お、俺は元々こうだけどっ…」

 真っ赤になりながら言ってる事は葵貴らしいのに、どこかそうでもないような、複雑な感じでさらに笑ってしまう。

「葵貴ってもうちょっと不器用な感じだと思ってた」

 普通の男子高校生みたいに、自身の感情に気付いてない振りして、でも少しだけわかっていて。そんな風だと思ったけど、葵貴は素直だった。

「そういえばさ、これ」

 ガサガサと鞄から取り出したのは、あの簪。チリンと鈴が鳴って葵貴の手の中に収まっている。

「俺が持ってるのも何だし、貰ってて」

 貰って、いつか刺した所を見せて欲しい。きっとそう思っているのだろう。いつかじゃなくて、今、と思って欲しい。ヘアゴムを外して簪を受け取り、挿す。

「…どう?」

 歯に噛むように聞くと、純粋な答えが返ってきた。

「可愛い」

 真っ直ぐすぎて、対応出来ない。これがきっと葵貴らしさなのだろう。

 赤々と街を暖かな色に染める夕陽はここからは見えない。けれど、東側に階段はあり、朝日ならば見えるだろう。

 明日からは3月。一足先に葵貴の横ではなは咲き、明日へ行く。

 今年1番の桜の開花は神志那葵貴ただ1人だけが見た。





【初花】

 その年初めて咲く桜。

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