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如月の初桜(はつはな)   作者: 鈴 初夏ノ影
13/15

思い出す事

「あのさ、朝比奈、悪かった」

「え?き、急にどうしたの?」

 屋上に呼び出したのは私で、恋人であるこの真瀬ガレンと別れるためにここにいる。サヨナラを言おうとしたら、謝られた。どこをどう飛ばせばその結論が出るのだろう。

「俺、お前の事を利用してた。朝比奈は朝比奈なのに、朝比奈として見れていなかった。別の誰かと同じものを期待していた」

 ようやく聞こえるような声で話すガレンは、切実なようで訳がわからない。

「ガレン、それじゃ何も伝わってない。何もわからない」

 強い口調でサヨナラを言おうとしていたのに、気が削がれてしまった。

「…そっか。じゃあ、覚えてないんだな?忘れたんだな?」

 疑問形で言っている筈なのに、自分自身に言い聞かせるように見える。なんか、らしくない。私を苗字で呼んだりしない。

「ガレン…」

「…俺はもう、お前に下の名前で呼ばれる資格はねぇよ。そういえば、何を言いたかったんだ?」

 思い出したように言ってみせる。私はもう言う気も無くなって答える。

「ううん、忘れたからいい」

「嘘つけ。別れを告げに来たんじゃないのか?お前が俺にサヨナラを言うんじゃないのか?」

 絶句。全て、言われた。全て、知られていた。全て、図星。何故。

 屋上は無意味に寒いだけ。

 ☆ ☆

 半泣きで教室に戻ると、神志那がいた。窓際の自分の席に座って頬杖を突き、虚空を見詰めている。夕陽の逆光の効果か、何処か綺麗な顔立ちに見えた。私に気付くと、彼は立って言う。

「一緒に帰る?」

 気が紛れていいか。単純にそう思って頷く。私はあの人にとってどうでもいいし存在だし、早く忘れた方がいい。それに、諦めるってつい1週間前に決めた。

 途中、どうしても寄りたいところがあると神志那は言った。別に構わなかったけど、その場所が長い階段を上った所にある廃神社。ぜえぜえと息を切らせて上り切ると、特に変わったところのない境内。敢えて言うならば、オンボロに寂れた御堂に対して、壮麗さをまとう鳥居が浮いて見えた事ぐらい。

 大丈夫、と彼は心配してくれるが、どこか悲しげな寂しげな表情。彼は別段変わったところのない普通の男子高校生なのに。何が足りていないのか、私には理解できない。

「朝比奈は覚えてない?本当はここで手を合わせて願っていたのは、朝比奈の方なんだって」

「…ごめん、わからない」

 神志那の目は細められる。ああ、なんでこんなにも悲しげな寂しげな表情を。私にはない友達がいて、私の望んだ明るい青春を過ごしていて。それなのに、何が足りていないの。

「ただ普通に願うだけじゃ、願いは叶わない」

 唐突に神志那は説明し出す。

「願いには形があって、それに従わないと叶えられない。二令二拍手一令とは別のね」

 ガサガサと鞄から彼は簪を取り出した。そう、簪。紅色の大きなリポンに鈴が付き、温かな桜色の小さな花で飾られている、可愛らしい簪。

「これを見て、何も思わない?感じない?」

 何かを望むような、せがむような。切実な思いが伝わって、それでも自分は何も理解出来なくて。虚しさと申し訳なさに満たされながら首を横に振る。

「覚えてないなら、忘れたなら、事実を告げるだけ」

 背後で声がして振り返ると、こちらも悲しげな寂しげな表情の真瀬。

「おい、縹衛」

 聴き慣れたような慣れてないような名前を真瀬は呼ぶと、ガサガサと音がして猫が現れた。淳司ぬしだと思えば、淡く二度光って男の人の姿を見せる。

淳司ぬし…?」

 縹色の髪のその男は、不服そうに眉根を寄せる。そう睨まれても、こちらに非があるとは思いにくい。

「ま、時間かかるから、自販機で何か買ってくるわ、俺」

 そう言って神志那は階段を降りていく。鳴く烏の声は私を嘲けるように聞こえた。

☆ ☆

「ま、そういう事だ」

 私の右側に座る真瀬が、冷え切ったほかほか檸檬で手を暖めるように、小さなペットボトルを大きな手で包み込む。

「確固な証拠は何一つ無いけど、俺達の記憶上はそうなっている。俺はあおき千馨夜ちかやって人物で、朝比奈は緋志あけゆきっていう超優秀な座敷童子見習いで、真瀬は『みやび』って字に『攣』は…糸、言う、糸、手。それで『雅攣ガレン』って名前で緋志の師匠」

 左側に座る神志那が言う。何故か私は今、2人に挟まれる形で座っている。ぬるいほかほか檸檬は、濁ったような黄色でペットボトルに半分程。

「そんな事を聞かされても、私にはわからない。思い出せないし、実感もないし、他人事にしか聞こえない」

 そうだよなあ、と溜め息混じりにとっくにほかほか檸檬を飲み終えた神志那が言い、ああ、と美しい虚空を仰いで真瀬が答える。そんならしくない2人を見ているのが嫌で、一気にペットボトルの中身を喉に流し、空の容器を集めて自販機の横の回収ボックスに入れに行った。

☆ ☆

 本当に、何も覚えてないんだな、朝比奈。俺が言いたい事、まだ言えてないし。簪も見覚えが無いって…。今日十何度目かの溜め息を吐く。

「なあ、こんな時に聞くもんじゃねぇけど」

 右を見ると、1人分の隙間を開けて、真瀬が美しい虚空を仰いだまま口を開く。

「あの簪を付けた緋志って、どんな感じだった?」

「…可愛かった。一度しか見てねぇけど」

 あおき 千馨夜ちかやの記憶は既に神志那 葵貴の物になってしまっている。あの時、簪をあげた時に付けてくれた時の、はにかんだ笑顔は1番印象に残っている。鞄の中に仕舞った簪には、傷一つ付いておらず、大切に扱われ、傷を付けないように彼女が使用しなかったのがわかる。

「俺も見たかったな…」

「…お前、まさか」

 朝比奈とやり直すつもりじゃないのか。考えると不安になってくる。俺はごく普通の男子高校生で、真瀬は普通よりちょっとカッコいい男子。普通が普通より上に勝る訳がない。

「いやいやいやいや。それはないない。この状態で、あれだけ気のない行動をして、もう別れようぜって雰囲気なのに、やり直せる訳が無い。流石の俺もそれはしない。これ以上は信頼関係にヒビがいる」

「もういってんじゃね?」

 朝比奈の恋心を利用して目的を果たそうとしたところでアウトだと思う。

「ひど。当たってるかもだけど」

 文句は言うものの、あっさりと真瀬は肯定し、笑っている。俺もつられて頬を緩める。

「それより、神志那は認めるんだなぁ。大体の奴は最後まで否定するんだけど」

「何を?」

 ニヤリと意味深に真瀬は顔を歪ませると、息を切らせて長い階段を一生懸命上っている彼女に向かって。

「あーさーひーなー!こーしながぁー!おま…グフェッ!」

「真瀬、理解。理解したから、言うな。俺は理解したけど、朝比奈は何の理解もない。そのままの彼女に言うな」

「…お前って殴るんだな」

 俺の拳をまともに食らって、その場所を押さえている真瀬に声を潜めて言った。俺が自分で言うって知ってるクセに、それを言う真瀬が悪い。早く下の名前で読んでやれ、とまだ言っているが、彼女が理解を得るまでこのままにするつもりだ。いつ、何をすれば彼女は理解出来るのかは知らないが。

「それで、何?」

「あぁ、神志那がな」

「あーー!あーー!何でもないよぉ!ほかほか檸檬おいしかったねぇ!」

「……私がゴミ捨てに言ってる間、何が起きたの?」

 んの真瀬。余計な事言うから白い目で見られた。

 お前こそ認めたんならとっとと言うこと言え。

 はぁ?まだ何も知らん彼女に言えるか。

 云々。そんな事を視線だけで言い合いながら、どんどん朝比奈の視線が怪訝そうな物になる。一通り終わると、それを察したのか朝比奈がボソリと呟く。

「学校じゃ見なかったけど、真瀬と神志那って仲良いのね…」

 朝比奈は鳥居に立てかけてあった鞄を取って帰ろうとする。その一瞬の隙を利用して真瀬が耳打ちした。朝比奈があの簪付けたらどうなるんだろうな、と。コイツ、ここまできて諦めてるクセにそんな物を強請るとは。

「伝えたい事伝えたなら、私帰るね」

「あー、待て待て。朝比奈、あの簪付けてみないか?」

「は?」

「ほらあの、神志那が持ってるあの簪」

 簪を出せ出せと真瀬が俺を小突く。眉を片方だけ上げて怪訝な表情をしている。

「真瀬ってそんなキャラだっけ?」

「あー、それより、簪付けたいって思わないのか?」

「…真瀬、熱出てない?インフルだったら大変だから病院行った方が良いよ」

 ススス、と地味に遠ざかる朝比奈。あの『座敷童子にならないか』のノリで言ってるよう。

☆ ☆

 本当、2人共どうしたのだろう。テンションが確実におかしい。どんなに考えてもその原因は思い当たらない。真瀬が言おうとしていた事も、神志那に遮られて聞き取れなかった。

「あのさ、真瀬。簪は付けるんじゃなくて、挿すって言うんだけど。それより、なんで簪挿さなきゃいけないの?」

「いや、それが神志那が朝比奈が簪付けたのを見たいって」

「は?なんで俺なん…でっ!踏むなよ」

 このやりとりは、昨日まで無かったのに、どこから生まれたのだろう。そういったどうでもいい考えを隅に押し遣って、あの神志那が見せた簪を思い出す。綺麗で可愛らしい紅色の簪。逡巡して口を開く。

「ううん、いい。壊したりするのは怖いから」

「一度だけ、一瞬でいいから」

「…どうしたの、真瀬。おかしいよ」

 本人は否定したけど、本当に熱でもあるんじゃないかと思う。心配で自分の片手は額に当て、もう片方を真瀬の額に当てようとすると、その手を神志那が掴む。

「多分大丈夫だと思うから」

「かんざ…」

 私と神志那の視線で真瀬の口を封じる。簪、簪煩い。神志那が見たいって言ったと真瀬は言ったが、あれは真瀬が見たいと思っている。どうせ、簪を挿した私を褒めて、やり直そうとか考えているんだろう。私はそんな手には乗らない。決心は変えない。

「はぁーーーー、わかった。正直に言う。別に俺は朝比奈の簪を挿した姿を見たいと思っているんじゃない。神志那も。俺が思うに、多分、簪に触れれば朝比奈の記憶が戻るんじゃないかと思っただけだ。神志那は覚えてるだろ?朝比奈は狐面、神志那は簪に触れるとそれぞれの前世の記憶を思い出した。それと同じように、ここでもそうなんじゃないかってな」

 そんな事を言われても、私は知らない。知らないままでも、別に構わない。将来に影響する事はないと思うから。それに、他人ひとの簪を挿して万一壊したり傷付けたりしたらと思うと、怖い。そういう理由で断ろうと思ったら、神志那が口を開いた。

「…俺は朝比奈が簪挿したとこ、見たいけど朝比奈が嫌って言うんなら仕方ないな」

 そんな残念そうに言われると、どんな人でも罪悪感感じるから、やめて欲しい。分かってやっているのだろうか。どうしよう。なんか、簪を挿した方がいいけど、壊すの怖いし、けど挿してみたいし…。

「もし私が簪を壊したら、2人はどうする?」

「朝比奈が簪を壊すとは到底思えない」

「同意見」

 2人共即答。じゃあ、やってみるしかないか。サイドテールにしている髪を押さえながらヘアゴムを外すと、嬉しそうに神志那は鞄からあの簪を取り出す。私はササっとお団子にまとめ、それを受け取った瞬間。

「…⁉︎」

 …知ってる。この感覚。この場所。ガレンが今日謝った理由。私と神志那の正体。そして、何故忘れていたか。

 2人に見守られてるので、あまり深く余韻に浸る事は出来ない。グサリと簪を挿すと、鈴をチリンと1つ鳴らして見上げる。

「…どう?」

 別に、言う必要はないが、こう言うのが定石だと思う。目を細め、口角を上げて『か』の字を発しようとした神志那を真瀬が割って入る。

「それは俺が言いたい。思い出したのか?」

「ええ、全て。私は、緋志の転生で、あおき千馨夜ちかやの恋人だった」

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