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如月の初桜(はつはな)   作者: 鈴 初夏ノ影
12/15

事実と感情と願い

 目を開けると、居間の机にうつ伏せになっていた。正座しなくて正解だった。胡座をかいていなければ、大変なことになっていただろう。俺は徹夜で本を読み漁り、ようやく読み終えて情報を整理し終えると、ドッと疲れが押し寄せ、そのまま睡魔に抗う間も無く寝てしまったことを思い出す。

 壁掛け時計を見上げると、しっかり8時間以上は寝ていた。しかしまだ眠いが、寝ている時間はない。いつ朝比奈が処されるかわからないのだ。だから一刻も早く彼女のいる所へ行かなければ。

 立ち上がり、顔を洗って気を引き締める。走るのには向いていないが、それ以外にないので自分の制靴を履く。真瀬から借りた着物に制靴を合わせるというのも、滑稽極まりないが、仕方ない。情報を整理したノートを懐にあるのを確認して行こうとした時。

「おい、神志那。朝飯食ってけ」

 背後から声がかかった。振り返ると腕組みをしている真瀬。

「腹が減っては戦は出来ぬ、だろ。俺が作ったから食ってけ」

「料理出来るんだな」

 真瀬が料理出来るというのは意外で、思わずそう言ってしまった。居候させて貰っているのに、これはない。けど、それに全く悪く思う訳でもなく、真瀬は返す。

「朝比奈程じゃないが、縹衛あれレベルに不味い訳でもない筈。食って力つけろ。すぐに付くわけないけどな」

 真瀬の朝飯は、朝比奈より簡素なものだったが、別段美味しくないわけじゃない、でも美味しいとも言い切れない、料理慣れしていないような味だった。

「じゃ、行ってくる」

「あぁ、これ持って行って渡してくれねぇか?緋志の物だから。ま、これで思い出すとは思えんがな」

 そう言って真瀬が俺に差し出したのは、狐のお面。

「一人前の座敷童子に渡される、いわば免許証みたいなもんだ。それがなかったら座敷童子として認められない」

 ふぅん、と適当に返した。別に、座敷童子に興味はない。

「じゃあな」

「おぅ、死ぬなよ」

 死ぬ訳ない、と言ってガラガラと戸を開けて一歩踏み出して、一つ思い出す。

「そういえばさ、一つ聞きたいんだけど、あの標識、何てかいてあるんだ?」

「『がれん』って読むんだけど、誰も読めねえな。現世にいる時はカタカナで通してるけど、こっちじゃあれでガレンだ。漢字の方が正式だけど、カタカナの方がわかりやすいからな」

「ふうん。それだけ。じゃ、今度こそ、じゃあな」

☆ ☆

 小さな四角形の陽溜まりで手足の先を暖める。これが私が唯一している事。別段、何をしなきゃいけないとか無いし、2月の寒さで冷える手足を暖めることが暇潰しになってしまった。これがなかなか暖まらない。否、暖まった試しがない。無駄な事を繰り返すしか方法が思いつかなかった。いつになったら暖まるんだと考える方が気が楽だった。親や神志那の友達はどうしているのかとか、ここに来て何日目になるのかとか考えるよりマシだった。変に罪悪感に精神を蝕まれるより良い。

 2月何日かの今日も、露出して冷えた手足の先を小さな四角形の陽溜まりで温めていた時。

 ドンドン、ドンドン!

「どうぞ」

 あのVRこと記憶確認機をつけて以来、来客というのが無かった上、こんなにも荒々しくノックする人がいなかったので正直驚いた。驚きながらも応え、ガチャ、キィとドアを開けて入って来たのは。

「…!神志那⁉︎」

 どうしたの?なんで来たの?なんで来れたの?

 そんな質問が次々と頭を巡るが、何一つ口に出来ない。希望と安心感と罪悪感が綯交ぜになって一筋の線を頬に作る。反対側にもできる。

「だ、大丈夫か?」

 ドアを静かに閉め、私に寄っていつかのように背中をさすられる。そうされると溢れたものが止まらなくなって、永遠ループでずっとそうしていそうだから、頷いて大丈夫だと言う。大丈夫じゃないくせに。

「…さい」

「え?」

「ごめんなさい」

 自然とその言葉が出てきた。綯交ぜた物の中からその言葉をそのまま取り出すように。

「私が2月21日を繰り返さなかったら、神志那はこんな事に巻き込まれなかったのに。私が黄泉国に行くなんて言わなかったら、こんな事にはならなかったのに。神志那は、私のせいでこんな目に会って、被害者にしてしまって、ごめんなさい」

 頭の中は入り乱れていて、自分でも何を言っているのかわかっていない。それでも伝われば、そう思っている自分が醜くて、更に零れ落ちる物をそのままにしてしまう。

「違う」

「え?」

 こういうものは、黙って聞いているだけの神志那だと思っていた。唖然として見上げた顔は、真剣だった。

「朝比奈だけが悪いんじゃない。朝比奈が緋志だからって訳でもない。俺だって悪かった。過去の俺も悪かった」

「…あ、はは、そっか。そっか。2人の行動の結果か。そっか」

 また項垂れて視界がボヤけるのを感じている。そして、ふと思い立ったように聞いた。

「神志那は、何で来たの?」

 二通りの意味。何故、来たか。何故、来れたのか。それにどっちを応えるのか。少し見てみたくなった。

「俺も誰かの転生した魂の持ち主だから」

「答えになってない」

「ここの監視カメラとかは、死んだ魂にだけ反応する。だからここに来るのはそう難しくない。俺らは、生きているから」

 生きているから。その言葉が、ストンと私の中に落ちて、今の意味をもたらせた。そんな気がした。こんな密閉された部屋に四六時中いて、自暴自棄になりかけていた。何かへの罪悪感に押し潰されそうだった。どうでもいいやって思っていたのを、一蹴してくれた。

「助けに来た。助かる方法も、ある」

 まだ、生きよう。朝比奈望桜として

☆ ☆

「それで、どうするの?助かる方法って」

 走りながら神志那に聞く。角で止まって周囲を確認する。定期的に彷徨うろついている使者がいないか確認しながら神志那は応える。

「朝比奈、あの願の呪ってヤツあるだろ」

「うん」

「朝比奈が使ってた奴だけ特別で、誰にでも使えるらしい」

「うん、そうだよ。記憶確認機とかいうやつで見た」

 通り過ぎる使者をやり過ごして、再び走り出す。

「何それ。まぁいいや。それを使うんだよ」

「え?」

「願うんだよ、また。今度は、全てを」

 訳がわからないけど、これは神志那に任せよう。もうすぐ出口だ。

「これをどう突破するか…」

「え⁉︎門番を突破する方法考えて無かったの?行きはどうやって来たの?」

「真瀬に手伝ってもらって…真瀬、ここで働いてた事があったらしいから、世間話に門番が花を咲かせているところをこっそり…」

「………」

 真瀬今いないよ。どうするの、これ。門番の視線をどうにか出来ればと思うけど、小石じゃうまく出来ないし。私と神志那が思い悩んでいた時。

「よお、縹衛」

「お前か、久し振り」

 縹衛もここで働いてたんだ…。それより、門番から話し掛けていいの?普通に2人とも談笑してるし。ここの制度、何かと不安なんですけど…。まあ、いいや。

「行こう」

☆ ☆

 私達は肩で息をして、あの境内にいる。さっきくぐった鳥居は、相変わらずの壮麗さで、目の前にある賽銭箱は相変わらずのオンボロさ。ここは、私達がいた現世への裏口。つまり、神志那がしようとしている事は、私と同じって事。

「何を願うかは任せるけど、これだけは覚えて置いて。この願の呪は、膨大な力が必要なの。私が無事だったのは、やり直した最初の時刻が、寝ていた時刻だったから。私は朝からやり直したいって思ったから、そうしたの。自分の体力が足りなければ、死ぬ。過去の緋志が良い例でしょ」

 脅すように言ったのに、神志那は笑った。優しい笑顔を顔に浮かべて、言う。

「大丈夫。心配ない」

 その優しい笑顔に惹きつけられて、自身の名前を呼ばれて初めて神志那の顔を見詰めていた事を自覚する。恥ずかしくなって、顔を背け、違う話題を考えているとふと何かに気付いたようにこれ、と神志那が懐から狐のお面を差し出す。

「真瀬から預かって来た。これ、緋志のだから渡してくれって」

「ふぅん」

 別に、興味も何も無い。私は朝比奈望桜であり、たとえ前世が緋志という人であっても関係ない。私は私だ。しかし、真瀬から何かを貰うのはこれできっと最後だし、前世の緋志がきっと望んでいる、私が狐面これを受け取る事を。

「…!」

 何、今の。受け取ろうと狐面に触れた瞬間、何かが私の中に入ってきた。否、湧き出てくる様に、何か大切な思い出をようやく思い出した様に。抵抗はある。けど、受け取らないといけない様な気もして、今度こそ私の両手で持つ。すると、先程のような衝動が私を襲う。

 事実は知っていた。知らされていた。でもそれは、他人事であり、ふぅんの一言で済ませられる事だった。事実に感情が伴わなかった。自分が緋志だと自覚しても、自分と緋志は全く別の人物だと思えていた。けれどこの狐面は、全てを語る。全ての緋志の感情を繊細に鮮烈に。事実と感情が結び付く。走った時の息苦しさ、足の痛み、全身の疲労感、そしてあの人への強い想い、どこか懐かしい恋愛感情。

「朝比奈?」

「え?」

 一瞬、神志那があの人に見える。いつか恋焦がれたあの人かと。

「大丈夫?」

 ハンカチが無いのか、自身の袖で頬をなぞる涙を拭いてくれる。それがなぜか、もっと泣いてしまいたい衝動にかられて、溢れ出てくるものが上手く我慢出来なくて。神志那が困った表情になる。なんとか泣き止んで、口を開く。震えて細い声で。

「神志那は、自分が誰の転生なのか、わかってるの?」

「仮定だけど、あおき千馨夜ちかやって人らしい」

「…やっぱり」

 自然と顔が綻ぶ。知ると、余計に千馨夜に似て見える。やっぱり、あの人は碧 千馨夜で、この人はその転生。顔だけじゃない、言動の一つ一つが酷似している。

「じゃ、ハイ。簪。願うんでしょ」

 今度は私があの簪を差し出すが、不思議そうな表情をして、簪と私を見比べている。

「座敷童子の願の呪は、物を通して願うと上手くいきやすいの。だから、この簪を通して願うと、神志那への負担も少なくなるかもしれない」

 そっかと受け取ろうと伸ばされた神志那の手は簪に触れるや否や、引っ込められる。

「神志那?」

「あ、いや、なんでもない」

 神志那の目は一瞬、縮められた。何かに気付いた様に、何かを思い出した様に。私があの狐面に触れれば思い出した。それと同じ様に神志那もそうならば。

「神志那も?神志那も、これに触れれば何かを思い出すの?入り込んで来るっていうか、湧き出てくるっていうか。そんな感じで」

 聞くと、図星と言わんばかりの表情。でも、何の反応もない様に何も言わない。私は彼が碧千馨夜である事の確証がほしい。けれど彼自身がそれを望まないのなら、それはそれで構わない。どうするのか期待の目で見て詰めていると、躊躇うように私の手の中の簪を受け取った。

☆ ☆

「我がねがいを届けしを。」

 神志那の緊張した声が境内に響く。私のとは違い、低く落ち着きのある声。

「彼女未来でこうなるに、身を捧げんとここに誓う。」

 …え?

 この形式の願の呪は、確固たる名を決して使わない。願う本人の力をあまりにも出し過ぎてしまうから。それに、この形式を使うのは大体自分自身についてだから『我』で通じる。でも、ここでいう『彼女』というのは。

 私のそんな心を知るか知らずか、神志那は言葉を紡ぎ続ける。

「我が願が聞かれしを。彼女幸なるまで二月きさらぎ繰り返されたり。我が魂を捧げんとここに誓う。」

 先程、私が軟禁されていた場所の方角あたりからサイレンが鳴ったのが聞こえた。きっと、私が逃げた事が知られたんだ。それなら街には使者がいて、私達を探してる。ここまで来なけりゃいいけど。

「神に届くはこの願。我が願が聞き届けられんと欲す」

 私の心配とは裏腹に、無事に願い終えたと思った時。ザ、と砂利を踏む音が聞こえて。

「また、ここにいたのか」

「…真瀬」

 真瀬は真顔で私達を見る。真瀬が私達に何をしようが、神志那が願った事は実行される。

「願ったのか、もう」

 あの時とは違い、躍起な雰囲気は微塵も感じ取られず、諦めたような感じがする。

「うん。まもなく実行される。何か言うことでもある?私、忘れてしまうかもしれないけど」

「…その、悪かった」

 しばらく逡巡して真瀬は言った。初めて聞いた、彼のこんな弱々しい声はそのまま、この澄み切った2月の空気に溶け込んでしまいそうで。

「お前の恋心を利用して、お前の前世に囚われて、座敷童子に戻そうとか考えて、悪かった。お前は、お前だ。朝比奈望桜としてじゃなく、座敷童子の緋志としてずっと見てた」

 忘れたくない。こんな惨めな失恋だって、大切に思い出にしておきたい。なのに、私はこれも忘れてしまう。ビデオテープにしても、ボイスレコードにしても、これはなかった事になってしまう。初めて聞いた真瀬の本心こえ。サヨナラを私から言えていなくても、満足が行かなくても、私の幸せな記憶通りの真瀬は、私の記憶の記録から消え去ってしまう。

「いいよ、別に。その時になったら、また言ってくれればいいよ」

 ショート寸前の私の思考回路は訳の分からない事を言わせた。

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