望桜と呼ぶ事と記憶
「朝比奈の事を『望桜』って呼んでやってくれないか?」
「真瀬」
薄暗く、埃っぽい地下の重要書庫で、真瀬は大真面目な顔をして言った事は、先程と同じ。それを俺は低い声で制した。
「いや、これはマジで真剣な頼み事だ」
落ち着け、と言う風に両手を動かす。流石に俺があそこまで怒りをあからさまにしたからか、少し腫れ物に触るような扱いに感じる。仕方ないか。
「神志那、朝比奈の事が好きなんだろ」
「ち、違う!」
自然と顔に熱が集まる。
「嘘つけ、顔が紅い。それに、教室でも朝比奈の事しょっちゅう見てたし、ほら、あの廃神社にも行ったのだって、そうだからだろ?」
「……俺、好きとか、恋愛とかわかんねぇし」
真瀬は少し驚いた顔をしたかと思うと、すぐ側の本棚に拳を当てて堪えたような笑いを漏らし始めた。
「神志那、お前マジか……ククッ…マジか…純粋かよ」
何がそんなに面白いのか全くわからない。真瀬は本当、訳の分からない事ばかり言う。
「ハァ、ったく。じゃあ聞くが、お前は朝比奈の事を可愛いと思うか?」
「は?いや…えぇと…」
「正直に答えろ。お前の分からないを分かるに変えようとしてんだから」
真瀬が、優しい(?)
「お、おう」
「それで、可愛いと思うか?」
「……うん」
どういうところが可愛いと思うか、朝比奈の事を知らず知らずのうちに考えている事はあるか、朝比奈の為に何かしたいと思うか、などなど、質問責めにされた。その質問全てに正直に答えないといけないものだから、顔が紅くなってしまうのを質問の度に自覚して、恥ずかしくなる。しかも真瀬はそんな俺を面白がるような感じだし、タチが悪い。さっきの感動返せ。
「うん、やっぱお前、朝比奈の事『望桜』って呼んでやってくれ」
「真瀬、いい加減にしろ」
「いいや、これはマジで本気だ。流石の俺も罪悪感が全く無い訳じゃない。それで、お前なら、朝比奈を笑顔にする事が出来る。俺と一緒にいた時は、いつも頑張って作った笑顔だった。朝比奈の本気で笑った顔を見た事が無い。緋志としてでは一度だけあったが、朝比奈望桜としては、たった一度も…。目的第一の俺には無理だから、お前にして欲しい。向こうの手に渡った以上、俺は向こうに乗り込む勇気も何も無いから、ここで終わりだ。だが、そんな勇気のある神志那なら、出来る。向こうに乗り込んでまで、朝比奈の役に立ちたいのなら、笑わせてやれ。笑顔は幸せを呼ぶ、最も単純で簡単で複雑な鍵だからな」
真瀬らしくない。諦めて、それを誰かに押し付けるような、真瀬ガレンじゃない。
だけど、確かに俺のやりたい事、してあげたい事を的確に指摘されて何も言えず、目の前で泣いているように目を細めて俯く、綺麗な顔を見詰めていた。
☆ ☆
「おはよう、あけちゃん。もう起きて願の呪を唱える時間だよ」
私を覗いて起こすのは、ガレンに温かな眼差しを送られていた、おさげの少女。
「おはよう」
VR、リアル過ぎる。私の声じゃない。こんな高い幼女の声じゃない。VRのリアルさに驚きつつ、起き上がる。今、私は緋志の記憶を見ていて、つまりはガレンの弟子の1人。
「万智歌ちゃん、あけちゃん起きた?珍しいね、あけちゃんがお寝坊なんて」
「そうだね」
2人は呑気に喋っているが、そんな余裕はない。早く支度をして、師匠が来る前に願の呪の練習を終わらせなければ。
☆ ☆
日がもう直沈もうという頃、私は殆ど人のいない庭で1人、考え事をしていた。手元の簪を大事に両手で持って、それを見詰めながら。
あの人には、もう会えないと告げられた。許されないっていうのも、バレたら殺されるって事もわかってる。私に生きていて欲しいから、あの人はこの手段に出た。でも私は、あの人に会いたい。けど、座敷童子とじゃ、無理だよね。どうすれば…。こんな事、万智歌にも言えない。万智歌は、同じくらいの成績のライバルであり、1番の友達てある。だけど、こればかりは流石に言えない。万智歌は私よりも真面目だから、師匠に絶対言わないとは言い切れない。だから、万智歌にそんな事をさせて険悪な仲にはなりたくないから、後ろめたい事、疚しい事は絶対しないって決めてたのにな。
…そういえば、師匠が絶対開けるなって言ってたあの金庫、あれにお金になる物は入れてないって言ってたけど、何が入ってるんだろう。大切な本は師匠の家に所蔵しているし、けど、大切だけど願の呪についての本なら、ここに置いてある。もしかして、願の呪について書いてあってすごく大切な本かも。
明日は、待ちに待った門出の日。晴れて一人前の座敷童子として働くのだ。願の呪の本が読みたい。必要な物からあまり使わないものまで覚えている。その本に書いてあるものだけ覚えていないというのが、気持ち悪い。そんな事から、今までに自分とした約束を私は破ってしまった。
…この金庫の暗号は。あぁ、もう。なんでこれがデジタルなの!アナログならすぐに解けたのに。
『garen』『manase 』『manase garen』『garen manase』『0224』『真瀬雅攣』『マナセガレン』『まなせがれん』
どれも違う。思い当たるものを片っ端からやってみても、どれも合わない。師匠はこういうのを考えるのを面倒臭がる人だから、こういう物だと思うんだけど…
「あぁ、もう!わかんないよ!」
ーーーガチャン!
あ、開いた。苛立ちで適当に『真瀬ガレン』って打ったら開いた。やっぱりあの人は面倒臭がりだ。弟子に解けるような暗号にするなど、弟子として少し心配になる。だけど、それはどうでもいい。金庫の扉を開けると、とても薄い本が一冊。幼い子供向けの本のように薄い。これが金庫に入れる程大切な物なのかと思うと、残念さは微塵も感じられなかった。
サッと懐に忍ばせ、お手洗いへ向かう。誰の目にも触れずに読まなければ。こんな薄い本は、ここの本棚に無い。あまり進んでしたい事でもないが。個室に入り鍵を閉めると、バッと本を広げる。どのような願の呪が載っているのだろう。胸が高鳴って吐き気がする。
それ以上の胸の高鳴りを知らずに、私は文字を夢中で追う。
遥か昔、生きる人々のために大成された願という呪。これは時代が経つと共に増え、今日は100あまりの願の呪が存在する。これを全て体得した者はいない。その中でたった1つ、公開されない、公開されるべきではない願の呪がある。それが唯一、誰にでも使える願の呪である。現在では、座敷童子でないと願の呪は唱えられない。しかし、これは座敷童子であってもなくてもどちらにも使える。これにその願いに合った古語を入れ、“黄泉国の裏口”で唱えれば叶う。しかし、膨大な力が必要でこれにより死した者、また、国の存亡の危機にまで持ち込んだ者が数多く現れ、非公式にされた。
簡単にまとめるとこういう内容だ。
…これなら!これなら、私はあの人と一緒にいられるかも。いや、無理。国を存亡の危機にまで持ち込んでまでする事じゃない。私は、平和かつ穏便に願いたい。叶えたい。でも、どうすれば、私はあの人と一緒にいられる?どうすれば…
死んでも一緒にいたいか
きっとこれの答えが、今の迷いの答えだ。答えは、Yesだ。決まったからには、すぐ行動したい。今しか覚えていられないような、細か過ぎるような事を忘れてしまわないうちに。
再び懐に本を忍び込ませ、個室を出て手を洗う。そして、お手洗いを出る時、おさげを揺らしてこちらにくる万智歌とすれ違った。
「あぁ、いた!あけちゃんあけちゃん、もう狐面の配布始まるよ。私はお手洗い済ませたら行くから、先に行ってて」
「わかった」
万智歌ちゃんが口早に言ってドアの向こうへ消えた。
狐面とは、一人前の座敷童子として師匠の元を離れ、仕事をする為に師匠から手渡しされる狐のお面。いわゆる卒業証書みたいな物。そのお面を師匠が手渡ししている部屋に行くと、別に厳粛とかそんな雰囲気はなく、わちゃわちゃとして和やかさで満ちている。泣く子もいず、むしろ歓喜の声が絶えない。私も、狐面を受け取ろうと師匠の周りに出来上がっている群れに入る。万智歌ちゃんが来て、彼女の次に貰うと早速群れから離れてつけようとしたが、うまくいかない。万智歌ちゃんも同じようで、お面の付け合いっこをした。白地に赤のアクセントのあるお面。みんなお揃いのお面をつけて、明日の朝一でここを出る。
それに、私は参加できるのかな?
ふとそんな事が頭を過ぎる。これから私がしようとしているのは、それくらい危険なんだ。でも、同時にそれくらい叶えたい願い。立派な座敷童子になる事より、実現させたい事。
「ごめん万智歌ちゃん。明日の門出の準備、もう一度だけ確認して来てもいい?」
「んもう、大丈夫だよ。私と一緒に確認したんだから」
「もう一回だけ!」
「仕方ないね〜。早く戻ってきてね!集合写真には間に合ってよ」
「うん」
門出の準備はもう3回はしたから、心配ない。私はそんな口実でその部屋を出た。集合写真まで、多分あと45分くらい。指定の場所に行くには、頑張れば片道20分。間に合う。
私は玄関で自分の下駄を引っ掛け、その指定の場所へ駆け出した。
☆ ☆
指定された“黄泉国の裏口”とは、町外れにある廃神社のこと。まだ人の数が少なかった頃は、そっちから死者の魂がここに来ていたが、時が経つにつれ人は増えていき、その入り口からでは処理しきれなくなった。だから、今使っている入り口はもっと大きな神社で反対の方角にある。廃神社の方は未だ現世と繋がっている事から、“黄泉国の裏口”とも呼ばれている。
息を切らせて目的に向かう。
走って走って、暑い。けど、冬の冷気で足首は冷たい。一心不乱で暑いのか寒いのかよくわからない。
ーーどうでもいいじゃん。
痛い。踵が痛い。走って走って、親指の間が痛い。足が怠い。
ーーどうでもいいじゃん。
あぁ、嫌だ。着物がズレ始めた。思いっきり走ってきたせいだ。
ーーどうでもいいじゃん。
走っているうちに湧いてくるように出てきた不満をどうでもいいの一言で一つづつ蹴り飛ばしていく。
ーーどうでもいいじゃん。願うんでしょ。“黄泉国の裏口”で。
☆ ☆
「そこまでだ。残念だったな。」
「…!」
願っている時に合掌していた手を離すや否や、口元が大きな手で覆われた。大きくて暖かい、私が尊敬した人の手。その手がこれ以上願の呪を唱えないように口元を覆っている。それが何か気持ち悪くて抗いたいのに、突然力が抜けて膝から崩れ落ちるのをただ認識するだけ。ダンッと地面に体を強かにぶつける。痛い。
フっと嗤って私を見下し、師匠が立ち去るのを感じた。そのまま、私は夕焼けの闇に淡い光となって吸い込まれていった。受け取った狐のお面に傷をつけなくてよかったなって、でも、座敷童子になれなくて、残念だなって。思いながら、自分が消えていってしまうのを感じていた。
☆ ☆
『記憶確認機を外して下さい』
その文字を読み、私はVRを外す。
「どうだい、心当たりは?」
「…ありません」
私をここに連れて来たあの男が部屋に入って言った。それにさらっと私は嘘を吐いた。“一体、これは誰の記憶なの?”といった表情をして。自分自身に思い込ませるように。
「…なんだと?」
男が小さく呟く。そんな事を言われても、心当たりがなければ、ないんですよ。
「お前は確かに緋志の転生だ!なのに!おい、心当たりがないというのは、うそだろ?」
「いえ、事実です」
「嘘だ」
「本当です」
そこまでして、私を焼刑にしたいのか。
その男に私はしばらくの間“私は嘘なんて言ってません。私に本当に心当たりなどございません。”の純粋な視線を送り続けると、観念したように私を部屋に戻すように男は自分の部下に言った。
☆ ☆
部屋で、私はまたあの小さな四角形の陽溜まりを見詰めて考えていた。私は、本当に緋志の転生なんだと。そして、緋志も望桜も恋心から非公式の願の呪を使ってしまったんだと。あの願の呪が非公式だなんて知らなかった。しかも、緋志が想いを寄せていたのは、ガレンじゃなかった。チラッと彼女の記憶に見えたけど、あれは確かにあの人だ。
ーーー神志那 葵貴
まさかね。




