日常というちょっとした休息
…………。
朝ですか……。
ヘッドギアにセットしていた時刻通りに、私は目を覚ましました。頭に取り付けている機材を取り外して、大きく背伸びをします。……今日の講義は昼前からですね、朝ごはんを食べてからゆっくりと外出の準備を致しましょう。
寝惚けた目を擦りながら今日の予定を確認した後、私は自分の部屋を出ました。
……。
はぁ、ホントに動きやすい『ポロラ』の身体が羨ましいです。
好きでこんな身体になりたかった訳じゃないんですけどね。他人から言わせれば羨ましいらしいですけど、男に喜ばれて何が嬉しいのやら。
「あっ、おはよう、チヨー。今日の朝ごはんは何ー?」
リビングに行くと、一番羨ましがっている身近な人が椅子に鎮座しておりました。姉です。慎ましい見た目をしております。
身体的な外見はともかく、姉として威厳のある姿をしていてほしいのですが……、目の前にいるパジャマ姿のアルバイターを見ると、私の口からはため息しか出てきません。
はぁ……姉さん、そうやって私を成長させてくれるために、わざわざだらしない生活をしなくてもいいんですよ? この家の家事位なら、もう私一人でなんとかなりますから。
どうぞ安心してさっさとお嫁さんに行ってください。そして姑から家事ができなくて嫌味を言われると良いでしょう。
「……あーあ、どうしてこんな風に育っちゃったんだろうねー……。コウくんは真っ直ぐに育ったはずなのに……草葉の陰でお母さんが泣いてるよー……」
コウくんというのは私の弟の事です。毎週私に読んでいる途中のジャンプを没収されてしまう可哀想な男子高校生ですね。読み終わったら返してあげてます。
ハイハイ、ひねくれていてすいませんね。
お詫びに今日は好きなものを作ってあげましょう。朝ごはんは何がお望みですか? 千代子ちゃんが冷蔵庫の余り物で何でも好きなものを作ってあげますよ?
「え? ……やったー! じゃあお姉ちゃんは天ぷらを所望しますー! ちくわの磯辺揚げでいいよー!」
意気揚々に手を上げて姉さんはそう言いました。
朝っぱらから揚げ物という処理の面倒な物を要求する彼女に対し、私はニッコリと笑顔を見せてあげます。
……焼き魚と生卵、最後にホウレン草のお浸しですね? いやー、簡単な物ばかりで助かりますよ。ささっと用意しますね?
壁に掛けてあるエプロンを取って身に付けると、姉さんは慌てたように言いました。
「違うよ!? それチヨの好きなのじゃん!? お姉ちゃんに聞いた意義は!?」
はい?
決定権がどちらにあるかなんてわかりきった事でしょう? 姉さんは何年私の作った朝食を食べているんですか?
朝は私が作りやすく食べやすい物と決まっているのですよ……。
という訳で、私は朝ごはんを作ります。早くコウくんと父さんを起こしてきてください。早くしないと姉さんもお仕事に遅れてしまうでしょう?
「ぐぬぬー……、お姉ちゃんだってその気になればそのくらいできるのにー……」
後ろから悔しそうな声が聞こえてきましたが、気にしてはいけません。何故ならば……。
この食生活を支えているのは私なのですからねぇ……! ククク……!
私はそうやってほくそ笑みながら、静かに揚げ物の準備を始めたのでした……。
あ、今更ですけどリアルのお話ですよ?
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講義! 昼食! 講義! バイトぉ!
いつものルーティーンを難なくこなし、私は帰路へ付きました。途中で姉さんの車に拾ってもらったので楽チンです。……いつもすいませんねぇ。
「いいんだよー? なんだかんだ天ぷらつくってくれたしー、お姉ちゃんは朝からご機嫌なのだー!」
そう言う姉さんはニコニコ顔です。
まぁ、私は姉さんが嫌いな訳じゃないですし。それに母さんが亡くなってからは、家族皆で協力しあって生きてきましたからね。
少しでも母さんの分まで幸せになれるように、私達は頑張っているのですよ。
「あっ! そういえばー、お姉ちゃんが買ってあげたゲームの方はどうー? 楽しんでるー?」
……え、ええ。ボチボチです。
ちゃんと周りの方の迷惑にならないよう、常識と良識に基づいて楽しくプレイしております。何も問題はありません。
「そうなのー? なんかインターネットで調べたら、ぴーぶいぴー?っていう血を血で洗うような……こんてんつ?が盛んなー、未成年がやっちゃいけないゲームって書いてたんだけd……」
気のせいですよ! 姉さん! それと私は成人しております!
私は嘘を付きました。実際は血みどろです。……この人教育に悪いと思ったら、即刻排除しようとするんですよね。
コウくんがエッチな本を取り上げられて泣き叫んでいたときには、見ていて涙が止まりませんでした。あれは私の腹筋を壊しにかかっていたとしか思えませんでしたよ。
そういうことがあったので、せっかくもらった楽しみを奪われないためにも、私はとぼけ続けるしかないのですよ! ……ところで、今日食べたいものとかありますか?
「夜もいいのー!? じゃあハンバーグー!」
追撃で機嫌もとっておきましょう。
わかりました。朝は天ぷら出しちゃいましたし、普通のハンバーグだとバランス悪いので、ヘルシーな豆腐ハンバーグにしますね?
「えー? お姉ちゃんは普通の肉汁滴るチーズハンバーグをお望みでーす。大人しく言うことをききなさーい」
……なんか大豆のイソフラボンは女性ホルモンの代わりになって、摂取すると綺麗になるらしいですよ?
もしかしたら姉さんも起伏のある身体に……。
「今日の晩御飯は豆腐ハンバーグに決定。今日から飲む豆乳も買うから」
チョロい。
顔付きを変えた姉さんは車のウィンカーを点灯させ行き先を変更しました。このままスーパーにでも行くつもりなのでしょう。
分かりやすい姉で助かりますよ。それに普通にハンバーグ作るより安上がりで大量に作れますからね。明日のお弁当にも入れれますし、私のお財布にも優しい……。
「……あ、ゲームの話で思い出したけどー、お姉ちゃんとの約束覚えているよねー? ちゃんと探してるー?」
ああ、その話ですか。もちろんですよ?
……実のところ、当時お金がなかった私にフルダイブのVRゲーム機というのは、どうあがいても手の届かないものでした。
そこで姉さんに泣きついたところ、直ぐにオッケーを出してくれたのです。やったぜ。
けれども、この人は一つ条件を出してきました。ハッキリ言って絶対無理だと思うような内容でしたが……。
目先の欲に駆られた私はなにも考えずに承諾してしまったと言うことです。
「お願いねー。どうしてもあの後どうなったか気になるのー」
ハイハイ、わかっていますよ。
あんまり期待しないで待っていてくださいな。
「わかったー。楽しみにしてるよー、チヨー」
そう言って姉さんは笑っていました。
……。
実のところ、目処は付いてるんですけどねぇ、もう少し確証が欲しいというか、なんというか……。
まぁなんとかなるでしょう。
私はゲームを楽しめればそれでいいですからねー。
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帰宅! 調理! 夕食!
あ、コウくん、お皿洗っといてくださいね? お姉ちゃんの言うこと聞かないと、明日のお弁当は日の丸ですから。
わかりましたね?
お風呂! 洗濯! 皆の洋服のアイロン!
ヘッドギア装着!
それでは早めに……おやすみなさい!
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という事で、私は今日も元気にログインしました。
昨日は『色欲』の邪神とか真理の『ディリヴァ』とかのせいで街が吹き飛んでしまいましたが……大丈夫です。これはゲームですから。
時間を置けば元あった街は勝手に再生してくれるのが、このゲームの良いところです。……話を聞いた限り、街のNPCさんは復活しないみたいなので寂しいですけど。
でも『クラブ・ケルティ』は元通りのはずです。利用できる期間も残っていますし、最後まで有効活用させてもらいましょう。
……そう思っていました。
実際には、私の目の前に映った光景は昨日と何ら変わらない瓦礫の山でした。……あ、あれ? ちょっとログインするのが早すぎましたかね?
私の計算ミスでしょうか? 仕方ありません、まだ残骸が残っていないか探して時間潰しをしましょう……。
「ぽ、ポロポロ! 大変! 大変だよ!」
名前を呼ばれて振り替えると、そこにはペストマスクを外した師匠が走って来ていました。
よほど緊急事態なのか、目をグルグルさせております。
どうしたんです? というか師匠、それだと正体バレちゃいますけど?
私はそうやって茶化しますが、師匠はそれどころでは無いようで話をつづけました。
「再生していないんだよ! この街も、コルクテッドも、ビギニスートまで! 邪神にやられた部分がどこもかしこも! どうしよう!? このままじゃこのゲーム、ホントにおしまいだよぉ!」
……おおっと?
どうやら邪神の被害は私達が予想していた以上に深刻なものであったようです。
ディリヴァを倒すという私の目標は変わりはありません。
けれども、あまり時間をかけてはいられないみたいですねぇ……。
・豆腐ハンバーグ
「あ、うちの豆腐ハンバーグはお肉の変わりにシーチキンを使っています。お肉より安いですし、美味しいですしね。ソースをそれっぽくすればいい感じですよ? ……え? お肉が食べたい? 男子高校生の胃袋を満たすには、こうするしかないんですよ……」 byポロラこと千代子




