新作発表
それからしばらく怒涛の勉強生活が続いたのち、冬に大学入試が終了し、私もAも希望の大学に進学しました。Aは結局高校時代に自分のやりたいことを見つけることができず、就職に有利そうだからという理由だけで商学や経済学部を中心に受験し、最終的に一番偏差値が高くて名の通っている大学に行くことに決めたようでした。交換日記でお互いの日常をつづる日々はまだ続いていましたが、卒業後は会う機会もなくなってしまうだろうということで、最後の一ページを私が書いてAに渡して終えることにしました。大学に行ってもお互い頑張ろう、と当たり障りのないことを書き連ねて、例の長編小説ができたら持っていく約束を最後のフリースペースに書いておきました。
入学してから大学一年生の終わりまでの日々は、夢のように早く過ぎていきました。大学でも小説が書けるようにと文芸サークルに入部しましたが、その原稿と並行して、Aへの長編小説も書いていくのはかなり大変でした。しかし、夏休みに入る直前にその小説を何とか書き終えることができ、期待に胸を膨らませてAの家へと届けました。長らく時間が空いてしまったのでAが出てきたら玄関先で立ち話でもしようかなと考えていましたが、たまたまAはその時不在で、代わりに専業主婦であるというAの母親が出てきて原稿を受け取ってくれました。
「あなたね、いつもAが話している××ちゃんっていうのは」
Aの母は自分の娘の話題の人物をようやく把握できたことを喜んで、人当たりのよさそうな柔和な笑みで私を迎えました。長らく付き合っていましたが私がAの母を見たのは、その時が初めてでした。
「Aさんに高校時代大変お世話になりました。よろしければ、彼女にこの原稿を渡してください。約束してたもの、と言えば、わかると思います」
「まあ、ありがとう。最近あの子ずっと、あなたから受け取った小説を読んでいるみたいなの。やっぱり面白かったんだ、って言ってね。相変わらずたくさんお書きになってるのね」
手渡した原稿を受け取って、Aの母は穏やかに言いました。昔渡した原稿をまたAが読んでいるという話を聞いて、私は俄かに誇らしい気持ちになり、ありがとうございます、と頭を下げました。特にそれ以上用事もないので、私はAの母に会釈し、その場を立ち去ろうとしました。が、そこでAの母が、あ、ちょっと待って、と私を引き留めました。
「はい、なんでしょう」
振り返るとAの母は真剣な目でこちらを見ていました。いつかAが私に、自分の力が衰えたのを話した時の目にそっくりでした。
「あの、変なこと聞いて申し訳ないんだけど、このあたりで……いいえ、県内でも隣の県でもいいわ。いい眼科知らない? できたらなるべく、難しい治療も請け負ってくれるようなところ」
Aの母の声は震えていました。溺れる者は藁をも掴む、とはよく言いますが、まさに難破しかけの船の客が添乗員に脱出の方法を尋ねるときに出しそうな、力の弱い嘆きのようでした。なぜそんなことを聞くのだろう、と思いましたが、私が分厚い眼鏡をつけていたからでしょう。近頃高校時代に輪をかけて目が悪くなり、町の眼科医からそろそろ別の病院でも見てもらった方がいいかもしれないと、診断書をもらったばかりでした。その眼鏡を見て、もしかしたらAの母も、そろそろいい歳だから、目の検査をした方がいいと思ったのかもしれません。
「県の南の方に網膜の手術までしている大病院があるそうです。この町の眼科は検査だけですが、そこに行けばかなり本格的な治療が受けられると思います」
知っていることをそのまま話しただけですが、Aの母は花が開いたようにぱっと明るい表情をしたのち、ありがとう、と礼を言いました。私はAの母に紙とボールペンを持ってきてもらい、その病院の名前を書き渡して家に帰りました。
原稿を届けてから数日、Aから何らかの反応があるかと思って自宅にいるときは胸が騒がしくて仕方がなかった私でしたが、ひと月経っても何の連絡もないのを知ると、いよいよAもあの分量に参って読む気がなくなったのではないか、と疑うようになりました。何せ二百枚以上の枚数があるので自分で読むのはともかく、人に読ませるのは大変な量です。いくらAといえども、あの量を読むのはなかなか億劫なはずです。同時に長編小説を書きあげた高揚感が徐々に薄れていき、改めて書き終えた小説を手にとって読んでは、この表現はもっと別の書き方ができなかったのだろうか、ここの部分は全体の構成からすると不必要な部分だったのではないかと欠点ばかりが目立って見えるようになり、もしかしたらAはこの小説を読んであまりに稚拙だったから感想を伝えに来る気にもならなかったのではないかとも考えるようになりました。手渡した時のAの母の話では、Aは私の小説をずっと読んでいるとの事だったので、その長編が読まれない可能性よりは、読んで失望された可能性の方が高そうだと思ったのです。
Aから感想をもらうのを諦めかけた私は、今度はその小説の目立った箇所を推敲していく作業に徹しました。書いているときはもちろんベストを尽くしたつもりでしたが、読者のつもりで粗探しをしていくと想像以上に修正の必要が多く思えてきて、浮かび上がってきたそれら修正箇所を何か月もかけて丁寧に添削していきました。一つの小説にこれほど時間をかけたのはおそらくこれが最初で最後だと思います。いうなればただの自己満足だったのですが、時間をかけた割にその小説が誰にも読まれなくなるかもしれないのは何となくさみしくて、どこかで発表できないだろうか、と考え、翌年春が締め切りの文学賞に落選覚悟で投稿しました。文芸サークルの部誌に乗せるのも考えたのですが、生憎枚数が増えすぎていたので他の部員の迷惑になりそうなので止めました。
けれどもそんなことをしていても、私はまだ心のどこかで、Aがこの小説を読んで何らかの返事をくれることを期待していました。どんな酷評でもいい、どんな投げやりな感想でもいい、とにかくAから何かの反応があれば、私はそれで満足できました。そしてその待ち望んでいた小説の感想は、思いがけない形で私の元に届いたのです。