三題噺
日々与えられるお題の内容は、その日のAの気分によって異なりましたが、どれもこれといった共通点がなく、作品内で登場させ、結びつけるのが難しいものばかりでした。ある日は、ファイル、髪の毛、電源コード。またある日はトンボ、サンバ、時計の秒針、ボールペン、留守番電話。壇ノ浦の戦い、キーボード、海。テニスコート、チュニック、桃。シャンプー、学校の怪談、黄砂、空飛ぶさんま、なんてときもありました。これらのお題に、一日で必ず起承転結をつけて小説を書き、Aに提出し続けられたのはまさに若き発想力の賜物であると言えるでしょう。今の私にそんな芸当ができるかどうかはわかりません。少し練習してあの時の感覚を思い出せば出来ないこともないかもしれませんが、今はもう、それをしたところで自分に意味があるとは思えないので、そうして楽しく物語に頭を悩ませていた頃と比較すると、自分も落ちぶれたなあ、などと自嘲して見せるのです。
Aとの交換日記は、お題小説が始まってからもずっと続けていました。ほぼ毎日書いていたので一冊終わりまで行き、新しいノートを買い直しました。事実上、私は交換日記とお題小説の両方、加えてもちろん学校の宿題も毎日こなさなくてはならず、学校から帰ると一日中机に向かっている子どもになりました。毎日、明日こそAを驚かせてやろう、明日こそAが楽しんでくれるような話を書こう、とそればかり考えて鉛筆を動かしていました。手を動かしていたため漢字は必然的に書けるようになり、漢字テストでは毎回ほぼ満点、母には「××ちゃんはよく勉強する子だねえ」などと褒められましたが、それは目的のための手段にすぎません。そんなことより、私に課題を与え、私の話を唯一読んでくれている読者に如何に面白い、如何に楽しい、如何に美しい物語を届けるかのほうが、よほど重要だったのです。
そうしてAと交換日記とお題小説を続けているうちに、私たちは高校生になりました。私とAはもちろん同じ高校に入学し、そこでも相変わらず交換日記とお題小説を続けていました。しかし、どういうわけか入学後しばらくして、妙な事件が起きたのです。
私はいつものようにお題小説を書いていました。その時のテーマは「豚」「自由帳」「ガラスの小瓶」で、養豚業を営む老夫妻が子供の自由帳に描いてあった瓶のデッサンを見て、自分たちの出会いもガラスの小瓶から始まったのよね、と呟く所から回想に入ります。中学の頃に同級生だった二人は特に接点と言う接点もありませんでしたが、夫があるとき妻に一目ぼれしてしまい、何とか彼女と話が出来ないかと考えます。夫は何の関わりもない人が直接話し合おうとしても怪しまれるだろうと考え、手紙を書いて汚れないように小瓶に詰め、妻の下駄箱に置いてみることにしました。妻は最初その手紙を訝しがりますが、顔を知らない相手から手紙が来た割にちゃんと差出人の名前が明記されているし、いたずらだったらこの人に返事をすればわかることだと考え、丁度家族の営んでいた養豚場の豚たちの調子を書いて送ることにしました。最初の手紙には住所が書かれていなかったので、妻は送られた時と同じようにして手紙を小瓶に詰めて夫の下駄箱に入れておくことにしました。夫は下駄箱で小瓶に入った妻からの返事を見て内心喜びましたが、手紙を彼女が他の者に見せて返事を作ったことも否めないため、内容を見るまではうかつなことを考えないようにつとめました。自宅に帰って開けてみるとその内容がほとんど豚の話ばかりで少し残念に思いましたが、噂伝いに彼女の家が確かに養豚場を営んでいることを知っていたので、これだけ豚のことが書けるのは彼女以外にあり得ないと思い、暫く文通を続けた後に妻に告白することに決める、という話でした。
私はこの話を最初いつものように調子よく書いていたのですが、その日何度目かの手詰まりを感じた時、反省のために再読してみると、ふとこの養豚場の夫婦が、小説の内容とは全く関係ない何事かについて語り合っている光景が浮かんできたのです。それは本当に他愛のない会話で、例えば、食器棚の上に置いておいたあの子のマフラーはどこに行ったのか、とか、冷蔵庫にまだジャムはあったか、といった日常的な話でした。私はそのとき初めて、自分の構想と全く異なる不必要な光景がはっきりと目に見える体験をしました。ですが、それを物語の中に入れては分量が多くなりすぎますし、Aとのお題小説は手短に終わらせることが望まれていましたから、私はその光景を一端忘れて、また作った話を最初から読みなおし、考えていた通りの道筋で話を書いて行こうと思いました。
しかし、どういうわけか何度読み返してみても当初想定していた構想が、その老夫婦のどうでもいい会話に流されて思い出すことができません。お題小説はAから題材を聞いてから頭の中で物語を組み立てていたので、構想のメモなどもなく、一度忘れてしまうと描いていた筋書き通りに書くことができないのです。
私は三十分以上ノートを見つめて微動だにしないまま、結局思い出せなくなったその老夫婦の話を、当初の筋書きとは違う形で完結させることにしました。そこには読んでいる間ずっと頭の中で浮かんでいた、老夫婦のどうでもいい会話をまさに流れてきた順番に適当に書きました。今日の豚たちはとても腹を空かせていたね。家を離れた子供は一体今何をしているだろうか。きっと一生懸命絵の練習をしていますよ。あいつはそろそろ卒業のはずだけど、無事に食っていける道を探せるのだろうか。しっかりしてるから大丈夫でしょう。そうかなあ。そうですよ、子供のことを親が信頼せずに誰が信じてくれるというのですか。そういうもんなのかなあ。そういうものですよ、あなたは父親だからわからないかもしれませんが、私は実際にお腹を痛めてあの子を産んだんですから、信じてあげない方がかわいそうでしょう。
駄目だ、これ以上は書けない、と思いました。完結とは言い難い場面で、会話が途切れてしまうのです。思えば再読を進めるときに会話が流れてくるとは言え、その間はずっと自分の小説を読み続けていなくてはならないのです。手を止めた場面で小説を読み終えてしまえばそれ以降、老夫婦の会話が流れてくることはありません。例え会話を書き続けて行ったとしても、やはり何か物足りない感じがずっと拭いきれないのです。完全に八方ふさがりでした。
次の日、私は書き終えることができなかったその話を持って、Aと学校で対面しました。Aは書きあがらなかったその小説を読みながら平素どおり作者の考えを見ているようでした。しかし、いつもならば無表情に私の思考を読みとりながら垂れた目を動かしているAが、この日はやけに険しい表情で眉間に皺をよせながらノートに目を通していました。やはり完結させるまでに意味のない会話を私が見ていたことが、彼女にも伝わっているのでしょうか。話を読み終えるとAはノートを閉じ、一呼吸おいてから机の前で言葉を待っている私を見上げました。
「××ちゃん、これ、書いてる時に途中で筋書き変えたんだね」
「うん、読んでてわかったでしょ。凄く気持ち悪くなっちゃってさ」
「気持ち悪く……?」
Aは眉間に寄せていた皺を更に深くして尋ね返しました。私はあれ、と思い、その時点でいつも自信に満ちた様子で私の考えていることを言い当てているAとは異なる何かを感じました。
「ほら、見えなかった? この話書いてる時にね……そう、ここまで書いて、ここから先はこの老夫婦のさ、意味のない会話が聞こえてきたんだよ。それで、考えてた内容、全部忘れちゃって」
何を隠す必要があろうというように、昨日の出来事をありのまま話しました。その時はまるで車酔いをしているときのように右から左から様々な気持ち悪さに襲われたのでとても印象に残っています。話を書きすすめられずにずっと深い穴の底に落ちていくような、合わせ鏡を見ていてその中に引きこまれてしまうような感覚を、書いている間ずっと感じていたのです。
しかしAはますます神妙な顔をするばかりで私の言うことをそのまま受け流しているだけでした。話し終えて暫く黙っていると持ってきた交換日記を鞄の中に仕舞い、お題小説のノートを私に返してきました。
「見えなかったよ、それ」
「え……」
「私が見たのは、××ちゃんが唸りながら、この小説の筋書きを途中で変えた所だけ。しかもかなりぼやけた感じでしか見えない。だから原因が分からなくてむずむずした」
どうやらAがしかめっ面をしていたのは普段書いている時に当初の筋書きを殆ど変えない私が、突然路線変更をした理由がわからなかったからのようです。
「それって、どういうこと? Aでも文章から読めないことがあるの?」
「さあ? こんなことは初めてだし。わけがわからないね」
訳が分からないのはこっちの方でした。Aはこれまで文章を書いている間の私の考えを全て読みとっていたはずなのに、今回は違ったというのです。一体どういうことでしょうか。
Aの見えなかった老夫婦の会話に私は頭を悩ませましたが、そんなことはひとまず置いておこうとばかりにAは新しくその日の分の題材を言い渡しました。「ポンカン」「液体糊」「講演」。学校から帰って机に向かい、早速小説を書き始めようとしましたが、書きだす前にふと昨日の出来事が頭をよぎり、今日は主たる登場人物を出さずに、モノだけで書いてみようという制約をつけました。主要人物がいなければ、無駄話が当初の作品のイメージを塗り潰してしまうなんてことは、あり得ないはずだと考えたのです。
しかし、物語中盤くらいまできた時に、今度は作中に登場させていたポンカンが作られるまでの映像が頭の中で突然再生され始めました。それまでは柑橘系の食べ物であるポンカンの中から異常発生したでんぷん質が見つかったたことが一大事となり、このでんぷんは何かに応用され得るのか、人体に影響はないのか、活用していくならばどの方向性でいくべきか、でんぷんならば糊の原材料としては使えないだろうか、という内容で研究者が各地で講演を開いていた、という話を書いていたのに、それとは何の脈絡もなく、だだっ広いポンカン畑で作業員が殺虫剤を撒き、燦々と輝く太陽の元で一つ一つの実を緩やかに撫でている様子が浮かんでくるのです。これには私もまた手を止めざるを得ず、それまで書いていた話を読み返して始め着地させるはずだった場所を探そうとしましたが、やはり何度見ても、途中から畑の映像が浮かんできてしまい、結末を思い描くことができません。
仕方なしに昨日と同じく途中で路線変更して結末をポンカン畑の映像を流す場面へと落としこみましたが、翌日Aの所に持って行ったその小説も、やはりAから見れば途中で結末を変えただけで、ポンカン畑で働いている人の光景は見えなかったというのです。これまでAの能力を数年間目の当たりにしていた私からすれば、この話はかなり不可解で、一時は、Aが嘘をついているんじゃないかとも考えたのですが、そんなことをして何か得があるとも思えませんでしたし、逆に長い間続けていた私たちの関係を悪くするだけではないか、とも思えました。
その後続けたお題小説では前二日と同じことが立て続けに起こりました。大統領がテレビに出る話を書けば徹夜越しで原稿に明け暮れる新聞記者の姿が見えてきましたし、夫婦で洗濯物を畳んでいる話を書けば使われた洗濯機の内側の羽構造がどのようにして開発されたのかということが頭を巡りました。もちろんそれらも当初の構成が思い出せなくなるほどに強く私の考えを引っ張り続けて結末を書き変えて、その度にAに、また途中で変えたのね、と言われるようになりました。今度は結末を書き変えずに書こう、と思っても必ず書いている途中で雑念が頭を過ぎって最初の考えを全て消してしまいます。砂浜に描いた落書きが、波にさらわれて台無しになって行くように、私の構想も書いては消えて、消えたものを修復しようとしても元に戻らないという状態に直面していたのでした。
もう何度目になるか分からない、構想が消えながらの執筆を繰り返したころ、Aは私にお題小説の中止を言い渡しました。結末がひっくり返る小説を私が書き始めてから、いつか言われるであろうと予想していたことでした。一応、「なんで」と理由を求めるとAは答えてくれました。
「だって、つまらなくなっちゃったんだもん。××ちゃんの小説」
何年もかけて続けてきた結果がこれか、と当たり前ですがショックを受けました。ですが私はそう言われること自体にあまり抵抗はありませんでした。私自身、これ以上Aに結末だけが変わり続ける小説を読ませることに苦心していましたし、Aはあるときから感想に同じことしか言わなくなったので、きっとつまらなくなったんだろうな、と予想していたのです。元々、気まぐれで始めたことがここまで長く続いただけでも十分だ、まだ続けている交換日記の方に集中しよう、勉強も難しくなり始めていることだし、お題小説を書いていた時間は勉強に当てることにするのが丁度いい、と半分あきらめかけたように勉強に集中することにしました。
とはいえ長年染み付いた習慣とは恐ろしいもので、私はAとのお題小説を打ち切られた後も泉のように湧きでるアイデアを前に書き物を続けざるを得ませんでした。勉強をするんだと意気込んだはいいものの、目的のない暗記や計算と言うのはいかんせんやる気に支障を来たしてしまうためでしょう、机に向かってもすぐに飽きてしまい、代わりに参考書に向かっている傍らで話を考え続ける思考が回り続けているのです。考える頭があるとそれを書きたくなってしまい、結局いくつかプロットをメモしてあとで書き起こすことが止められませんでした。誰に見せるわけでもない小説でしたが、「この知識をいつかネタに使ってやろう」という思いから不思議と勉強にも意味を見出すことが出来、あらゆる科目において意欲的に取り組むことができたのです。もちろんAとの交換日記も続けていました。直接的に聞かれこそしませんでしたが、おそらくAはお題小説が終わっても私が書き続けていることを、日記の文面から読みとっていたに違いありません。交換日記を書きながら、たまに手を止めて習慣となってしまった小説のネタのことを考えたこともありましたから、Aを置いた一人の耽溺を隠し通せていたはずがないのです。とにかく、書き物は中毒的に私の思考を蝕み、時間を奪い、Aと私との細く長い繋がりを作っていたはずなのです。
そしてこの頃からでしょうか、Aが何かにつけて目をこすりながら、「見えない」と言い始めたのは。移動教室の時や体育の着替えの時など、ぼんやりと虚空を見つめながら呆けているAの姿を、私は遠くからしばしば目の当たりにしました。あ、Aだ、と思って暫くそれを眺めていると、彼女はぼそっと一言、「見えない」と口にしていたのです。それを見る度、私は結末が書き変えられ続けた小説を最初に手渡した時、「見えなかったよ」と告げる彼女の眉間に皺を寄せた顔を思い出しました。そのために、何となく声をかけるのが憚られて、そのまま見なかったことにして脇を通り過ぎるのでした。