黒服参り
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ねえねえ、休みの日のおでかけって、どんな服を着ていくのがいいと思う? 友達と遊びに行くんだけどさ、今回は女の子も混じっているんだよ。男同士でするようなカジュアル全開っていうのも、なんだか違う感じしない?
ここは無難に制服で……えっ、女子はともかく男子は無難じゃない?
ちょっとちょっと、ヘンテコな好みが混じっているような気がするんですけどねえ。
こうさ、「これを着たら間違いなし!」って服装、世の中に存在して欲しいと思うんだよ。自分ではばっちり決めたつもりが、相手はドン引きだったら、悲しいでしょ?
その点、制服は「間違いなし!」の条件に近いと思うんだよね。カジュアルでもフォーマルでも通用する服。そしてたいていが黒に近い暗い色で、ちょっとした汚れだったら目立ちづらいときている。
――なんでこんな風に暗い色が、いろいろな道具や場面で採用されるのか、疑問に思ったことはないかい?
僕も疑問に思って尋ねてみたところ、おじさんからその答えのひとつじゃないかと感じる、不思議な体験を聞いた。
君もおしゃれ談義より、こちらの方が興味湧くんじゃないかな?
おじさんが中学校二年生になったばかりの頃。思いのほか身体の成長が早く、入学時に余裕を持たせて用意したはずの制服は、ややきつさを覚えるほどになっていたらしい。丈出し、袖出し、ウエスト出しも限界近かったとか。
新たに用意すると結構な値段。裕福といえるほどの家じゃなく、僕の父親を含めた弟たちもいるから、親としても、兄である自分ばかりに金を掛けたくない気持ちはあるだろう。
「どうにか3年間、着続けられるといいけどな」と思いながら、寝る前に、部屋の隅にある帽子掛けへ、制服一式をまとったハンガーを託すおじさん。
明かりを消してウトウトしかけたところで、薄手のカーテンしか引いていない東側の窓から、不意に光が飛び込んできた。
親から以前、聞いたところによると数キロ離れたところにある、大型ボーリング場の明かりらしい。
これまでは家までの道筋に、ある会社の倉庫が建っていて遮られていたらしいのだけど、一年前に倉庫の解体が決定。すっかり取っ払われた結果、この家が次なるターゲットになったわけ。
普段、おじさんが眠る頃には営業も終わりに近づいて、明かりも弱くなっており、ここまで目の毒になることはない。
ただ、一ヶ月の間、「7」がつく日のみラッキーデーと称して、営業時間を超えてもじゃんじゃん明かりを焚く。通常日の営業時間を過ぎると、つけるライトが変わって、光量も増しているとのうわさだった。
いつもは昼間のように部屋の中を照らすのだけど、その日は横向きのスポットライトが、室内に突き刺さったかと思ったみたい。
あたかもカーテンをスモーク代わりに、スポットをあてられたのは、自分の制服。光の縁の中に、黒いブレザーとズボンが映し出されている。
灼けて色落ちしたらどうすんだよ、とおじさんは起き上がり、2枚目の厚いカーテンを引く。部屋の中はまた暗闇に覆われた。
翌日。季節に見合わず、かなりの暑い日だった。おじさんもその友達も、久々に制汗スプレーのお世話になる。
黒は光を吸い込む色。強い陽の光を浴び続けた黒い制服は、学校に着く頃になると、すっかり熱くなっていた。
朝礼が行われ、校長先生の口からも本日はブレザーを脱いで生活してもよい、というお達しが出る。
結果、男子のみならず、女子もブレザーを脱いで生活する者が大半。ロッカーへ雑に突っ込んだり、椅子の背もたれにかけたり、はたまた画びょうと、持ち込んでいたハンガーを組み合わせて、形を整えたりと、それぞれの性格が出る脱ぎ方を披露していく。
次の日も、その次の日も暑さは続き、「涼しい日になるでしょう」と語る天気予報の気温予想は、ことごとく外れ。そのうち「校内に限り、28度以上の日は上着を脱いでもよい」という指示が浸透し、完全に夏へと逆戻りした毎日。
だけど、流す汗とは別に、背中を冷やし始めるできごとが起こり出したんだ。
発端は、おじさんの隣のクラス。
優雅にハンガーへブレザーを架けていた女の子のひとりが、いざ羽織ろうとしたところ、首から腰にかけてがすっかり冷たくなっていた。ブラウス越しにも関わらず、肌着ごと背骨が冷えるかと思ったほどだったらしい。
奇妙なことに、ブレザーは濡れていなかった。ただ該当する部分だけ、冬のさなかへ出張して帰ってきたかのよう。彼女は背中にブレザーが極力当たらないように、気をつけながら帰っていくしかなかったとのこと。
女子の間だと、当初は男子のいたずらが真っ先に疑われた。男子の制汗スプレーは、冷やす力が強いものが多いというのも、原因のひとつ。
しかし、被害の件数が増えていくにつれて、男子のブレザーも同じような目に遭い、集会の直後など、確かに全員が席を外していた直後にやられたケースも出てくると、一概にスプレー被害といえなくなってきた。
大掛かりな移動の際には、教室を出る前に、しっかり戸締りがされる。先生たちも集まるから、校舎には誰もおらず、いたとしても密閉空間のブレザーへいたずらできないはず。
得体の知れない事態に、暑い日が続いても、それをこらえてブレザーを羽織る人だらけになっていく中、おじさんは変わらず夏のような服装を保ち続けた。
男子の仕業と思われていた時、おじさんもいたずらを疑われて、ずっと根に持っていたらしいんだ。
「絶対に、落とし前をつけてやる」と、自分のブレザーを囮にしながらね。
そして好機が到来する。
授業の6コマ目に位置する時間。文化祭準備に取り掛かる前に行われる、ルール確認を兼ねた体育館での全校集会。生徒と先生が一堂に介した時だった。
クラスごとの列が整う直前、おじさんはトイレに行くことを担任の先生に申し出る。おじさんの学校の体育館は、屋内にトイレがついていなかった。渡り廊下の途中にある倉庫の脇に併設されていて、そこを使わないといけない。
うるさくし始める生徒の収拾もあって、先生は「早く戻れよ」とおじさんに声を掛けただけで、すぐにクラスの問題児たちの方を向いた。
体育館から出る許可を、ありがたくいただいたおじさん。向かうのはトイレではなく、自分の教室だ。
この時を待っていた、とおじさんは自分が高ぶるのを感じている。
クラスで被害に遭った者は、およそ半数。自分はまだ被害に遭っていない方に入っている。そして今日、クラスにブレザーを置いてきたのは自分しかいない。今の教室における、犯人の眼鏡にかなうターゲットは、おじさんのものしかないんだ。
――舞台は整えた。さあて、犯人の手管を拝ませてもらおうか。
おじさんは自分の教室に近づくと、前後左右を見やって誰もいないことを確認。自分がブレザーを引っかけた、窓側の前から2番目の席を見ることができる、柱の影へ身を隠す。
昼休みの直後は、掃除を行う学校だけに、汚れはついていない。遠慮なく柱に張り付きながら、おじさんは気配を探りつつ下手人を待ち受けた。
おじさんの席は、ちょうど教室の長いカーテンの影に隠れてしまうところ。ほぼ白と呼んでいいほどの薄いベージュ色のカーテンは、傾きかけた午後の太陽の光の交通を、わずかに許している。漏れ入る光の中に、細かい毛糸くずがわずかに漂っていた。
そのカーテンの裾が、不意にまくれ上がる。教室を出る時、確かに日直が窓を閉めて鍵もかけたはずだ。外から窓を開けて入ってこない限り、このようなことはあり得ない。
来たか、とおじさんは気を張って見つめる。けれど、まくりあがったカーテンの下から出てきたものは、人間じゃなかった。
光が尾をなしている。おじさんは、そう表した。
カーテンをくぐって教室内に入ってきたのは、そのカーテンの色と同じか、もっと白に近い形をした、細長い光の尻尾だったんだ。
雲のすき間から、太陽の光が差し込む時に現れる光芒。あれに似た光が、谷間を流れる川のごとく、その形をうねらせつつ、やがておじさんのブレザーへ覆いかぶさる。
ドア越しの柱の影から、固唾を飲みながら見守るおじさんの前で、身体の先をブレザーに引っ掛けた尻尾は、投げ技をかけるようにブレザーをひっくり返しながら、机の上へ。無防備に広げられた背中に触れる部分を、尾っぽの先で、つううっとなぞっていく。
すると、どうだろう。
なでられたあとから、ブレザーの生地をふわりと押しのけて、光の尾とそっくりの色を持つ、ハンドボールほどの大きさの丸い玉が浮かび上がったんだ。
光の尾は、その玉の頭を「よしよし」とあやすようになでる。やがてその手は玉全体に及び、包み込むような丹念さで動き続けた。
やがて光の尾は、その一部を玉の真ん中にぐるりと巻き付けて引き寄せると、来た時と同じようにカーテンの裾を持ち上げ、その向こうへと隠れて行ってしまう。
おじさんのブレザーは、机の上に広げられたまま。その後、教室が開けられてからすぐにブレザーを確かめたおじさんは、あの光の尾になでられたところが、指が張り付いてしまいそうなくらい、凍てついているのを感じたんだ。
それからひと月後。おじさんの部屋に、あのボーリング場の強い光が差し込むことはなかった。聞いた話では、業績不振のため、営業をやめたとのこと。
ほどなくおじさんの住む場所も、ようやく秋の涼しい風が戻ってくる。
「沈みゆく船からはネズミが逃げるという。あの光も、潰れゆく店から逃げ出したのかもしれない」というのは、おじさんの言。
けれど、光は黒に吸い込まれる性質。
世間に広まっている黒は、このような事態が起こった時に、光を逃さないための檻。
そしてあの尻尾は、逃げた子たちを探しに来た、光の親なんじゃないかな、と話していたよ。