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3、立川朝陽



 完全にやられた……!!

 郵便受けの中なんて、当分の間整理してなかったから個人情報の塊みたいになってるじゃん。考えが甘かった……。


「七瀬さんかー。綺麗な名前ですね!」

「調子に乗らないでよ?」

「怒らないでくださいよ。褒めてるんですから」


 ズキズキと頭に走る痛み。


『七瀬って綺麗な名前だよなー』


 あの日の言葉が蘇る。うるさい、黙れ。

 お前に褒められても嬉しくなんてない……!!

 頭の中に響いて消えないその声。

 ぐしゃぐしゃと髪の毛を掴んでも、耳を塞ごうとしても脳裏に焼き付いて消えない。

 うるさい……!うるさいんだよ、消えろ。消えろ。消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろーーーー


 突然、掴まれた両手。

 ハッとして目の前を見ると、見えたのはあの男ではなくあまりに無垢で綺麗な顔。先程とは違い、少し心配そうな表情でこちらを見つめている。


「……堀田さん?」

「……何?」

「手、震えてます。こたつ戻りましょう」

「……そうね」


 荒い息、震える体。何か変な汗かいてきた。水でも飲んで落ち着こうと思い、キッチンへと移動する。そんな私の様子を見ていた彼は、少し悲しそうに呟いた。


「ごめんなさい。本当に調子に乗りました」

「……別に良いよ。私が勝手に取り乱しただけだから。気にしなくていい」

「……すみません」


 か細いその謝罪の言葉を掻き消すように、思いきり水道の蛇口を捻る。勢いよくコップに注がれていく水は、バシャバシャと大きな音をたてながら溜まっていく。水が溢れ出て手が濡れるのも全く気にならなかった。体全身を急激に冷やしたかった。冷静になりたかった。

 喉を大きく鳴らし、冷たい水を体の中に取り込む。少し気持ちが落ち着いて、コップをシンクに置くとゆっくりとこたつへと戻った。


「ほらね、面倒くさいでしょ」

「え?」

「本当に理解できない。何で私なんかをストーカーするのか。ストーカーされる容姿も、性格も、何もないのに」

「……そんなことありませんよ。僕にとって堀田さんは十分魅力的です。そうじゃないと、こうやってあなたのことを追いかけることなんてしませんでしたから。……あなたは僕を救ってくれたんですから」

「私が……あなたを救った?」

「これもいずれ時が来れば話します。とりあえず、今の僕に言えることは『生きてください』ただそれだけです」

「……いずれ……ね。話が聞けるまで生きていればの話だけどね」

「大丈夫です。堀田さんは死にませんよ」

「どうしてそんな自信満々に言えるのよ」

「うーん……それは堀田さんが僕のことを少し気になる存在だと意識してるからですよ」

「は?」


 私がそんな間抜けな声を出すと、彼は立ち上がった。そして、置いていたマフラーを首に巻くとまた笑みを浮かべる。


「今日のところは帰りますけど、また来ますね。この部屋も掃除しないと住みにくいでしょうから」

「ちょっ……掃除しに来るつもり……!?」

「もちろんです。僕もどうせ通うなら綺麗な部屋の方がいいですしね」

「はあ!?」


 すると彼は、机の上に置いてあった昨日の乱雑な連絡先を手に取る。そして、ポケットから新しい紙を取り出すと、机の上に置いた。


「これ、綺麗に書き直しましたから登録しといてください。それでいつでも連絡してきてくださいね」

「そ、そんなことしないから!!」

「……どうでしょうか?」


 意味ありげな笑みを浮かべた彼は、そのまま軽くお辞儀をすると玄関へと向かう。私は思わず立ち上がり、彼の後を追った。しゃがんでブーツを履く彼の背中を見ながら、何の声もかけずに見つめ続けていた。


「今日は楽しかったです!また招待してくださいね!」

「招待なんかしてないでしょ!?」

「いつか堀田さんの笑顔が見れることを楽しみにしてます」

「はっ……!?」


 ヒラヒラと手を振ると、そのまま玄関の扉を閉める彼。扉が閉まってからも、しばらくの間呆気に取られたまま動けなかった。

 嵐のようにやって来て、嵐のように去っていったな……。本当に訳の分からない子だ。

 すっかり暖かくなったこたつに再度潜り込むと、先程のメモ用紙を手に取る。あ、結構可愛い字なんだ。丸っこいその字を眺めながら、連絡先とメールアドレスを確認する。

 そのまま自然とスマホを取り出すと、連絡先のページを開く。……まあ、登録ぐらいはしておこうか。指をスライドさせながら、ゆっくりと番号、アドレスを打ち込む。そして、最後に名前。


 『立川朝陽』か……。




 連絡先を保存しますか?




「はい」




***



「ありがとうございましたー」


 少ないお客さんの一人が帰って行き、私は再び掃除道具を手に取り店内の清掃を始める。最近は、深夜にコンビニでバイトをしながら生活を送ってきた。特にやりたい仕事も見つからないので、このコンビニに勤め始めてもう5年になるのか。本当は、もうここには来ない予定だったのに、死にきれなかった私はまたやりたくもない仕事を続けている。


 自動ドアが開く。


「いらっしゃいませー」


 声をかけて、また店内の清掃を続ける。はあ、今日は何か眠たいな……。昼間に睡眠が取れなかったからか……。まあ、そんな日もある。仕方ない。


「すみません、そこの商品取りたいんですけど」

「あ、すみません!」


 そう言って顔を上げて驚いた。


「こんばんは、七瀬さん」


 前と変わらない笑顔を浮かべるのは、立川朝陽。背中には黒色のリュックを背負い、家に来た時と同じようにコートとブーツ、首にはマフラーを巻いている。


「何でここに……?」

「何でって、七瀬さんに会いに来たんですよ」

「私に?」

「そうです」


 柔らかい彼の笑みに、少し心が安らいでいることに気づいた私。それでも、今は仕事中だからと、また掃除を始めた。


「七瀬さん1人なんですか?」

「もう1人いるよ。今は休憩中だけどね」

「へー、それって男ですか?」

「そうだけど、それがどうしたの?」

「ふーん、なるほど」


 1人で納得した彼は、側にあるイチゴオレを手に取る。


「七瀬さん、連絡くれませんよねー。僕ずっと待ってるんですけど」

「だって連絡する必要がないじゃん。特に話すこともないでしょう?」

「そんなことないですよ。安否確認のためにも、今日も生きてますぐらい送ってくれたら良いじゃないですか」

「何それ」


 そう言いながら少し笑っている自分がいた。そんな私の表情を見た彼は固まる。


「……七瀬さん、今笑いました……?」

「はあ?私だって笑うことぐらいできるわよ!」

「良かった。まだ笑顔は忘れてないんですね」

「あなたが言ったんでしょう?生きてる限りは楽しいことがあるものだって」

「ーーーー朝陽ですよ」

「へ?」

「あなたじゃなくて、僕の名前は朝陽です。僕も七瀬さんって呼ぶから、七瀬さんも僕のこと名前で呼んでください」

「……また調子に乗ったでしょ?」

「バレました?でも、七瀬さんが笑ってくれたからさらに求めちゃいました」

「……早く会計済ませて帰りなさいよ。もう夜中なんだから何かあったら大変だから」

「優しいですね、七瀬さん」

「うるさい」


 楽しそうに笑う彼。つられて私もうっすらと笑みを浮かべていた。仕事の邪魔になるからと、彼はその後すぐに会計を済ませた。


「仕事してる七瀬さんもすごく素敵ですね」

「はい、ありがとうございました」

「こういう時くらい営業スマイル見せてくれてもいいのにー」

「何回も通って、売り上げに貢献してくれれば見せてあげないこともないけど?」

「言いましたね。じゃあ毎日のように通いますから」

「望むところよ」


 手を振って帰って行く彼を、見えなくなるまで見送る。何なんだろうか……少し嬉しかったな。今まで、仕事中に知り合いが来るのってあまり好きじゃなかったけど、彼になら仕事の姿を見られるのも悪くないかな、そう思えた。

 知らない内に、彼のことが気になっていっている。不思議な気持ちだ。


「ーーーー堀田さん、休憩変わりますよー」

「あ、はい!ありがとうございます!」


 仕事終わりにでも、連絡してみるか。





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